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この頃、京の雀たちの間には一つの噂が流れていた。
「五条の大橋に鬼が出る」
五条の大橋とは、京の東を流れる鴨川にかかる橋の一つである。
坂上田村麻呂の建てた清水寺のある清水坂を降りて、鳥辺野を通り、鴨川を渡って京に入る直前に渡るのが、「五条の大橋」だ。
その五条の大橋に鬼が出る。
あそこの誰が夜に五条から京に入ろうとする鬼に会った、そんな話が都人の間で飛び交った。
桓武の帝によって平城の京から、この平安の京に遷都されてまだ三十数年しか経たない。兄の帝から帝位を譲られて長く、良く治められた帝も、弟の大伴親王に今年帝位を譲られたばかりである。
新帝の即位は、先帝が良く治められただけに都人にとっては不安の方が大きい。
今でも南都・平城の京にいる上皇(平城上皇)は、剃髪されたとはいえ、相変わらず平城の旧京に再度遷都することを願っているという話は、絶えず平安の京にも入ってくる。
この鬼とは、即位できなかった、早良親王の祟りではないか。
いや、廃后井上内親王と廃太子他戸親王の祟りではないかという噂まである。
宮中にもその噂は流れ始めていた。兵衛府の衛人たちが囁きあった。
「これは、長屋王の祟りじゃないかね?」
「長屋王って天武天皇・持統天皇を支えた高市皇子のお子かね」
「じゃあ、飛鳥の頃の話かい?」
「いや、奈良の都の、聖武の帝の頃のことよ。長屋王と吉備内親王の夫妻は、藤原四兄弟によって滅ぼされた。政権を四兄弟で握ったはいいが、すぐにその四兄弟は全員流行病にかかって死んだんだ。あれは長屋王の祟りだよ」
「恐ろしいねえ。一番初めに死んだのが一番悪いやつかい?」
「きっとそうさね。一番初めに死んだのが、北家の房前」
誰かがそう言って、衛人たちは顔を見合わせた。
新帝を支える、朝廷の実力者こそ、藤原北家の閑院の大臣・藤原冬嗣である。冬嗣の曽祖父が房前本人である。
先帝が薬子ら藤原南家を制圧し、上皇を南都に封じてから十数年経つ。閑院の大臣は、その立役者の一人でもあった。
良く治めた帝が未だ若くして譲位され、それも多くおられる御子ではなく、異母弟君に譲位された。次なる動乱の予感を感じた者は少なくない。
新帝は京を鎮めようと京の南方、羅城門を挟んで、東側には空海に東寺を与えられ、西側には守敏に西寺を与えられた。
建設中のこの二つの寺は、まだ落成にはほど遠い。
本来ならば、西寺は最澄に開かせるはずである。ところが、前年、最澄が亡くなったので、最澄に変わって守敏に与えられたのである。
京都の東、霊山・比叡山で京を守っていたはずの最澄の不在が、京のざわつきをより大きくした。
そんな中の鬼の噂だ。
都人が動揺したのも仕方があるまい。
このとき、最澄の不在を埋めるかのように、空海が東寺建立のために京に滞在していた。
これは幸いとばかり、都人は空海に助けを求めた。
空海は訴えに耳を傾け、しわの多い顔をかすかに綻ばせた。
「そうか。鬼を建設中の南大門に置く仁王像に封じよう」
東寺の正門は九条通りに面した南大門である。
もともと、空海は南大門には二対の仁王像を置くつもりでいた。
空海は、その仁王像に鬼を封じようと言った。
空海が高野山に彫刻のための木の手配をしたのを見て、都人はこれで救われようかと胸をなでおろした。
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