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出会いと想い
★クラウル
リリアン・アドコックとその従者の刺傷事件は、発生十分後に騎士団員によって発見された。ゼロス捜索の為、事件現場からそれほど離れていない場所で夜警をしていた者が悲鳴を聞きつけたのだ。
騎士団の処置室へと走り込んだクラウルは、丁度出てきたエリオットを捉まえる事ができた。
「被疑者の一人が刺されたと聞いた」
「えぇ」
「容態は」
「重傷、ですね。二人とも一命は取り留めましたが、意識がいつ戻るかはわかりません。それを含めて報告会を行いますから、来て下さい」
焦る気持ちを押し堪えて、クラウルはエリオットに続いて小会議室へと入っていった。
小会議室にはランバートやファウストが揃っていたが、シウスは何故かいなかった。だがそれは織り込み済みなのだろう。構わずエリオットからの報告が始まった。
「リリアンの傷は腕の裂傷と、胸への刺し傷で重傷。命は取り留めました」
「胸を刺されてか?」
ファウストは驚いた顔をするが、エリオットは苦笑して頷いた。
「彼女は胸が豊かだったので、ナイフが臓器にまでは達していませんでした。刺した方も狙ったわけではなく、とにかく刺したという荒っぽい感じでしたから」
「そうか」
男だったら、危なかったのかもしれない。
「ただ、傷は残るでしょう。刺したのは五センチほどの果物ナイフだろうと思いますが、刃ががたついているのか傷が歪でした。女性としてはとても、辛い傷になるでしょうね」
エリオットは視線を僅かに伏せる。それでも出来うる限り綺麗に縫合はしたのだろう。相手が例え被疑者でも、後のことをちゃんと考えている優しい奴だ。
「彼女よりも従者の方が危険でした。傷は背中から一カ所。体当たりするように刺したのか、傷の周囲に痣まで出来ていました。刃の先端は肺に達して、しかも先端が折れて体に残っていました」
「重傷だな」
「一命は取り留めましたが、暫くは動く事もままならないだろうと思います。二人とも、意識が戻るのがいつかは分かりませんし、まともな尋問も暫くは許可できません」
そうなると、ゼロスの居場所を聞き出す事なんて無理だ。この事件の犯人がベアトリスと仮定すると、ゼロスは無事なのだろうか。今すぐ探し出したいのに、居場所が分からないのはもどかしい。
「モニカ・ウィンストンを尋問するしかありませんね」
ランバートの言葉に、クラウルは頷く。だが、既に深夜だ。例え緊急事態でもこんな時間に貴族の邸宅を叩けば門前払い。余程強い令状を取り付ければ別だが、早くて明日の朝になってしまう。
だが一つ安心材料もある。おそらくベアトリスは今の今までゼロスの居場所を知らなかったのだろう。想定していた場所にいなかったから、リリアンを襲ったに違いない。そうでなければ襲う理由がない。
それでも急がなければ。リリアンを襲って、ベアトリスが居場所を知ったかもしれない。自らの命が脅かされているのに喋らないなんて、そこまでの意志は彼女にはなかっただろう。
現場に落ちていたバスケットには、水とパンが入っていた。そしてリリアンは隠しポケットに二つの鍵がついた鍵束を持っていた。
推測だが、あの水とパンはゼロスへ持っていこうとしていたんじゃないか? そうでなければ誰に渡すつもりだったという。そしてこの鍵は、監禁場所の鍵じゃないのか?
何にしてもモニカしか居場所を知っている可能性のある人物がいない。人海戦術で探してはいるが、限界がある。
「ベアトリスがゼロスの居場所を見つけていたら、明日では遅すぎます。この鍵がどこのものか、なんとしてでも突き止めないと」
「だが」
どうやって突き止める。家の名前も、番地も書いていないありふれた形の鍵だ。この鍵のでもとを探るのだって時間がかかりすぎる。
焦りが胸に焦げ付きそうな程に募っていく。その時、バンッ! と派手な音と共にシウスが肩を上下に喘がせながら入ってきた。
「シウス、どうし……」
「クラウル、行け!」
ドンと胸に拳を押し当てるようにするシウスの手には、一枚の封筒がある。それを恐る恐る受け取ったクラウルは、中を確かめて目を丸くした。
「お前、これ……」
「特別捜索令状じゃ。しかも、陛下の印じゃ。この時間にオスカルを使って陛下を起こして事情を説明など、クビ覚悟じゃ」
「当たり前だ!」
既に休んでいる王をたたき起こして事件の詳細を説明し、更に直筆の捜索令状書かせるなんて普通はその場で首切られる。
こんな無茶をしてくれたシウスに、なんて感謝すればいいか。シウスはニッと笑った。
「陛下からの伝言じゃ。『愛しい者一人守れない奴は、幼馴染み失格だからね』だそうじゃ。リリアンの事件が今起こった事もあっての令状じゃ、しっかり仕事してこい」
「感謝する!」
「ランバート、数人連れてクラウルについていけ。馬車も用意して、連行準備しておけ」
