昼下がりの薬剤部

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 昼休み、煙草を吸い終えて病院の地下にある薬剤部へ戻ってきたら、俺の相方が調剤棚の前で突っ伏して倒れていた。  彼女が座っているのは普段から愛用している二段程の小さな脚立で、顔は伏せているのになぜかスマホを握りしめた左手だけは高く掲げている状態。  なんだかなぁ……どうしてこんな中途半端なところで力尽きることができるんだか。  これがサスペンスのワンシーンならダイイングメッセージでも残してくれたかと期待するべきだろうが、彼女は俺が頭をポンと叩いただけでうめき声を上げながらむっくり起き上がってきた。どうやら何か気に障ることがあって脱力していたらしい。 「おいおい、一体何があったんだよ?」  まだ休み時間は終わっていないから別に何をやってくれていても構わないのだが、額の真ん中を赤くしたみっともない顔を晒すのは勘弁してほしい。  俺が笑いをこらえた顔をするのと対称的に、彼女はひどくむくれた表情を浮かべていた。 「あぁもう、聞いてくださいよ。あたしの心はたった今、絶望という名のハンマーでぺしゃんこに押しつぶされてしまったんです」 「随分と大げさな言い回しをする奴だな―――んで、何があったんだ?」  俺も一応コイツの先輩だ。話くらいは聞いてやろうとデスクの椅子を引っ張ってきて腰を下ろすと、彼女は鼻をすぴすぴ鳴らしながら口を開いた。 「それが……来月から病院薬剤師が主役のドラマをやるじゃないですか」 「そうなのか?」 「はぁ?! 知らないんですか?!」  俺の何気ない相槌に、彼女は突如怒り出してしまった。甲高い声が頭に響いて、とても迷惑。  全く……さっきまで顔も上げられないほどぐだぐたに凹んでたクセに、(せわ)しない奴だな。 「信じられませんっ! 薬剤師が主役のドラマを知らないとか、モグリでしょ。今、薬剤師業界では薬価3000万円越えのキムリアより盛り上がってるネタですよ?! しかも主役が千年に一度のイケメンアイドル、kinkinのショータ君!!」 「キンキンなら愛川欽也だろ、普通」 「あは、すみません。昭和の普通は平成生まれの私には、ちょっと理解できないんで」 「おいコラ。お前とはたったの4歳差だぞ。自分だけ若いような顔すんな」  見下した顔で笑う彼女を睨み付けると「ガチョーン、こりゃまた失礼いたしましたっ!」とおどけてきた。  ……ダメだ。このノリ、ついていけない。  俺が二の句を告げずにいるから、彼女もこほんと咳払いをして仕切り直した。 「えーっと、まぁとにかく、薬剤師がテレビドラマの、しかも月9の主役に選ばれたんですよ。これって薬剤師にとってはものすごい快挙ですよね?! だって今まで医療もののドラマって言ったら主役は医者か看護師が定番だったのに、それがとうとう薬剤師にまでスポットライトが……あぁ、そうですよ、院内のスタッフからですら、地下に埋もれた給料泥棒な引きこもり部署とまで呼ばれてきた薬剤部が、ようやく日の目を見る時が来たんです!」 「ちょっと待てぃ。そこまで言われてるのか、俺たち?」  あまりの言われように俺が目を剥くと「ごく一部からたまーに辛辣な意見をいただきます」と、真顔で返された。 「ちっ。それ言った奴、後でこっそり教えろよ―――って、まぁそれは置いといて、要するに薬剤師が今度のドラマの主役になるんだな? そりゃ、めでたい話じゃないか」 「でもね、その内容がひどいんですよ。今、LINE漫画でドラマの原作になった漫画を無料購読してたんですけど、主役の薬剤師ってのが、実は医師免持ってる設定だったんです」 「は? なんだそりゃ?」 