三章:本当の自分

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七色が求めた一定の距離を保ちながら散策する。お互いの近況報告はあっという間に終わり、恵流に至っては『変わりない』の一言で済んでいた。 二階に続く階段に差し掛かる頃、落ち着いた歩調で早足と言う器用な真似をこなす七色の背を追いながら周囲に隈なく視線を走らせる恵流の視線に案内板が入ってくる。 「結構大きな病院なんだね」 「そうですね。この五階建ての本館の他に、別館が三か所あります。病棟も二棟あって、大学病院にも引けを取らない施設が揃っています」 「やけに離れたところにこぢんまりとした建物があるみたいだけど、何か知ってる?」 「いいえ。案内板に説明が書かれていないのでしたら、病院の所有する施設ではないと考えるのが妥当です」 「ふーん? なんであれ、今日中に全部回るのは難しそうだ」 現実としての一日の自由が許されているなら、構内巡りに半日も掛からないだろう。だが、ここは非現実。 「通例だと、猶予は大体十分(ジュップン)前後かな」 「あたしとしては走っても構いませんが」 「病院内を走り回る学生風情を見たら、僕だったら常識を疑っちゃうね」 七色もそう思うからこそ、こうして歩行の状態を維持している。仮想世界と言えど、その舞台が敬愛する父親が務めている病院というのもあって、軽率な行動が取りづらい心情があった。 「言っている事は間違っていないですが……」 ――お前が言うなである。 「このペースでいいよ。焦って答えが見つかるものでもなさそうだし、見落としがあるか不安になって最初からやり直す羽目にでもなれば二度手間だ」 「そうですか」 現実から隔離されるという異常事態にあって、この落ち着きは七色には些か悠長にも思えたが、渦中に立つ恵流が言うなら従うまでだ。 「ふと思ったんだけどさ、これってどこまで行けるんだろう。例えば、同じ時間にログインしている菖蒲と合流したり出来るのかな」 「その点に関しては不可能と断言します。舞台によって差異はありますが、活動可能なエリアが設定されているようで、不可視の壁によって遮られています。基本的に他人の過去の再現には干渉できず、逆もまた然りと考えて下さい」 恵流は七色の回答をじっくり咀嚼する。その様子に七色が悪巧みを疑ってしまうのは、素行のせいだろう。 「それなら、この舞台の果てにも壁があるんだ?」 「……この場所が例外でなければ」 恵流が既に例外の塊である。七色はこの先、何が出てきても驚かない心の準備はしている。ただし、これは前振りではありませんと胸中で何かを牽制する七色だ。
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