4章「戻らない物事程、美しく映るよな」

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「あれ、烏羽は?」 テレビから視線を外すと、多木がリビングを覗き込んで来ていた。 人身売買商品強奪事件から2日後、心中は全く持って穏やかではないが世界は容赦なく回るし時間は進む。 ギロチン台前の牢屋にでもいるような心地ではあるが、日常を演出するための笑顔は忘れない。 「今日は出かけてるみたいだよ。何か用でもあった?」 「いや、いつもいるのに居ないから。」 のんべんだらりといった風に、擦るような足運びで向かいのソファに座り込んだ多木は「実家にでも帰ってるのかな」と独り言のように呟いた。 「烏羽はいまだに家族と音信不通貫いてるよ。」 高校の頃から、烏羽は親を嫌っていると公言していた。 親元を離れたい、その一心で一人暮らしせざるを得ない距離にある高校を選んだとまで言っていたのを覚えている。 「仲悪いよな、詳しくは聞いてないけど。事件の時も連絡してないんでしょ。」 「連絡しないでくださいっていメモを財布に常時入れてるんだよあの子。事件があったときは近所の人に被害者だってばれたらしくて、両親にばれる前に面倒だからって住んでたアパートとっとと引き払ったらしいし。」 「徹底してる。」 烏羽本人が言うには、母親の性格が悉く自分に合わないんだとか。 「烏羽って案外頑固なのよね、自分で言っといて引っ込みつかなくなってるのかな。」 「あんな事件の時ですら会うことなく音信不通貫いてるなら、頑固というかもう本当に嫌いなんじゃない……?」 それもそうか、と流しながらぼんやりと事件の時のことを思い起こす。 夜中に火急の手術を受けて、さあ準備して眠ろうかとリビングで寝支度をしている最中の事だ、携帯に警察から連絡があったのは。 初めとうとう年貢の納め時かと緊張しながら受け答えをすれば、 つい先日、近況報告した友人の名前を聞いてはじめ何が何だかわからず、仕事明けの疲れた頭も相まって持ちっぱなしだったマグカップを持つ手が大いに震えあたり一面にぶちまけたのを覚えている。 携帯にほとんどアドレスが入っておらず、親とわかる名前の登録もなかったため直近で連絡していた私に電話が入ったらしい。 めったにない苗字と年齢に、おぞましい事件の被害者がまぎれもなく友人のものだとわかる。 それでも、集中治療室に入っているであろうかの友人は、はたして無事なのだろうかと思いを馳せるだけだった。 私はただの友人だったし、脛に傷持ち、何なら烏羽の実家だってどこにあるのか大して知らなかったんだから。 何も私に頼らずともこの情報社会、いずれ家族に連絡がいくだろうし、本人が自主的に連絡する手もある、回復するまで時間がかかるだろうが。 とりあえず探偵社をアトリエに魔改造している多木の自室に乱入し、事件のあらましを早口に伝えたものだ。多木本人は、友人の惨状に私が嘔吐してしまったのかと慌て、服に散らばるのホットミルクの残骸を拭いていたのだが。 件の烏羽を見かけたのは、事件から大体2か月後の事だった。 見かけた彼女は、いつも目の下に這っていた隈を瞼まで広げて、まるで霞のような風体で立っていた。 出会ったのは本当に偶然で、街中の小さなビジネスホテルの前で幽霊のように佇んでいるところを、たまたま私が通りかかって見つけたに過ぎない。 「烏羽、だよね。」 思わず確認するように投げかけた言葉に、パサついた髪がフラリと揺れてこちらを見た。疲れ切り血の気のない顔のなかで、落ちくぼんだ目だけがギラギラとしている。 「……穂積。」 ひび割れた唇がひき上がる。 袖から見える手が、乾いた肉片のように張りが無い。 本当に、あの事件は烏羽の身に降りかかったんだと、やっと現実味を帯びて私に刺さったのがあの瞬間だ。 「あの時合わなかったらもう二度と会わなかったんじゃないかな。」 「奇跡的なめぐりあわせだなあ。もしかして烏羽、僕たちとはもう会わないって思ってたのかな。」 「それはあると思うよ、『白と一緒に居たのに、私だけがここにいる。』みたいなうわごと言ってたし。白が行方不明になった事と、それを阻止できたかった事を後ろめたく思ってたのかもしれない。」 「白か。白、どこ行ってるんだろうな。もっとみんなで集まって遊んでおけばよかったかな。」 「高校卒業して社会人になってから、文芸部全員で集まれることってグッと減ったしねえ。高校の時は嫌でも毎日顔合わせてたんだけど。」 重苦しかった空気が、青春の気配に染まる。思い出される高校の日々はどれも輝かしい、思い出というのは総じて綺麗だった。 「白が言ってたけど、廃部になってた文芸部再興させようって提案したのは烏羽らしい。」 「え、そうなの。私てっきり白が実行者かと思ってた。」 「文芸部に入りたいって言ったのは白らしいよ。基本白が立案したものを実行に移すのが烏羽って感じなんじゃないかな、作業分担みたいに。」 「急に仕事っぽい単語が。」 昔からあの二人は馬が合う。 会話の独特のテンポとでもいうのか、私にはわからないが、よく一緒にいたものだ。 そのせいもあって、こんなことになっているのだけども。 結局白が今どこにいるのかいまだわからずのままだ。 「同性で、親元離れて一人暮らしっていうのも拍車をかけたんでしょうね、あの二人の仲の良さは。あの二人長期休みの間は一緒に住んでたじゃん、烏羽のアパートで。」 「そういえば言ってたっけ。」 生活力が乏しい白の夏休みの惨状に、思わず烏羽が家に呼ぶようになったのが始まりだとか。 結局家に帰るのがめんどくさいだとか言って、3年間長期休みのたびに烏羽の家に住み着いてたはずだ。 「懐が広いというかなんというか。」 「夏休み中も僕ら何だかんだ集まってたし、ずっと二人きりってわけじゃないと思うけどね。懐かしいなあ高校時代、喫茶オリオンてまだやってるのかな。」 「あったねえ、オリオン。あのお爺さんまだ生きてんのかな。」 坂の上の喫茶店、抜けるような青い空に照り返す太陽。埃っぽい部室に生徒の声、さざ波の音に囲まれた海辺の街で私たちの青春は、まるで標本のようにそこにある。 いずれ思い出話をみんなで語れたら、これ以上の事はない。
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