五条の大橋で鬼退治!?

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 良房は次の晩もその次の晩も日暮れ前に小野の邸宅に入った。  篁を女の形にして、美しい美しいと愛でる。  篁は篁で、横笛を吹けば良房に褒められ、悪い気はしない。  篁の横笛に良房が琴を合わせるのが実に楽しいのだ。  それにほんの少し酒を合わせるだけで、実に心地が良い。 「遅くなりすぎると皇女の上が心配する」  そう言って良房は夜中に帰っていく。  皇女の上はまだ齢十五。 「妹の順子よりは年上だよ。でもまだ子どもなんだ」  初夜に大変怯えられて、まだ男女のことができるお方ではないと良房は語った。 「上皇さまから預けられた皇女だ。無理強いすることなどできぬ。時期が熟するのを待つよ」  良房は共寝をさせてもらえるところまではきた。最近は肩を抱きしめても怖がられないと篁に笑ってみせた。  良房は皇女の上がおられるので、上皇のお顔を立てるためには、あまたある側室に、側女に、妾にという話もすべて断るしかない。しかし、その皇女の上は何もさせてくれない。 「我が生殺しにあうだけだ。仕方あるまい」  そう良房は笑った。  相槌を打ちながら、篁は良房にはもう一つ困ったことがあるだろうと思う。  春の潔姫降嫁と、二ヶ月前の譲位は、二つ合わさって政争の種を蒔いたと言える。皇位の継承である。  上皇が異母弟君に譲位した最大の理由は、この今上が平城・嵯峨両上皇と同母妹腹の御子をあげられたことである。つまり、桓武の帝と乙牟漏の皇后の血を、最も濃厚に受け継ぐ御子こそ、この今上の帝のお子、恒世親王である。確かに、上皇には、異妹腹の御子がおられる。しかし、才気煥発な恒世王と異なり、この御子は五歳になっても座ることが容易ではなく、いつもにこにこしておられるが受け答えも満足にできず、帝位を継ぐにはふさわしくないと見なされた。このときから生母の内親王も廃妃になり幽閉されておられる。  恒世王に繋ぐための、その父君大伴親王への譲位であった。  嵯峨上皇は譲位にあたり、恒世王を「恒世親王」と呼び、太子に封じて内裏を去られた。  しかし、上皇が皇太后橘氏を伴って朱雀院にお入りになった直後、今上がまず第一になさったことは、我が子恒世親王に太子を辞退させ、兄上皇と皇太后の御子、正良親王を呼び入れて太子とした。  全ては、恒世親王を皇位争いから守るためだ。  今上は今すぐにでも譲位したいそぶりを見せられるが、人の子には変わらない。何年も帝位にあれば、その座に恋々として、我が子恒世親王にその座を譲りたくなった場合に、どうなろうか。  立太子を辞退された恒世親王だが、一度は太子に封ぜられたことのあるお方である。帝位の承継に理由はいくらでもつけられる。実際に、正良親王は虚弱、恒世親王は祖父の桓武の帝のように頑丈なお方だ。  上皇・皇太后も、現太子・正良親王はお二人の御子なのだ。自ら最後に出した勅令を次の瞬間に翻されたと知っても、激怒はされず、お認めになった。数年後に正良親王を廃太子とし、恒世親王を太子とすると言われたらどうなさろうか。  仮に上皇・皇太后、そして今上が恒世親王の即位に同意されても、もしくは上皇がお隠れになった後であったとしても、現太子の正良親王本人は諾々とそれをお飲みになるだろうか。  篁の目には、明らかに争いの芽が見えていた。  正良親王派と、恒世親王派が争う場合のことである。  恒世親王は、母が桓武天皇の内親王であり、有力な外戚を持たない。  正良親王は、母が皇太后橘氏であり、橘氏で有力なのは、皇太后の従兄の橘逸勢くらいのものか。しかし、正良親王の異母妹が降嫁した先は藤原北家である。  皇族の次世代と同時に藤原北家の次世代に目を移せば、良房は同母兄の長良に先んじて殿上を許された。閑院の大臣を継ぐのは目の前にいる良房だろう。  良房の妹の順子の東宮への入内の準備が進められているとも聞く。閑院の大臣が正良親王の即位に向けて全力で走るのは明らかだ。  良房は目前に迫る政争をどう潰していくのか。その報酬が、触らせてくれぬ皇女の上一人では釣り合わぬだろうに。  篁は、帰っていく良房の背中を見送りながら、駙馬(ふば)(注 中国で公主の夫に与えられる号)殿も大層な苦労をするものだ、そのような僥倖(ぎょうこう)を得ずにすんで心底良かったと胸をなでおろした。
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