五条の大橋で鬼退治!?

11/12
24人が本棚に入れています
本棚に追加
/12ページ
 良房は噛んで含めるように、篁が女の格好をするに至った経緯を説明した。良房の口は、これまでの人生の中で一番ではないかと思われるほど回った。  潔姫は納得したのだろうか。  妻たる人は抱きしめて寝ることしか許してくれない。立場上、他の女を抱くこともできない、その生殺しの状況の下、女の格好をした篁と合奏するのが唯一の楽しみだったとは死んでも知られてはならない。  これは篁本人にもである。  内心では冷や汗の洪水に見舞われつつも、良房は穏やかな表情も声色も一つも変えない。  とうとう、潔姫は言った。 「文書生は、五条の大橋に出た鬼退治をしようと、須佐男の真似をなさったと」 「それで我は、女の様子を、この文章生に、きちんと、そう、きちんと、仕込んでいた。そういうわけです」  訝しげに潔姫は篁を見て、篁がウンウンと頷いた。  良房は平伏しながらたたみかけた。 「これも全て、京の平穏のため、帝と上皇さまのためでございます」  潔姫も、さすがに父の上皇を出されれば引き下がるしかないだろう。  良房に言いくるめられたのか、潔姫は真顔で答えた。 「ならば、どうして女に聞きませんの。適役がここにおりますでしょう」  体を起き上がらせた良房は、小柄な皇女・潔姫が胸を張ったのを見た。 「背筋をきちんと伸ばしなさい」  ぐしゃぐしゃの頭のまま、潔姫は置いてあった小ぶりの刀を手に取り、鞘ごとピシッと篁を叩いた。潔姫はこの刀の柄が蕨の新芽のような形で手から抜けにくいことに気づいた。 「手の所作が粗いですよ」  潔姫がまた蕨手刀で篁をピシッと叩く。  篁が愛用した蕨手刀は、潔姫にとっても実に良い得物(えもの)になってしまった。  篁の鬼退治は「女になりきることができません」と半べそをかいて潔姫に音を上げたことで終わった。潔姫は名残惜しそうに蕨手刀を置いた。  篁にとっては、体は痛くもかゆくもないが、「特別な」体験であった。  良房にとっては、小柄な潔姫が大柄な篁を打ち、ほんの十日ばかり前に盗人を二人も叩きのめした篁が半べそをかいた様子は強烈な印象を残した。  この晩、小野の邸宅からの帰り道のことである。  牛車の中で、潔姫がチラチラと良房を伺う。  潔姫はぐしゃぐしゃになった髪を、いちおう髻のようにしてみせて、ぶかぶかの直衣を着て、それでもキリッと座るのである。  良房は隣に座る潔姫を見ないわけにもいかないし、見れば見たで笑いを堪えるのが苦痛である。  また、嫉妬にかられてこんなことまでなさったかと思うと、恐ろしいお方だと思うと同時に、かわいいようにも見えてくる。 「皇女さまは、小野の姫に嫉妬なさった。我は光栄に思うべきでございましょう。この良房の上にお気持ちを抱いてくださっておられたか」  潔姫はぽつぽつと語った。 「昼間は親しく過ごすようになりました。しかし、」  潔姫はそこで口ごもり、牛車の車輪の音にかき消されそうな小さな声で付け足した。 「…お側におられない晩は、不安になります」  良房がそっと潔姫を抱きしめると、潔姫はぎゅっと抱き返したあげく、そおっと良房に口づけをした。 「毎晩帰ったではありませんか」 「…夜は遅いし、どこにおられるかも教えてくださらない」  そう言って潔姫は良房の胸に顔を埋めた。 「我が全面的に悪うございました。今後、官職を得て宿直をするとき以外は、必ず皇女さまの元に帰ります。この先は皇女さまお一人と誓いましょう」  良房は潔姫にそっと口づけを返した。  染殿に着いたことにも若い夫妻は気付かず、従者が咳払いをして我に返り、見つめあい、暗闇の中で頬を紅く染めた。   良房は、その後も降って湧く縁談を固辞し、染殿の家女房たちからも距離を置いた。  その後、染殿の大臣(おとど)・藤原良房は承和の変を乗り切り、人臣初の摂政・太政大臣まで登り詰め、藤原北家が「摂関家」となるに至る基礎を築いた。だが良房は生涯この潔姫以外に妻妾を持とうとはしなかった。良房の直系の子女は、潔姫が生んだ明子(あきらけいこ)ただ一人。清和天皇の生母、染殿の后とはこの明子のことである。  人は、染殿の大臣は、正室の皇女・潔姫に遠慮をなさったと言う。  一方、篁は刺激に満ちた人生を送ることになる。  篁の予想した正良親王と恒世親王の皇位を巡る政争は、恒世親王の早逝により起きなかった。しかし、即位した正良親王(仁明天皇)は、我が子道康親王を差し置いて、先帝淳和上皇の御子の恒貞親王を太子とした。これにより、かつての正良親王と恒世親王の関係と全く同じ構図を生み出してしまう。  結局、仁明天皇の父、嵯峨上皇没後に恒貞親王を廃して道康親王を太子にした。この承和の変で利益を得たのは、道康親王の伯父・良房である。篁は、東宮学士として恒貞親王に仕えていた。  その後篁は遣唐副使として渡航することを拒み、島流しにもあう。何の因果か、篁が流刑地から戻った後に東宮学士として仕えた相手は、かの道康親王だった。  篁は女装こそやめたが夜の徘徊は島流しの前後を通じて、そして良房政権の下で参議・左大弁となり死ぬ間際まで続いた。鬼を探し続けていたのだろうか。  人は、篁を「野狂」と呼んだ。野狂・参議小野篁は日中は朝廷で官吏として働き、夜は地獄で閻魔大王の補佐を務めると噂する。
/12ページ

最初のコメントを投稿しよう!