第四話

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第四話

並んで歩く3人の足元から伸びる影は、長く長く伸び、遠くの塀へと届いている。オノケンの言う暗くなる前にーーの意味がわからないけども、辺りが見えなくなるまでに1時間も無いかもしれない。 僕は、なんとなく隣を歩く桜井の横顔を見て気がついた。 (口紅……化粧をしているのか……あとネックレスも) 18歳の年齢からすると、化粧をするのは常識の範囲内かもしれない。しかし桜井れいなの家庭と個性を考慮した時、疑問符が付く。彼女は体を動かす事が好きないわゆるスポーツ少女だ。ファッションなども動き易さ最優先だと本人も公言していたし、私服でスカート、という格好も見たことがない。というかジャージしか見たことがない。 クラス皆んなで行ったUSJ。めかしこむ大勢の女の子達の中、桜井は一人だけジャージで現れて”私は今日伝説になるから”と高らかに宣言し、ゲート開放と同時に全力ダッシュ。そして全力で転んで、開門5分で救護室に運ばれるという伝説を持つツワモノだ。 そして3人の兄の存在。年子の男三人の後に産まれた彼女は、かなり甘やかされていたように思う。天気が悪い時の送迎は当然として、父兄参観日は運動会は桜井家の一大イベント。そんな日に、桜井れいなと会話をしているところを見られようなものなら、兄+父の四人の男に囲まれ強迫されるという地獄を味わうことになる。彼女自身もそういった被害者を出す事を好ましく思っていないらしく、出来るだけ色恋沙汰は避けていると聞いたことがある。 僕はふと我に返った。 桜井れいながメイクをしてスカートを履き、男と並んで歩いている。もしこの状況を誰かに目撃され、それが桜井家に知られたら本人の意思はどうあれ、厳しい糾弾は免れない。そう思いついた時、本能的に危険を察知し、半歩、ほんの半歩だけ桜井から離れてしまった。 「リョータ!なに離れてんのよ、コッチ来なさい!」 こともあろうに桜井は腕を絡ませて、強引に僕を引っ張り、オノケンの横に並ぶ。さながら捕らえられた宇宙人の如くだか、本人はご満悦の様子だ。 「こういうの一度やってみたかったんだあ♪」 「さっ桜井には兄弟が三人もいるじゃないか」 「お兄ちゃん達はダメよ。小さい頃一度やったら、誰と誰の間を歩くかで大ゲンカしたのよ。それ以来ウチでは並んで歩くのは禁止になったわ」 不埒にも、腕に当たる柔らかい感触を意識してドキドキしてしまう。今が夕方で良かったとつくづく思う。オレンジ色の夕陽は、きっと僕の上気した恥ずかしい顔を誤魔化してくれているに違いない。 「こんな美少女と腕を組めてラッキーとか思ってるんでしょリョータ」 「いやチョット、何を言っているのか理解できませんケド……痛い!」 思い切り足を踏まれた。照れ隠しのツッコミなんて可愛いものではない。足の甲の辺りを踵で踏みつけるという、完全に壊しに来ている踏み方だ。のんきにラッキーとか思えるわけがない。 桜井に合わせて小さくなった歩みは、砂利ばかりの不安定な小道を進む。両側を垣根にはさまれたここを抜け、溜め池へと流れ込む小川を越えると、僕たちが通った小学校への近道になるのだ。 「賢至、そろそろ何をするつもりなのか教えなさいよ。小学校に用事?」 「……“お楽しみ会”、覚えているな。アレの真実を探る」 オノケンの言葉に桜井の歩みが二歩三歩と鈍化し、ゆっくりと止まった。 「何ソレ……何で今更そんな事するわけ?もう何年も前のことでしょう⁉︎」 「いや、俺は明らかにすべきだと思う。2人とも俺に会ってまずその事を思い出したんじゃないか?」 「……っ確かに、クラスの誰かが山崎先生にバラしたかもしれないけど、でもそれが判ったところで過去は変えられないし、良いことなんて何も無いわ!」 桜井に掴まれている腕が痛い。こんなに強く拒否感を露わにするなんて少し意外だ。彼女の性格なら面白そうとか言って、喜んで協力しそうなものだが。でも反対する気持ちも理解できないわけでは無い。 今もし犯人がわかったとしても、当時の僕らが助かるわけでは無い。