「ストーリーとしては、薬剤師が薬学的見地から患者さんの副作用や飲み合わせの不備やらを発見して医師の処方に口を挟み、いろいろ揉めつつも結果的に患者さんが助かりました、って感じなんですけど、肝心の薬剤師が医者って……そんなの、薬剤師が主役とは言いきれないですよね?」 「まぁ、そうだな」 「つまり、薬剤師なんかじゃストーリーに盛り上がりが無い、薬剤師が主役じゃ脚本書けないんだよ、って私たちはちゃっかりディスられてるわけですよ!」  彼女は握り締めた拳をわなわなと震えさせ始めた。 「あぁ、それで凹んでたのか」  納得がいった俺は、ぽんと手を打ったが、彼女はよほど腹に据えかねるのか、いまだにキーキー騒いでいる。 「こんなひどい仕打ちってありますか?! そりゃあ確かに、私たちの仕事は地味な下請け作業ですよ。どーせ、医者が書いた処方箋通りの薬を拾い集めるだけだし、処方箋の疑義照会をする内容だって、8割以上が薬学的見地からほど遠いことばっかり。『4月は30日までしかないんで日付が間違ってますよ』とか『この薬もとうとうジェネリックが発売されましたんで今後は先発名じゃなくて一般名で書いてください』とか『レセプトで切られるから胃潰瘍にはPPIを8週間以上使わないでくださいね』とか……」 「まぁ、そうだな。俺もフェブリクがフェブリックになってるのを指摘した時には、なんでこんなことやってるんだろうって虚しい気分になった」  二人で薬剤師の地味すぎる仕事ぶりを言い合っているうちに、どんどん気分が滅入ってきてしまった。  多分、そんな程度の仕事しかやっていないから、他部署から給料泥棒なんて影口を叩かれるのだろう。  でも、薬剤師には患者さんの目に留まる場所で華やかな仕事をする力量も権限も無いし、最初から求められてもいない。期待されているのは、地下に籠もっての正確な調剤のみ。まぁ、それが一番大切で、ミス無くってのが難しいことではあるんだが。  俺の相方も再び調剤棚の前に突っ伏して、あーあ、と大きなため息をついていた。 「病棟へ服薬指導に行ったら『余計なこと言うな』って医者に睨まれ、患者さんからの訴えを看護師に伝えたら、なんで仕事増やすのよって面倒臭そうな顔をされ……うう。私たちってホント立場弱いですよね。ごくまれに、本当に薬学的見地からの問い合わせをする時ですら、漫画みたいに遠慮なく物申すなんて御法度ですもん。下手な言い方してへそ曲げられたら困るから医者のご機嫌が悪くないかを探ってからお伺いを立てるくらいだし」  情けないけど、それが現実。俺はコイツより4年長く薬剤師をやってるから、その辺は余計に分かっている。 「そーだよ。そういうことだから、薬剤師が主役のドラマなんてのは、最初から無理があるんだよ」  俺は大きく伸びをしながらあきらめ混じりに言った。 「薬剤師が主役ってのはさ、例えて言うなら、水戸黄門でうっかり八兵衛が主役になるようなもんだからな。そんなの全国グルメ行脚にしかならないだろ?」 「な、何てことを言うんですか?!」  俺はまた余計なことを口にしてしまったらしい。彼女は再び、目の色を変えるほどに怒り出してしまった。 「うっかり八兵衛は30年間、役者さんも変えずにレギュラー出演し続けた驚異の愛されキャラクターですよ! なんならあの入浴シーンで大人気のお銀姐さんより前から出演してるってのに、バカにしないでください!」 「お前、なんでそこまで八兵衛推しなんだよ。ホントに平成生まれなのか?」 「再放送で全部見たんです。ちなみに一番のお気に入りはテレビドラマシリーズ3代目の黄門様です」 「いや、俺には誰が3代目かも分かんねぇけどさ。