三章:本当の自分

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 ◇   ◇   ◇ 平野恵流(ゲス)は第一設定世界にて発注されていた”あの”未解決クエストをクリアしていたらしい。 個人最強決定戦の開催日が迫っている現在にあっても、その仮説の熱が冷める事はなかった。 真偽を問い質そうにも肝心の相手が不在だったのも裏目に出ているのだろう。平野恵流の失踪は、表向きには家庭の事情として処理されている。 ほぼ同時期に一部の者たちの関心を集めた――鶴来菖蒲は性別を偽っているという噂。 良くも悪くも注目される立場にいる菖蒲を取り巻く噂は、既に校内に知らぬ者はいないまでに広まっていた。 興味のない者と暴論だと評する者が大多数を占める中、ごく少数ではあるが真に受けている者達がいる。得てして、そういった輩が無責任に尾鰭をつけながら残り火を絶やさないようにするものだ。 ――根底にあるのは悪意か、ただの好奇心か。 菖蒲は日々、いつまでも慣れやしない粘着質な視線を感じながら過ごしていた。 情報伝達の早い現代社会。口さがない言葉も、根拠に乏しい評判も、人が飲める程度に希釈する間もつもりだってなく本人に届いてしまう。ともすれば、抜き身のナイフとなって人を殺す事だってある。 その癖、他人との距離は近しいようで遠い。指先で行われる一方通行のお喋りが、近場にいる者でさえも遠くの誰かと錯覚させてしまう。 必然的に、その日は来る。いつも通り、体育の着替えをする為に教室から移動しようとした時だった。 それは、さながら審判を気取るように。 「なぁ、鶴来。ずっと気になってたんだけど、どうしてわざわざ場所を変えるんだ? 俺たちと同じようにここで着替えたらいいだろ」 形すら伴わない正義の執行が行われる。 「”女子じゃあるまいし”」 誰の為でもなく暴き立てた無辜の真実が、誰かを奈落に突き落とすとも考えず。いっそ酷薄に、考えた末に他人事と処理しているのか。 稚気に溢れた興味が、誰の意思に紡がれたのかも判然としない酩酊した集団心理が、菖蒲の進路を塞ぐ彼らを動かしていた。
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