それどころか少年時代のつらい記憶に、裏切り者がいたという新しい記憶が付け足されて、また苦しむ事になりかねない。けれども誰が、何故、といった長年の疑問を解消して、初めてあの事件を完結させることができるとも考えられる。 要はうずく古傷を放置するか、完治させるためもう一度痛い思いをするかの二択なのか。果たして僕はどちらを望んでいるのだろうか…… 「リョータはどう思う?」 「そうよ、リョータはどっちなの?私と同じよね?」 2人の目が僕へと注がれる。2人とも僕の大事な友達で、双方の言いたい事も理解できる。でもこれは本当に真ん中に線を引ける事なのか、白と黒にはっきりと分かれている事なのか。 「……えと、その前に、二、三確認しても良いかな?」 僕は桜井の手を丁寧に下ろして、ちょうど2人の間に立った。 「お楽しみ会の真実って何?何故僕と桜井の2人を誘った?」 「真実を知る事で、俺が犯人でない事がわかるはずだ。それを証明する」 「じゃじゃあ!あの事をバラしたのは賢至じゃないのね?」 桜井はわずかに安堵した表情で、長年僕らの間で度々話題に上がる、答えの出ない疑問を口にした。答えはオノケンが持っている、オノケンにしか答えられない。いつも堂々巡りで終わっていた迷路の答えを。 「俺なわけないだろう。それに勘違いすんなよ、俺の目的は犯人探しじゃねえ。自分の無実を証明したいだけだ」 僕と桜井は目を合わせて大きく息を吐いた。やはりオノケンは僕たちの信頼できるリーダーだったオノケンだ。たとえ急な別れで、言葉を充分に交わせなかったとしても、疑うべきではなかった。僕は、ほんの少しでも彼を疑ってしまった事を恥じた。 「オノケンごめん。ハッキリとした理由も分からず、周りの意見に流されて、もしかしたら、と疑った事がある。謝るよ」 「いいんだ。弁解できない状況では仕方が無かった。せめて別れを言う機会があったら、こんな事にはならなかったのにな」 ぽんと軽く僕の方を叩く。その何気ない仕草がなつかしく、妙に嬉しかった。 さよなら、また会おうと言えていれば、皆の心がオノケンから離れてしまうことは無かったかもしれない。心にもやもやとしたものがあると分かっていながら、自分には何も出来ない、仕方がない、と諦めてしまっていた。今日もしオノケンが僕の前に現れなかったら、このもやもやを抱えながら過ごしていただろう。奇跡、と簡単に言ってしまうのも憚られるが、数年の時を経て再び僕らは友達に戻れたと、深く深く実感した。 「ま、まあ私は、最初から賢至が犯人だなんて思っていませんでしたケドも」 取ってつけたような桜井の主張に、一瞬時が止まり、なんとも言えない軽薄な空気が流れた。 「お前はこのタイミングでよくそんなことが言えるな」 「なんつったっけ?KYか。ケーワイ桜井に改名だな」 「ななな何よ!元はと言えば賢至がいきなり転校するのが悪いんでしょお⁉︎この桜井れいな様に!断りもなく!」 俺の後ろに隠れて偉そうなこと言ったって、どうにもならないぞ。 しかし桜井もまた、オノケンの事を疑いつつも心のどこかで信じていたのだろう。“本当の事を明らかにする”と言っていたオノケンの言葉は、罪の告白とも解釈できる。男っぽくて乱暴者の桜井だが、僕と同じように、オノケンとの再会にとまどっていたと思う。素直に喜びたいが、変わってしまったオノケンは見たくない。そう考えると、先ほどの強い拒否反応も、ほっとした安堵の表情も理解できる。 「転校のことは悪かったと思っているよ。特に桜井にはな。でも俺だけではどうしようも無かった。あの日も“お楽しみ会”の帰り、離婚が決まった母親が俺を待ち構えていてよ、いきなり車に乗せられてハイ、さようならだ。こっちの都合なんか関係ナシさ」 「それならそれで言ってくれれば良いものを。山崎先生は何も言ってなかったし」 「親父はまだあそこのマンションに住んでるからな、口止めしたんだろう。家族に逃げられることを恥だと思うような小さい人間だし」 オノケンの言葉にはわずかに怒気を感じる。他人の家庭の事情に深く踏み込むべきではないけれども、離婚したという父親とはうまく行ってなかったのかもしれない。 