「分かりました。クラウル様、五分ほど時間をください。必要そうな人は集めてあるので、通達だけしたら俺は動けますから」
「分かった。ランバート、ファウスト、すまない」
素直に礼を言えば、ファウストは「気持ち悪い」と苦笑し、ランバートは素直に笑って一礼して出て行く。
そうしてきっちり五分後、クラウルはランバートを伴ってモニカの屋敷へと向かっていった。
案の定、深夜の来訪者は思いきり嫌な顔をされた。屋敷の執事はクラウルの事を礼儀知らずという顔で見たし、主人は令状を見せて渋々と言った様子でクラウルとランバートを室内に入れた。
そうしてモニカ本人と、彼女の従者が揃って応接室に来たのは三十分後の事だった。
「騎士団って、本当に礼儀知らずですわね。こんな夜中に呼び出すなんて、何事ですの?」
「リリアン・アドコックが何者かによって刺されました。腕や胸を刺され、重傷です」
とりあえず格好を整えてきたモニカにクラウルが伝えると、彼女の眠気は一気に覚めたのだろう。瞳が大きく見開かれ、顔が引きつるのが分かった。
「どうして、リリアンが」
「夜間、従者と二人で何処かへ向かう途中で何者かに襲われたようです」
「答えになっていませんわ! 誰がリリアンを襲ったというの!」
「……お分かりでは、ありませんか?」
言葉は丁寧に、だが鋭い視線で問いかけるクラウルに、モニカはグッと言葉を飲んだ。可愛らしい人形の様な顔に、今は苛立ちや焦りが見えている。随分いい顔だ。
「分かりませんわね」
「そうですか? 何となく分かっているからこそ、焦っているのでは? 次は自分が襲われる番かもしれないと」
「そんな事はありませんわよ」
強気に言うモニカだが、苛立ちは募っている。下手を打たない賢さはあっても、動揺まで隠せるような女狐ではないということだろう。
クラウルは頷いて、懐から一枚の紙を取り出した。
「モニカさん、これはとある事件に関わったとみられる貸し馬車の履歴です」
モニカの前に出したのは、代行屋がゼロスを攫った時に使ったとみられる馬車の、貸し出し履歴だった。そこには利用したい日付と時間帯、予約者の名前と捺印がある。
これを見たモニカは意外と動揺はしなかった。
「貴方はこの馬車を、この日、この時間に利用しましたか?」
「いいえ。これは知り合いが馬車を使いたいけれど自分で借りたら旦那にバレるといわれ、私の名前で予約したものよ」
「ほぉ。ちなみに、貸した相手は?」
「ジャクリーン・アビントン」
なるほど、そうきたか。
つまり、知り合いのジャクリーンに頼まれてモニカが馬車を借りてあげた。その後その馬車をジャクリーンがどのように使ったかは知らない。そういう事だろう。
だが、言い逃れなんてさせない。彼女がゼロスに繋がる、今唯一話せる相手なのだ。これを逃したらゼロスはベアトリスの手にかかってしまうかもしれない。
クラウルの目が険しくなっていく。
「では、ジャクリーンがこの馬車を利用し、事件を起こしたと?」
「そもそも、その事件を知りませんわ」
「では、こちらはどうでしょうか」
クラウルはもう一枚の紙を、モニカとその従者の前に出した。そしてこれには、モニカも僅かに奥歯を噛んだ。
「これは、その事件の実行者でもある代行屋が持っていた、荷の受け取り完了の証明です。日付と、送迎者ゼロスを引き渡した旨が書かれ、そこに貴方の従者のサインがある。貴方は知らなくても、貴方の従者は確かに荷を受け取っている」
「私は関わりない事よ」
言い切ったモニカを見る従者の顔が引きつっている。明らかに何かを言いたげな顔だ。
「あくまでも、知らないと」
「えぇ」
「分かりました。では、貴方の従者はこちらで重要参考人として出頭していただきます」
「構わないわ」
「……それと、彼が事件で使ったと思われる馬車の内部も一応確認させていただきます」
「えぇ」
ランバートに目で合図をすると、ランバートは立ち上がり従者の男の手を引く。従者は慌ててモニカを呼んだが、モニカ本人はまったく応える気がないと目も合わそうとはしなかった。
「では、簡単な確認をさせて頂きます」
「まだですの?」
「えぇ。なにせ騎士団の者が姿を消し、それに関わっているとみられるリリアン嬢が襲われている。そこに多少なりとも貴方も関わっているのですから」
ふて腐れた子供のようなモニカに伝えると、クラウルは一つずつ事件当時のアリバイを確認していった。
「一昨日の夕方から夜にかけて、貴方はどこにいましたか?」
「家にいたわよ」
「誰か、それを証明出来る人は?」
「執事にでも聞いてみてくださる?」
「分かりました」
丁度戻ってきたランバートが隣りに座る。そして執事にアリバイ確認をと伝えると、無言で再び出て行った。
「ちなみに、従者の様子がおかしいなど、気付いた点はありませんか?」
「特には」
「ゼロスとの関係は?」
「さぁ?」
「特別恨みに思う事もなく、犯罪に加担したとは考えられませんが」
