ぼくに教えてくれないか

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  ▽  グラスの底に余ったアルコールをちびちびと啜る。  時刻は夜の二時をまわり、今夜最後のライブ演奏を迎えようとしていた。  ぼくは舞台に右半身を向けたままもう一度、右耳を澄ませる。  歌い手が入場してくると、「しぃー」と唇に人差し指を立てるのが恵美の定番だ。  店内はいつも彼女の合図に(なら)うように静まっていく気がした。  今宵の主役は、同じようなステージで場数を踏んできたと思われる弾き語りの男性だった。  髪の毛を金色に染めているが、目尻に細かい皺が刻まれている。  彼は手慣れた所作でアコースティックギターを膝上に置くと、引いていく波のように静かに歌い出した。  甘い声に乗った歌詞は初恋の女性を忘れられない、しがない男の歌だった。  彼女との出会いを運命と呼べるだろうか。平坦な道が果てまで続くと思われたぼくの人生では、そう呼んでも差し支えないはずだ。  恵美は、極端に肌が弱かった。  陽の光を浴びるとすぐに皮膚が赤く腫れ、数日はもとに戻らない。  ひどい時は水泡ができて、火傷の症状を引き起こした。  そればかりか翌日には熱が上がり、日常生活にまで支障をきたしてしまう。  だから肌を覆い隠す衣服と、日光をさえぎる日傘が必需品だった。  ぼくだけじゃなく、ぼくらはみんな恵美の病を理解して、充電が切れたみたいに活力に欠ける昼間の彼女をじっと見守った。  そして、太陽が西の彼方に沈むと、星空が輝きだすように笑顔を取り戻す彼女を温かく迎え入れた。 「夜が楽しいの。外に出られるし、何でもできる気がする。それに(ちょう)より()の方が好きってかっこよくない?」 「それいいね。蝶と蛾の違いがわからないけど、夜に羽ばたくっていうのは特別な気がする」 「でしょ? 星空もきっと私みたいな人間に神様が残してくれた生きる希望だよ」  現実に、美しい羽をもつ蛾は多かった。  粉っぽい茶色や白いものだけでなく、光を透かし、明色にきらめく羽をまとう蛾はとても魅力的だった。  それに何より星空は、目が(くら)むほど美しかった。  ぼくらが繁忙な日中を犠牲にすることで夜空に心を洗われるのとは異なり、恵美はただそこで輝き、潰えていく存在の儚さに心を奪われていた。  天体観測に魅了されることは、昼を生きることのできない彼女にとって当然の帰結だったのかもしれない。  地球のはるか向こうに実在する星々を想像し、嘆くように灯り続けるその姿を、あの頃のぼくと恵美は、何度も、何度もまぶたの裏に焼きつけた。
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