でも、お前が薬剤師に望んでいるのは、言うなれば八兵衛が一人で悪人やっつけて世直し旅をするようなことなんだろ? そりゃやっぱり無理な話じゃないか?」 「……じゃあ八兵衛に風車も装備させます」 「ま、まあ、八兵衛強化作戦はともかくとしてだな」  話が水戸黄門に脱線し過ぎている。俺はボリボリと頭をかきながら言った。 「薬剤師ってのは元々がそういう地味な役回りなんだよ。薬を用意する奴がいないのは困るけど、だからと言って主役には絶対なれない。最初から脇役としての地位が確定してるんだ。諦めろ」 「そんな、夢も希望もない、ううう……」 「馬鹿。いちいち泣くんじゃねぇよ。大体、落ち着いて考えりゃそんなのは当たり前の話だろ」  俺は、ことさらに大きなため息をついて見せた。 「チーム医療なんて口先では言ってもやっぱり医療現場の主役は権限をガッツリ握っている医者で、それに次ぐ部署は人数の多さと気の強さから看護師かな。だからこそ、飛行機で急患が出ても呼ばれるのは医者と看護師だけで俺たちは見向きもされないし、例え駆けつけたところで役に立たない。そうだろ?」 「それはまぁ……そうですけど」 「だからさ、やっぱり俺たちは地下に埋もれた引きこもり部署の人間なんだよ」 「うわ……とうとう自分で言っちゃったよ、この人」   彼女にはドン引きされてしまったが、俺はこの時、むしろ晴れ晴れとした気持ちになっていた。 「もういいんだ。地下深くに埋もれてこその縁の下の力持ちだからな。そうやって陰に引っ込んだ俺たちこそ、真に医療現場を支えているってわけだ。お前ももっと地下に誇りを持て」  ……おお、我ながらカッコイイことを言ってるではないか!  俺は自分に酔いしれながら語ったのだが、うちの相方の心には全然響かなかったようで、彼女は生意気にも顔を膨らませて真っ向から逆らってきた。 「嫌です! 私たちも派手になりたいです。薬剤師だけこんなに(しいた)げられているなんて納得いきません。だって、医者はDr. 看護師はNs. なのに薬剤師だけ略語無しですよ!」 「はぁ?! そこに虐げポイントがあるのか?!」 「略語は大切です! だって、私の通ってた大学って医療系の3学部が揃ってたんですけど、医学部の通称はメディカル、歯学部はデンタル。なのに薬学部だけPなんですよ! ピーって何ですか。下痢してるんじゃないんだからピーなんて嫌です!」 「PはPharmaceutical Sciencesの頭文字だぞ」 「誰も英訳してくれなんて頼んでません!」  Pは何かと言うから教えてやっただけなのに、唾を飛ばすほど文句を言われるなんておかしな話だ。 「本当にお前って奴は訳の分からんことを次から次へと……じゃあ、仮に薬剤師が華やかになったとして、それで何かいいことでもあるのか?」  俺が呆れながら尋ねると、彼女は待ってましたとばかりに嬉しそうな笑みを浮かべた。 「そりゃあもちろん。薬剤師人気が上がれば、いっぱいドラマ化されて、その結果うちの薬剤部にもショータ君みたいなイケメンが撮影しに来てくれるかもじゃないですかぁ!」 「な、何を期待してんだ、お前?」  驚いた。これだけ語っておいて、結局イケメン芸能人とお近付きになりたいだけだったのか?! 「だからぁ、こんな風にですね……」  いそいそと立ち上がった彼女は俺の手を引き、調剤棚の前へと連れてきた。 「ちょっと想像してみてくださいよ。こうやってイケメンがうちの薬剤部に立つんですよ。そしてほら、こういう棚の薬を拾っていたら私たち二人の手が不意に触れてしまって『あ……』って見つめ合っちゃうわけで……あぁもう、やだぁ、どーしよう!!」 「……俺はお前のふやけた頭をどーにかしたいよ」  俺は心の底から呆れ果てた。  