「ジャクリーンにでも唆されたんじゃなくて? あの人、男に飢えていたし」
「……ゼロスに恨みを持っていたのは、貴方ではないのですか?」
ジロリと睨み付ける暗い瞳は、人形の様な彼女からは想像できない陰険な表情を作り出す。己を繕う事ができなかったのだろうか。
「貴方とゼロスとの間に、交際を巡るトラブルがあったことは聞いています。それで、恨みに思ったのでは?」
「恨み? そんなものありませんわよ。確かにゼロスとは昔交際していましたが、別れてもう何年も経ちました。今更ですわ」
「その割に、嫌な顔をしますね」
「思い出したくない事でしたので」
ツンと突っぱねるような態度を取るモニカを前に苛立ちは募る。が、ここで押してもおそらく状況は変わらない。いずれ彼女は引っ張れるだろう。今頃従者や執事から話を聞いている。特にあの従者は怯え、戸惑っていた。そのうち全部話す。
その時、席を外していたランバートが深刻そうな顔で戻って来た。
「クラウル様、話が聞けました」
「どうだった?」
「当日、モニカ嬢はこの屋敷にはいませんでした。従者の男と二人で夜間に外出し、そのまま翌日の朝まで戻らなかったそうです。時間的に、ゼロスの引渡がされた時間に、彼女は従者の男と一緒にいたことになります」
「な!」
モニカは思わず腰を上げてランバートを睨む。そんなはずはないと言わんばかりの様子に、ランバートの冷静で冷たい青い瞳が射貫くように彼女を見た。
「執事が主人の前で、主人に問われて答えた事です。貴方のお父様も、度重なる娘の不良行動に頭を悩ませていたようですが、これで踏ん切りがついたそうです。自らの行いの責任は自らが取るべきだと仰っていましたよ」
「嘘よ!」
「それと、従者の男からも話が聞けました。その日、確かにモニカ嬢を連れて西四〇三通りで男を馬車に乗せ、西五〇七番地の元飲食店へと、リリアン嬢の従者と二人で地下に運んで用意された足枷を嵌めて放置したと」
西五〇七は最初の受け渡しがされた四〇三通りから馬車で十五分程度奥へと入る、より奥まった場所だ。流石にそこまで捜索の範囲を広げてはいなかった。旧市街と呼ばれるくらい空き家の多い区画で、確かめられていない場所。このまま捜索していたらそこまで手が回るには数日かかっただろう。
モニカは可愛らしい仮面を完全に剥がされ、目は鋭くクラウルとランバートを睨み、口元はギリギリと食い締めている。
その前で、ランバートはハンカチに包んだ物をモニカに見せた。それを見たクラウルは、心臓をグッと掴まれた様な苦しさに息が出来なかった。
「従者の言っている事は、事実でしょう。貴方の馬車にゼロスは乗っていた。そしてそこに、貴方もいた。このカフスには僅かに血がついている。同じく血の付いた毛布が、焼却用のバケツの中に残っていました。そして、貴方が履いていた靴の裏にも血痕が付着していました」
「それがゼロスの物だって誰が証明できますの! そのカフスは私の!」
「いい加減にしろ!!」
頭に血が上り、怒りが腹の底からわき上がってくる。ドクドクと血が加速していくのを感じ、クラウルは自らの右の耳の髪をかき上げた。
瞬間、モニカの目が丸く大きく見開かれた。
「これはこの世にただ一つ、俺があいつに贈ったものだ。唯一無二の、ゼロスの物だ!」
ジェームダルへと赴くあいつとの繋がりが欲しくて贈ったカフス。所有の印のようなそれを、ゼロスも大切にしてくれていた。
「ランバート、そいつを引っ張る。俺はこのまま西五〇七の飲食店跡へと向かう。こっちを頼む」
ハンカチに包まれたカフスを、ハンカチごと手に取る。キラキラと光るフレームの端に、僅かに血痕と思われる物がついていて、固まっている。怪我をしている。早く、助けにいかなければ。
「一人での行動は駄目です、クラウル様。何かあった時に人手がいるかもしれません」
「……分かった」
真剣な目をしているランバートの目は、とても心配そうだった。見れば目の下に隈まで作って。
コイツもゼロスを案じてくれている。同時に、クラウルの事も。
応接室を出ると数人の隊員が動いていた。モニカの部屋を調べている奴や、馬車を調べている奴、容疑者を連行している奴だ。
「コンラッド」
「クラウル様、ゼロスの居場所が」
「分かっている。すまないがここを頼む。俺はこのままゼロスを迎えに行く。ランバート、レイバン、チェスターを借りる。それとすぐに宿舎に人を出してエリオットに例の住所に来るように言ってくれ。怪我をしている可能性が高い」
「分かりました」
すぐに動いてくれるコンラッドのおかげで、レイバンとチェスター、動きの速い奴等が揃った。そして四人連れだって、ゼロスの監禁場所へと向かう。
もう少し、あと少しの辛抱だ。どうか、無事でいてくれ。
胸のカフスに一瞬触れたクラウルは、より速度を上げていくのだった。
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