三章:本当の自分

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 ◇   ◇   ◇ 『貴方なら、どうしますか。どうすればいいと思いますか』 これは回想。七色の在りし日の思い出の一ページだ。七色が赤の他人に過ぎなかった男の子に、菖蒲と自身を取り巻く苦境を吐き出してしまった日。 『僕は君じゃないし、その子でもない。だから、その場にいない部外者らしい全く正しい事だけしか言えない』 『…………』 『その程度の事は、決して不出来ではない君ならとうに分かっているだろうから言わないよ』 自身の正義を裏切らないように望む結果を得る為の方法が分からない。いっそ悪意に染まってしまえば、やり様は幾らでもある。それを忌避しているならば、一寸先も見えない霧の中で抗い続けるしかない。 比重の問題だ。手段を選ぶか、選ばないか。手段と大切な存在の未来を秤に掛けて、どちらを取るかという話でもある。 『あたしは、薄情なのでしょうか。本当にあの子の笑顔を取り戻したいのなら、何をしてでもそうするべきではと考えてしまいます……』 手をこまねいている自身は、菖蒲よりも自身の”正義”を尊んでいるのではないか。七色は、そんな自問自答に苛まれていた。 ――七色も追い詰められていたのだ。 七色と同じ色の髪の少年は困ったように笑う。 『僕は”泣いた赤鬼”の結末は好きじゃない』 青鬼が悪役となり、嫌われ者の赤鬼は唯一の友達を失った代わりに多くの知り合いを得た。 『あたしは、青鬼になっても――』 『君だって分かってるんだよね。その救いはとても安易なんだ。悪役を演じる事は、君が思うよりずっと簡単だよ』 大前提として、自分にとって無価値な他人を切り捨てて、その対極にある存在を取っている。どうでもいいと見切りをつけた相手に何を思われようと、それこそどうでもいいのだ。 『でも、君の大切にしている子が、君の心の在りようの”変質”を背負えるとは思えない』 ――それも、分かっていた。 『ですが、あたしには、もうどうしたらいいかがっ……ごめんなさい。こんな話をして、迷惑でしたね。この話は忘れてください。今日は、もう帰ります。きっと、明日には元通りになりますから、またここで会えますか』 畳みかけるように言って、七色は足元に置いていたランドセルを引っ掴んで少年に背を向ける。少年は、返事に少なくない時間を要した。 『僕は』 小さな七色の胸中を不安が満たしそうになった頃に、少年がようやく口を開く。 『君の真摯な優しさを失ってほしくないって思う。君を困らせている綺麗なばかりの正しさを、全身で肯定したいって思う。ただ報われて欲しいと思う。そんな風に無責任で軽い言葉を並べるだけしか出来ない僕だけど、頑張れって応援してもいいのかな』 認められたかった訳ではない。自分の正しさを証明したかった訳でもない。気休めではない、手段を求めていた。 それでも、その心を尽くした言葉一つで崩れかけていた”在りよう”が少しだけ報われた気がして、どれだけ救われただろうか。 『救いを求めてくれたのに、助けてあげられなくてごめん』 直視できなかった。泣いてしまいそうになった。十分だったのだ。 これは、呪いだ。少年も、だから躊躇ったのだろう。七色は、その愚直な生き方の切り替え時を逃してしまった。 そのことに、後悔はない。その精一杯の応援は、七色を支える大きな柱になっている。 『今は”シロちゃん”の物語の端役にしかなれない非力なばかりの僕だけど、もし、この先……ここではない何処かで君と出会い直す事が出来たのなら――』 それから続いたのは、あのもう一つの約束。 『――自己犠牲を厭わない心優しいシロちゃんを。誰かの代わりに傷ついてしまうシロちゃんを。そっと助けてあげられる主人公になりたいって思うよ』 この日、それはもう決定的に、七色にとって、少年は――シロくんは、特別な存在となった。
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