三章:本当の自分

29/52
40人が本棚に入れています
本棚に追加
/240ページ
「ふぅ……」 月がとても爽やかに額を拭う。やり切ったのだろう、その表情は健やかに澄み渡っている。 「そういえば、うちはどうしてこんな陰キャが好みそうな校舎の端っこにいるんだっけ……あ」 くすんで濁った月の瞳が七色を映すと、忘却の彼方から記憶が戻ってくる。 「真似っこ先輩を見て思い出した。絞りに絞って一つだけ確認したい事があるんだけど、答えさせてあげてもいいよ?」 「はぁ。まずはその不遜な態度を改める事をお勧めします」 「どうして? ルナちゃんはこれがいいんだって世界が言ってるんだから、お前の物差しに合わせるなら生きとし生けるものは大地といういわば母の意思に従うべきだと思うわけ」 「あたしの目を良く見てください」 「あん? 曇りなき空みたいな色してるけど、それが何? 自慢? お生憎様、ルナちゃんはこれで完成しているので」 「見覚えがありませんか?」 「は? え、なに。まさか、うちとあんたはこの学園で会う前にも何処かで……」 「いえ、自分で言うのも何ですが、あたしのような存在しているだけで目立つ人間と会っていたら流石の貴方でも忘れないでしょう」 「うちが言うのもなんだけど、その物言い!」 「いいですか、宮園月。あたしの目……これは、人々が言う所の『哀れみの視線』です。よく向けられていませんか?」 「はぁああああああああああ!?」 「喧しいですね。仮にも人前に出る事を生業としている人間ならば、もう少し慎みを持つべきでは」 「っ……なんだろう、この覚えがある感じ。ああ、あれか。あれと似てるのか」 月が背中から黒い炎を立ち昇らせる。と、そこで、二人の間に声が割って入る。 「七色がいつ指摘するんだろうと成り行きに任せてたけど、もう無理! 態度を改めるのが先みたいに言ってたけど、それよりもまず気にするところあるよね!?」 菖蒲だった。目をくるくるとさせながら、菖蒲がびしっとルナの足元に指を指しながら言う。 「生きてるの、その子!?」 そこには、首根っこを掴まれて引きずられているショッキングピンクがいた。ぴくぴくしている。階段下から既にこの形での登場であった。 「さぁ? でも別に、生きてなくてもいっかなぁ」 「すっごい病んでる! 何したんだ!?」 「善意でお灸を据えてあげようとしたのに逃げるから、火炎放射器で燃やしちゃった感じ? あはっ」 「何も伝わらないんだけど!?」 そんな寸劇をしていれば、僅かに残されていた昼休みの時間もあっという間に消費されて――。 「鐘が鳴りましたね。今回は貴重な昼の時間を割いて頂きありがとうございました。お疲れさまでした」 「待て? あ、待って。いや、待たれよ? 一つ、ほんと一つだけ聞かせろください!」 月が陽を掴んでいた手を放して、手早く解散の流れを作り出した七色に詰め寄る。月の後方では、なすすべなく後頭部を痛打した陽が声なき声で泣いていた。 「……貴方にしては頑張っているようなので、それで譲歩してあげます。何ですか?」 「あの、あれ……その、あれ……あれがこうでどうなのかなって……」 「要領を得ません。はっきりしないのなら、あたしはこれで――」 「――あのがきんちょの中身に、クソボケカス先輩の意識はあるのかってこと!」 勢いよく吐き出された月の質問は、一同も気になる部分だったのか不自然な静寂が場を満たす。 「ああ、それでしたら……本人は、子供として世話を焼かれている記憶は全くないと言っていました」 無自覚に深層心理に近い場所で共有している可能性を口にしなかったのは、それを知ってしまえば月がより狂乱状態に陥ってしつこく付き纏われる未来を危惧したからだ。 恐らく、その想像は正しい。月は「あ、そう」と興味がない風を装いつつもあからさまに胸を撫で下ろしていた。 「じゃ、解散で」 目的を果たした月は、再び陽の首根っこを掴むなりあっけらかんと一同に背中を向けて立ち去っていく。月が階段を一段降りる度に陽は涙目になって菖蒲に助けを求めていたが、非力な菖蒲には闇に染まった月と戦う選択が出来なかった。そもそもが自業自得だろう。 「授業に遅れてしまう前に、あたし達も行きましょうか」 「あ、うん」 「そうですね」 三人連れ立ってすっかり静かになった踊り場を後にする。 「あ、俺からも一つ聞いていいかな」 「なんでしょう?」 「のえ――恵流は元気だった?」 そんな菖蒲の能天気な問いかけに七色が唖然とする。二人の後ろを歩いていたイリスが「確かに、それこそが肝心な所ですね」と、くすりと笑った。
/240ページ

最初のコメントを投稿しよう!