第二話

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第二話

 週明けに担任からこの事実を聞かされた時、僕らはそれを理解できずにボーゼンとなった。 それからというもの、クラスはこの ”オノケンショック” からしばらく立ち直る事が出来ず、教室がどんよりと通夜のようになってしまった事を覚えている。 しかし、この後に起こった事と比較すると、”オノケンショック”さえもまだいい方だったと言わざるを得ないだろう。 僕は心にモヤモヤを抱えたまま自室へと戻った。ろくに別れを惜しむこともできなかったオノケンに再会したとしたら、どんな顔でいればいいのだろう。昔のように、子供の時のように、尊敬の眼差しを向けられるオノケンであって欲しいと朧げに考えていた。 再開の時は、意外にもすぐに訪れた。 自室には、姉の言っていた小包が僕の机の上に置いてあった。クッキーの缶ぐらいの大きさで、古びた新聞紙に包まれている。重さは片手で持ち上げられるほど、左右に振ってみると、カタカタという音ともに、何か硬いものが金属に当たる音がする。 僕はこんな物に全く覚えがなかった。また姉のイタズラかと思ったが、表面には住所と名前が達筆で書いてある。住所は近所、歩いて10分もかからない。そして宛名を読んで僕はドキッとした。 小野賢至 たった今、姉と話していた小学校時代の友人、オノケンの名前がそこにあった。 姉に問いただそうとリビングへ降りたが、そんなもの知らないと一蹴された。それどころか、再び飲み物を買ってこいとワガママを言う始末。結局僕は姉の暴力に屈し、飲み物を買いに行かされることになった。姉曰く、ビールとジュースは飲み物としてのコンセプトが違うので、ビールを飲んだ直後にジュースを所望することは全く正常であるとのことだった。将来、姉が結婚する事になったら、相手の男性に心から同情するとともに、茨の道を歩き出す今の気持ちを是非訪ねてみようと思った。 ついで、と言っては語弊があるが、小包を持って、元オノケンのウチに行ってみようと思った。確か聞いた話では、オノケンの父親はまだあそこに住んでいるらしい。  夏の季候特有の強烈な日差しも、徐々に陰り始めた道を進み、先にコンビニにいくかそれとも杉屋に行くか、迷った時、何となく杉屋の方向に足が向いた。 遠目からも、非常に怪しく見える人物がそこに立っていた。そいつは僕よりも10c mは背が高い男で、このクソ暑い中、黒いパーカーを着て目深にフードを被っている。ポケットに手をつっ込んだ姿勢で、ぼうっと杉屋の前で突っ立っていた。僕がそいつを目撃してから近づくまでの間、一向に動く気配を見せず、立ち尽くしたままだった。 僕はなんだか気味が悪いなと思いつつも、確認のため立ち止まる。そしてさりげなく視線を向けた瞬間に、そいつと目が合ってしまった。 数年ぶりと言えども、記憶の中の彼とイメージが一致するのに一秒とかからなかった。 間違いない。髪は伸びて、顔は大人っぽくなっていたが、あの切れ長な目は間違いなく小野賢至、オノケンだ。 オノケンは、自分からたった数メートルの場所で、不審な態度をとっている僕を明らかに見ていたが、突然くるりと背を向け、そのまま歩き出した。 「オノケン……」 思わず口をついて出た声は、彼の耳に届かなかったのか。それともあえてなのか。 オノケンは歩みを止める事なくそのまま小さくなって行く。 「オノケン!」 今度は、明らかに呼び止める意思を込めた声。 オノケンは立ち止まり、ゆるりと振り返る。そしてにやりと笑って見せた。 「リョータ……だよな?酒井 リョータ」 「ああ、久しぶりオノケン。もしかして今、スルーしようとした?」 「悪ぃ……その名前で呼ばれるの久しぶりでよ、自分の事だと思わなくて」 僕は最初、目の前にいる人物があのオノケンだという事に自信を持てなかった。 低い声のトーン、ゆっくりとした話し方。 真顔とも微笑とも取れる曖昧な表情、うつろな目の輝き。 記憶の中では、常に強烈なエネルギーを発散している太陽のようだったヤツが、本当に同一人物なのか? 「なんか……雰囲気変わったね、大人になった?」 「そう言うリョータは変わンねえな。何つーか戦隊モノのブルー?みてえな?」 しばらく話していると、次第に安心してきた。人間の芯の部分には、間違いなくあのオノケンがいる事を感じる。変わったと思ったのは、流れた時間と考えてよさそうだ。 「さっきウチの姉ちゃんがお前の事を見かけたって言ってたから、もしかしたらって思ってさ。気をつけろよ、カンチョーダッシュの件で姉ちゃんから殺害予告でてたから」 「お前ん家の姉ちゃんいつもそれな。それで何度も蹴られてっから俺」 ようやく安心する笑顔。 「今日は何か用事?またこっちに戻って来たとかなのか」 「ん……そういうワケじゃねえンだ。ま……ちょっとな」 しばしの沈黙。 じわじわと時間が経ち、どれ程深刻な理由を抱えているのか、僕の想像の選択肢が十を超えたあたりで、ようやくオノケンは口を開いた。 「杉屋のばーさん死んだんだってな」 「ああ……”100まで生きる”が口癖だったのに、あんな絵に描いたようなクソババアが、本当に死ぬなんて」 「俺なんて隣に住んでたから、顔を見る度に小言を言われてたンだぜ」 「オノケンは知らないかもだけど、杉屋が閉店セールやったんだ。その時、ばーさんの遺言で小学生は、タダだったらしいよ」 「何だよソレ!小学生の夢じゃん。駄菓子食べ放題とか」 杉屋は、オノケンの住んでいたマンションの隣りにあった駄菓子屋で、子供の頃毎日通った思い出がある。腰の曲がった妖怪みたいなばーさんが居て、礼儀とか挨拶に非常にうるさく、大声で挨拶しないと絶対に駄菓子売ってくれないのだ。近所の悪ガキ共の天敵みたいな存在だったが、ただうるさいだけのばーさんではなかった。悩みは親兄弟より、まずは杉屋のばーさんってほど頼りにされていた。子供の他愛のない小さな悩みを、人生の一大事であるかのように親身になって相談に乗り、それを乗り越えた時には誰よりも褒めて喜んでくれた。それゆえ杉屋はひっきりなしに子供が出入りして、ばーさんの怒鳴り声が絶えなかった。 「リョータは知らねえかも知んねえけど、あのばーさん”すず”って名前なんだぜ」 「ホントかよ!今年で一番知りたくなかった事実だわー」 軽口を叩いてみても、二人の笑いは湿り気を帯びていた。 身長はとうにばーさんを越えて、どんなに大人っぽくなっても、あのしわくちゃの笑顔の前ではいつだって子供に戻れた。 寂しくないわけがない。 オノケンはぼんやりとシャッターの閉まった杉屋を見ていた。 懐かしさのあまりつい忘れていたが、さっきの小包は、ひょっとしたらオノケンが直接僕の家に届けたのかもしれないと思いついた。何しろ数年ぶりに会った友人の名前が書かれた小包が、偶然にも再会した同じ日に、僕のうちに届けられるなんて都合のいい事があるワケない。 「オノケン。コレさっき家に届けられたらしいんだけど何か知ってる?」 オノケンは小包を一瞥しただけで、何も言わなかった。知っているなら知っている、知らないなら、思い出すようなリアクションがあってしかるべきだと思うが。 しかし彼は平坦な口調で答えた。 「リョータ。”お楽しみ会”の真実を知りたくないか?」 そう呟いた後の彼の目は、先ほどと変わらず、虚ろなままだった。
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