6章「人間は多重構造。」

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6章「人間は多重構造。」

1月の外気は、まるで杭のように全身に刺さる。 冷たいを通り越して痛みを訴える鼻腔に、ぐっと眉間が窄まるのを感じた。 「流石にこんな時間だと、誰もいないね。」 「1月の日の出前の海じゃあねえ。」 ザリリザリリと足元で海水を含んだ砂が擦れる。 澄んだ空気のせいか、砂浜まで降りてきたせいか、いつの海鳴りよりも一層響き恐ろしい程だ。 「明日で冬休み終わりかあ、今日バイトないよね。」 「無いね、何かやりたい事でもある?」 「いつもみたいにのんびり過ごしたいなあ、またDVD借りてくるのもいいかもしれないね。」 暗い海面と薄白く光る空を背に、白はそう言って寒さを誤魔化すようにゆらゆら揺れている。 「多分、だけど。烏羽の部屋で過ごすのもこれが最後かな。」 「……。」 高校3年の冬休みが、今日終わる。 大学進学を決めた白と、就職へ進んだ私。 3年間住んだおんぼろアパートは引き払い、職場兼修行先になるフランス料亭の近くにアパートを取る予定だった。 「部屋はあそこじゃなくなるけど、まあぼちぼち会おうよ。」 「そうするよ……まあ明日から卒業までずっと顔合わせるしね。」 ふふ、と笑い漏れた吐息が白く伸びて消えていく。 本当は、あんなボロボロのアパートに長く人をとどめることになるなど思ってもいなかった。 当たり障りなく高校3年間を過ごして、就職して、その先はその時の自分にまかせて、根無し草のように生きていこうと思っていたのに。 この3年間で、ずいぶん部屋の中の物が増えた。 初めはまるで心臓が跳ねるような楽しさだけがあった、ポップコーンでも弾けるように嬉しさが体内をめぐり、叫び出したくなることが数えきれないほど。 そんな中ふと、気付いてしまった。 夢見心地の有頂天、それが終われば早急に頭が冷えた。 白も私も女で、友達で、勝手にだけど親友だと思っている人。 でも、この抱えてる気持ちは、もしかしたら親友ではなく違う感情なのではと。 こんなに話していて楽しいと思える人間もそうそう居ないと心から思える。 今までで一番楽しかった、だから勝手に脳が勘違いを起こしているんじゃないかと、友愛と恋愛の違いが判らなくなっているんじゃないかと。 勘違いだというなら、現状維持をするほかない。 いずれ自分で自分に、それは恋ではないと言い切れる時が来るまで。 そう思って、1年目を過ごした。 2年目になって、いつまでたってもこの気持ちが友愛だという確証が持てなかった。それどころか、友愛ではないのではないかという気持ちが大きく育った。 3年目で、確信した。 私が、恋をした。 この私が。 何よりも恋が怖かったのに。 この身に生まれて、恋から逃げられないのかと。 恋なんてものは愛欲に他ならないと、信じていて。 実際、私が白に抱く感情はそれだった。3年の間に思い知った。 自分の事が気持ち悪く、死んでしまいたいとい始めたのはいつ頃だったか。 焼け死んで、灰も残らずこの世から消えることができたらと思わずにはいられなかった。 それでも、同居ができるほど親しい『友人』を続けた。 なんとも不誠実で、誠実なことだ。 どうにか、この恋を終わらせたい。 白に告げて、こっぴどく拒絶されたらいいんだろうか。 いつからそんなこと思ってたの、と詰め寄られて、同居のために買った格子の茶碗も、橙の皿も、塗箸も、全部打ち捨てて逃げるように去ってくれたら。 そんな非道な事を考える自分が嫌いだ。 でも、それなら、どうすれば 「烏羽、朝日だよ。」 顔を上げる。 潤んだ視界に光が反射して、思わず目を眇めた。 煌々と輝く太陽が黒々とした海を割り、赤い道を作って来る。 刺し貫かれるようだった寒さは幾分鳴りを潜め、頬を温かさがよぎった。 その、直視すれば眩暈がするような光を背にして、白が私を見ている。 輪郭が光に解けて、消えてしまいそうだ。 海風が薄墨のような白の髪を巻き上げ、その先が頬をかすめた。 光に寄せ付けられる羽虫のように、末期の水を求める半死人のように、いつの間にか歩み寄っていたらしい。 嗚呼、これだ。精神に寄ることなく、体が勝手に動く。 だから嫌いだ、恋なんてものは。 歩みを止め、白の目を見つめる。 背に負った太陽のせいで翳っているが、光の強い場所だと微妙に赤みがかっていることがわかる稀有な目だ、目を縁取る長い睫毛は頻繁に目に入り込み、苦戦しながら取り除いていたのを知っているし、今は隠れている前髪の下、生え際のところに小さく薄いほくろがあることだって知っていた。 自分がどこまでも気持ちが悪い。どこまでも救えない。 それでも、隠し通して見せる。 「朝日を見たら、朝ごはんつくってDVD借りに行こう。最高の冬休み最終日にしようじゃないの。」 笑いかければ、白は微笑んだ。 こつんと肘で小突いてきた、その分を同じく小突いて返す。 それ以上は触れない。 触れてはいけない。
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