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鬼。
鬼。
鬼。
鬼ならば、何を好むだろうか。
やはり女か。
篁は鏡の中の自分を見た。
子供の頃は、女と間違えられたものだったが、まだかろうじていけるだろうか。ヒゲをきれいに剃ろう。
女の形をして八又の大蛇を退治した須佐男命。
女の形をして熊襲建を討伐した小碓命。小碓命はそののちに日本武尊と名乗るに至る。
最後に、女の形をして京の鬼を退治した小野篁。
篁は自らの名前を伝説の英雄たちに並べて飾ってみた。
良い。
実に良い。
小野の邸宅には、来るべき妹の裳着に備えて、女の衣がたくさん作ってあった。篁はその中から一揃えを失敬し、さらに一緒に置いてあった紅も失敬してつけてみた。
悪くない。
悪くないどころかうっとりしてしまう出来ではないか。
いつも傍にさしている飾り太刀ではなく、陸奥に古来から伝わる蕨手刀を腰に差し、上にさらに女物の袿をひっかけて裳をつけた。
全身を写す鏡はない。
篁は、今の六尺を超える自分の身長が、女にはあり得ない高身長であることをすっかり忘れていた。小さな妹の袴も裳も裾が足りず、ニョキッと、鶏ガラのような男の白い足が二本のぞいていることにも気づかなかった。
髪は髻を解かずに、市女笠を被ることにした。市女笠につけた虫の直垂があれば髪の短い男だとわからないだろう。
夜になり篁はワクワクしながら市女笠を被って五条通りを歩いた。
小野の邸宅の土壁はそのまま飛んで越えた。
大殿油を使い、門には松明を使う小野の邸宅を出れば、光の灯る家々は多くはない。そんなことができるのは貴族に限られる。
市井の人々はせいぜい、囲炉裏を囲むくらいのものだ。
目が闇になれた。
噂のせいだろうか。時間のせいだろうか。人っ子一人影も形もない。
耳を澄ませれば鴨川の流れが聞こえた。
左京ももう外れである。この五条の橋の向こうは鳥辺野だ。
遺体を荼毘にふすのが、この清水寺の周辺に広がる鳥辺野と呼ばれる地域である。
四条の大橋の先には八坂神社がある。
だが、五条の大橋の先は別だ。
八坂神社の境内から南側、清水寺から西に降りたところに広がる鳥辺野はまさしく異界である。
死者の住む黄泉の国と生者の国をへだてるのが黄泉比良坂だ。
都人にとって五条の大橋とは、この黄泉比良坂にも等しい存在なのだ。
それを思い起こせば、日中でもここを通るのは、坊主や遺体を運ぶ籠かきくらいだとようやく気付いた。
「ここを通るのは、そもそもが鬼か」
しかし、篁の好奇心が勝った。
どんな鬼が通るのだろうか。
単純に橋を往復しても面白くない。あまり得意ではない、篠笛の練習でもしようと、笛を吹きながらゆっくりと歩いた。
あまり得意ではない、と篁は謙遜してみせるが、自らの指の運行や音色に気をとられることなく、篁はピンとあたりの様子を探り続けた。
しかし、五条の大橋には鬼どころかネズミ一匹通らない。
篁は十度ゆっくりと橋を往復して、諦めて帰った。
翌日も仕事はあるのだ。
若い篁は泥のように眠った。
次の晩も篁は女の形をして、篠笛を吹きながら五条の大橋をゆっくりと往復した。
それを繰り返すところ五晩である。
鬼には会えぬが、篠笛は少し上達したのではないだろうか。
良房にでも聞いてもらわねばならぬかな。
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