「そうするとだ、先生に呼び出された時に見せられた証拠のノート。あれはオノケンが持っていたお楽しみ会のノートじゃないっていうことなのかな」 「でも参加者とかお金のやり取りとか全部書いてあるから、言い逃れできないって。実際参加者全員呼び出されてたし」 「お前たち、そのノートの中身は見たのか?確かに俺のノートだったのか?」 「うーん……そう言われると自信ないなあ。中身は見てないし、表紙をちらっと見ただけだったし」 オノケンが転校して、一ヶ月ほど経ったあの日、僕らは1人ずつ担任の山崎先生の元に呼び出された。そしてお楽しみ会の存在と、参加していたかどうかを確認され、言い澱む者には証拠とされるノートの存在を示し、きちんと真実を言うように促された。参加者は皆んな、オノケンがお楽しみ会の内容と結果、お金の動きなどをノートに記録していたことを知っていたので、もはや言い逃れはできないと覚悟していた。 「だとすると、状況から見て、そのノートは間違いなく偽物だ」 「どういうこと?誰か……ってか犯人が偽物を先生に渡したってのか?」 「で、でも先生は全てここに書いてあるって言ってたし、参加してた人は全員……」 「少し思い出してくれ。俺たちのクラスで誰がいつどれだけ参加していたか全て覚えている人物はいるか?俺でさえ毎回は参加していなかった。他のクラスも合わせれば、なおさらだ。つまり正確に把握するにはノートの書かれていた名前を照合するしかない」 不特定多数の人が、複数回行われている”お楽しみ会”に参加していた。 会は数十回開催さてれいたし、場所も毎回違う。管理者役だったオノケンも都合で参加せず、結果報告だけをノートにまとめていたとしたら、全てを把握するにはやはりノート見るしか手段は無いはずだ。 「当時は追求され、そうとう叱られただろう。しかし個人の名前を挙げて、晒し者にするにするような事はしなかったはずだ。外へ名前が出ないよう、一定の配慮があったように思う。つまり、いちいちノートを見て、参加者の真偽を確認できなくても、子供達の反省を促すことができればそれで良かった」 たしかに思い出すと、子供の遊びの範疇を逸脱した行為には容赦なく批判され、叱責を受けた。しかしオノケンの言うように、人前で誰とハッキリ分かるような方法は取られなかったように思う。 「大人の立場からすると、誰がお金をいくら儲けたとかいくら損したなんてのは問題じゃない。賭けトランプが行われていたという事実が問題だった。そして直接関係の無かった生徒にも注意喚起する、目的としちゃそんなとこだろう。なにしろ俺はそうなるように参加人数を調節していたんだから」 お楽しみ会を始めた当初、数人の仲間内での開催に止まらず、参加者を積極的に増やそうとしていた。僕は“お楽しみ会”という皮肉なネーミングの通り、隠れて少人数で行うのかと思っていたので、とても意外に思った。普通、秘密を共有している人数が増えるに従い、大人達にバレる可能性は高くなる。しかしオノケンの行動と結果、今の発言を総合すると、バレた時に世間的にどの程度騒ぎになり、誰に叱られるかまで考えてやっていた、と思わざるをえない。すなわち、小規模で個人に迷惑をかけるタイプのイタズラなら少人数で。大規模で多人数に迷惑をかけるタイプのイタズラなら多人数で。数学的に解釈するなら、責任を測れる単位があるとして、一人が負う責任の量が一定になるように参加人数を調整し、一人にかかる心のダメージを減らしていたという事になる。流石というか何というか、当時からイタズラの天才だと思っていたが、その言葉の意味は、僕の想像の域をはるかに超えるレベルに達してたようだ。 「大人達の目的からすると、ノートの真偽はどうでもよかった、と。それで、オノケンがノートを偽物だとする根拠は何?」 オノケンは無言で、僕の持っている小包を顎でさした。 「何よそれ。宝物?」 「ある意味そうだな」 ニヤリと笑うオノケン。 「ホンモノはそこにある」
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