40人が本棚に入れています
本棚に追加
菖蒲が学生鞄を肩に掛けて席を立つと、自動的に机と椅子が床に収納されていく。隣の席は、今日一日中空席だった。学園側は家庭の事情として処理しているようで、菖蒲達は学園側が今回の件に直接的に関与しているか或いは核心に近い何かを知っている人間がいるのは確信的だという結論を出している。
菖蒲は普段よりも俄に活気のある放課後の喧騒の間を縫って、教材などを几帳面に丁寧に鞄にしまっているイリスの元に向かう。
「お待たせしました、菖蒲」
柔和な笑みに迎えられて、菖蒲はさっと手をあげて応える。
「そういえば、菖蒲は予定があるのではありませんか?」
「あの子の迎えまでは付き添いたいんだ」
今日の放課後はイリスと共に子供の世話をしながら、久しぶりの勉強会をする約束をしていた。それを反故にした罪滅ぼしとして、せめて最初だけは付き合いたかった。
「ありがとうございます、お優しい菖蒲。わたくしの事なら気になさらなくてもいいのに」
それで菖蒲の心が軽くなるのならばイリスに拒否する理由はない。方針が決まり、連れ立って教室を後にしようとした時だった。
「失礼します! 鶴来菖蒲さんはまだ残っていますかー!?」
菖蒲達が向かっていた場所とは反対側の出口から女生徒の快活な大音声が響く。
まだ教室に居残っていた生徒達が一斉に菖蒲を見ると、教室内を見渡していた女生徒は導かれるように菖蒲を認識するなり、あっという間に距離を詰めてきた。
「いた! 鶴来菖蒲さん! いやぁ、お噂はかねがね! 媒体などで格好いいのは知っていましたが、生で見るともっとイケメンですねぇ!」
「あ、はは。それで、俺に何か用?」
「あ、はい。私、新聞部の者なんですが、鶴来菖蒲さんに取材をさせて頂きたく参った次第で! 今から少しだけお時間貰えませんか?」
少しで済むのなら、イリスとの用事が済んだ後にならと菖蒲は前向きに考えていたのだが――。
「申し訳ございません」
――菖蒲と女生徒の間を裂くように、イリスが一歩進み出ていた。
「わたくし達は放課後はしばらくの間、学園長より火急の用件を申し付けられておりますので」
イリスは一方的に告げると、菖蒲の手を引いて強引に話を断ち切った。なまじ、イリスの性格も事前に調査していただけに呆気に取られた女生徒は、二人の背中を見送る。
菖蒲もまた同じ心境だった。何から何までイリスらしからぬ行動に、困惑を抑えられない。やや早足で廊下を進み、人気がなくなってきたタイミングで菖蒲がおずおずと切り出す。
「もしかして、約束を反故にした事を怒ってる……?」
「あ、いえ……」
イリスが手を離して、菖蒲と向き合う形を作る。何かを口にしようとして、躊躇が吐息だけを零した。後ろめたい気持ちがあるのか。いや、そうではない。
――この場を濁しても、次がないとも限らないのならば。
「菖蒲。この先、身の回りには十分に気をつけて下さい」
イリスには『邪を祓う力』と呼ばれる”一種の常駐エフェクト”が備わっている。虚飾を見破る眼力において、その精度は限りなく高い。
突然の注意喚起に首を傾げる菖蒲に対して、イリスは真摯な表情でお願いでもするように続ける。
「先程の女生徒からは、悪意を感じました」
最初のコメントを投稿しよう!