なんで俺がイケメンアイドルの代役なんてやらされてるんだか。 「もうっ! ちょっとくらい付き合ってくれてもいいじゃないですか」  思うように俺が動いてやらないから、彼女もむくれている。 「ここが撮影現場だと考えたらとっても楽しいんですよ。『薬剤師らしく見えるようなプロの所作をぜひ教えてください』なんて聞かれちゃったりしたら……きゃはは! もう最高です!!」 「お前もよくそこまで勝手な妄想で盛り上がれるよな。そもそも、薬剤師っぽい所作って何だよ?」  医師や看護師と違って注射やらの特殊手技が存在しないのが薬剤師だ。白衣を着せて立たせておけば、誰だって薬剤師に見えるだろう。  彼女もその辺はすぐに気付いたらしく、首を傾げて考え込んだ。 「そうですね、誤差1%未満で散剤を手まきするとか、乳鉢で錠剤をつぶしたりとか? あとはスプーンの裏で錠剤を半分にしちゃうとかも良くないですか?」 「お前なぁ……それこそ、頭冷やしてしっかり想像してみろ。ドラマの中で、そんな地味でマニアックなシーンに需要があると思うのか?」 「マニアックでも地味でもショータ君みたいなイケメンがやれば、何でも格好いいですもん! それに……あぁ、いいですよ。じゃあメルカゾール錠を真っ二つに割ってもらいましょうよ。その超絶テクニックを目にしたら、みんな拍手喝采、テレビに釘付け間違いないです!」 「んなもん、薬剤師にしか理解できないネタだろ!」  イライラした俺は、つい大きな声を上げてしまった。 「大体、そのショータ君てのは何歳なんだよ。今回のドラマは医学部出て薬学部も出てってことだから、例え片方を三年次辺りから編入できたとしても、最低28だろ。その後医者は研修期間が3年あるし、使い物になるまでは更に5年10年かかる。そんな40前後のおっさん役をアイドルもどきの愛川欣也なんかで演じきれるのか?」 「ショータ君は愛川欽也でも、おっさんでもないですけど、大丈夫です。ほら、原作はこんなにイケメンだから適役ですもん」  彼女が嬉々としてスマホで見せてくれたのは、たった今まで読んでいたという原作漫画だった。そのキラキラとした画風を目の当たりにした瞬間、俺は本気で唸ってしまう。 「あ、ありえねぇ……このチャラい顔で医者と薬剤師の二足の草鞋なんて、あまりに現実離れし過ぎだろ」 「そーですか?」 「そーですかって……お前、イケメンならなんでもいいのかよ」 「むしろイケメンじゃなかったら薬剤師が主役でも興味無いですし」 「くっ……違うだろ。薬剤師が主役のドラマを名乗るからには、俺くらいに人生の深みと渋みを兼ね備えた男の方が相応しいに決まって……ってコラ! そこで寒々しい愛想笑いなんてすんな! 余計に恥ずかしいだろ!」 「ふぅ……そろそろお昼休みも終わりですよ。仕事しましょうよ、仕事」  俺の相方は小さなあくびを一つ漏らすと、まるで切り替えスイッチでもついているかのように、いきなりお仕事モードへと表情を改めた。 「じゃあ私は、週末分の点滴を各病棟まで配りに行ってきますね」  彼女は部屋の隅に用意していた10kgはあろう段ボール箱をひょいと持ちあげると、そのまま元気良く薬剤部を出て行ってしまった。  おかげで薬剤部は先ほどまでの喧騒が嘘のように静まり返ってしまう。  ……ホント、忙しない女だな。  むしろコイツが主役なら面白い薬剤師ドラマができそうなのに。  残された俺は、そんな妄想を頭の中で思い描いて笑ってしまいながら、またいつものように地味に薬を拾い集めるのだった。
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