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むせ返るほどの血の匂いが、狭い部屋に充満している。
「私は違う、私は違うのに、なんでこんな目に、私じゃないって、私じゃない。私じゃ。」
へたり込んだ私の前では、肩口を撃ち抜かれた女が倒れ込み、泣いている。
掴みかかられた首がおかしな音を立てている気がして、やっと収まってきた吐き気がぶり返してきた。
「まあ、確かに予定にあった女の子よりはとうが立ってますね」
ついでに顔も違いますね。と、ヤゴは何の気概もなく呟きながら女の襟首をつかみあげる。
悲鳴を上げながばたつく手足が、蠅みたいだなとジリジリ怒りの湧いてきた頭がそう言った。
「だから言ってんじゃん私じゃないって、売るはずだったのはもうあんたらが連れてったじゃん連れてったのになんで来るのよここに!」
あんたらが連れていったと、部屋に入ったとたん叫びちらしながら掴みかかってきた女は、荒んではいるがおそらくは20代、情報にあった長女だろう。
「売却予定の女の子は、一体誰が連れてったっていうんです?この商売自体、あんま知られてちゃまずいんだけど。」
「知らない、あんたの所の組の名前言ってたし、この話そもそもヤクザの人しか知らないはずだからって、家にいれたのよ父さんが、スーツ着た女だった、陰気な女だった、組員だってバッジも持ってた。あいつを連れて、あいつを。」
ひとしきり叫んだところで、女は地面に投げ打たれた、すすり泣く音が暗く狭い部屋に響く。
「そうは言われてもねえ、買い取るって約束していただいたんでね、まだ商品が手元に来ていないんですよ、これ信用問題になっちゃうらしいんですよね。俺よく知らないんですけど。」
ヤゴがちらりとこっちを見た。へたり込んでいた私は、平静を装って立ち上がる。
「今回の商品の売り先はもう決まってました。得意先へのメンツが丸つぶれですよ、亡くなってたのはお父様ですか、どう責任をとってくれるんです。」
「知らないよ……、そもそももう渡してあるじゃん、あんな小汚いのかくまったってしょうがないもん、渡した、渡したんだって確かに、確かめてよ。」
忌々し気に女が私を見る。肩に風穴開けてるくせにずいぶんと気が強い、変な脳内物質でも出てるんじゃないだろうか。
「別に一商品にそれ以上の価値もないだろうし、わざわざ騙くらかす意味ないと思うんですけどねー。ともかく現時点で組のほうに商品が収められてないのが事実なんですよ、わかる?」
言外に面倒だとにじませたヤゴが気だるげに告げる。
「で、母親とあんたの兄は何処にいるんです?」
「知らない……あの女、兄だけ連れて逃げたのよ、自分に似た跡取りの兄貴だけ連れて逃げたの、帰ってこないもの、きっとそうよ、あの女殺してやる、絶対殺してやるんだから。」
ブツブツと壊れたラジオみたいになった女をヤゴがどうした物かと見下ろしている。
「この女連れて帰ってもなんか価値あります?」
「価値自体はありますよ、人間平等に価値自体はあります。高いか安いかだけで。ただ料金を返してもらったところで、信用とか落とし前?ですか、そっちはまあ私の管轄じゃないですけど、そういうのがあるんじゃないですかね。」
使いようによっては、見目は関係ない、おしゃべりが多いの性分も、気性が荒い性格も付加価値として受ける層がある。
「どうしますお嬢さん、あんた売っぱらっても金にはなるってよ。どうなるかはわかんないけど。」
「嫌だ、私売るより先に妹探しなさいよ。あのスーツの女探して拷問なりなんなりして妹の居場所吐かせれば信用問題もクソもないじゃない。ツクモって女だったわ、ねえそれでいいでしょ、若い女よ、ねえ見逃してよ、こんなことで終わりたくない、終わりたくないよ。」
「ツクモねえ、そんな組員いましたっけ。」
「……さあ、私にはわからないな。」
「ツクモとしか名乗らなかった、代理のツクモですって、若い女、陰気で髪の長くて顔立ちの整った女よこれといった特徴無かったわ、でも本当よお願い見逃して逃がして終わりたくない終わりたくないんだよ。」
「わざわざ逃げず家にとどまって面と向かって「見逃して」って、逃げたら追い掛け回されることは分かってるんだ、利口だなー母親と違って。」
いやだ、こんなところで、まだ何もしてないのに、こんなことで終わりたくない。
そうわめく声が脳味噌を薄く撫でる。
心臓が早鐘をうった、ツクモという名字に覚えがある。
そうそう居る名字ではない、若い女で顔立ちの整った女としか特徴は聞けていないが、それも白千草の……白の特徴だった。
半年前の事件の日から姿を消している、白千草が何故組を騙すようなことをしているのか。
嫌な汗が背筋を伝う。
とうとう泣きわめき始めた女をヤゴが殴ったのを遠く感じる。それでも口は勝手に動いた。
「きっと、妹さんも、こんなところで終わりたくないと、そう思っていたでしょうね。」
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