五章 かがやく
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五章 かがやく

「千代先輩。おーい。風邪ひきますって」  名前を呼ばれて睡眠の沼から引き上げられた。呼ばれたのはお祖母ちゃんにじゃなかった。男? ああ、正宗くんか。 「お、おお」 「ほらまた、ベッドに移動してくださいね」 「ごめんー」  むくりと起き上がると頭が重い。空腹にビールを飲んでそのまま床の横になったのもいけなかった。いけないと分かっていてもやっちゃうのが人間。 「ちょっと……飲んじゃって」  そうみたいですね、とテーブルに転がる空き缶を片付けてくれた。 「大丈夫ですか?」 「少しだけ横になろうと思ったら、寝ちゃった」  正宗くんは水を持ってきて手に持たせてくれる。まるで水分補給の介助だ。 「これ飲んで」 「ありがと」  わたしが水を飲んだことを確認すると、ネギなどが入ったエコバッグを持ち冷蔵庫へ行く。やはり買い物に行っていたらしい。 「どうしましたか」  ビールを飲んで床で寝るなんて珍しいことではないのに、聞いてくれる正宗くんの勘の鋭さよ。 「ちょっと、落ち込むことがあってね。ヤケ酒をしちゃったよ」 「そうなんですか。ヤケ酒なんて千代先輩らしくない」 「そうかな。わたしらしくないかな」 「床で寝るのはいつものことですが、ヤケ酒はしませんもんね」  パタンと冷蔵庫を閉めて正宗くんはもう一杯水を持ってきてくれる。正宗くんが来てからヤケ酒を飲んだ記憶はないかもしれない。 「よく見てるね」 「分かりますよ。なにか、あったんですか」  わたしは苦笑しながらグラスの水を飲んだ。すぐに答えないわたしを問い詰めるでもなく正宗くんはキッチンで動いている。 「ご飯、食べますか?」 「うん」  すぐ作りますね、と正宗くんは用意を始めた。ひとが動く気配を感じながらまだ酔う頭で考える。病院でのことではなく、いまのこと。美味しいものを食べておしゃべりして、また眠ろうか。そうすればきっと元気になれる。わたしが元気にならなくちゃ患者さんを励ますことができない。  テレビを見ながら食事ができるのを待った。包丁の音、かき混ぜる音、焼ける音と匂い。それらが混ざって安心するひとつのかたまりになる。 思わずお祖母ちゃんを思い出してしまう。  こんな風にご飯の支度を見て、聞いていた。安心していた。涙が出るほどの幸せと安心に包まれていた少女の頃。 「あっさりしていてお腹に優しいものにしました」  正宗くんが作ってくれたメニューは雑炊と煮物、だし巻き卵。 「煮物は先日の残りですけれど」 「美味しそうだなぁ」 「食べましょう」  雑炊はお出汁がとてもしみていて、カニかまとお豆腐が入っていた。 「火傷に気をつけてください」 「おいひい」 「それはよかった」  ハフハフしながら雑炊を食べて、次に煮物の大根を口に入れる。これも美味しい。だし巻き卵は中心に黒い渦巻模様がある。 「これ海苔が巻かれてある」 「ああ、棚の奥に賞味期限ちょい過ぎの焼き海苔がありました。異臭もなかったので使いました」 「少々賞味期限切れでも食べられるもんね」 「そうですね。生ものは注意が必要ですけれど他は大体いけます」  適当でがさつなわたしは食品を冷蔵庫に入れっぱなしにした結果、賞味期限が切れてしまう。
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