不本意な顔合わせ(クラウル)

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不本意な顔合わせ(クラウル)

 春が近くても、まだ日が落ちるのは早い。  自室でゼロスの帰りを待っていたクラウルは時計に目をやり、眉根を僅かに寄せた。  時刻は七時。約束の時間から一時間が過ぎようとしている。 「遅いな……」  ゼロスはこれまで、約束を反故にしたことはない。それは小さな約束でもだ。もしも都合がつかないなら、それなりに伝言なりを伝えにくるはず。それすらも今日はない。  夕食の約束は、ゼロスからだった。実家で食べてきてもいいと言ったが、ゼロスは「アンタと食べたいんだ」と言ってくれた。  なのに、その当人が帰ってこない。  黙っているのも心配になり、クラウルは部屋を出て食堂へと向かう。その途中で、コンラッド達に出会った。 「クラウル様、どうしました?」  すぐに声をかけてきたのはランバートだ。彼に異変を気付かれるくらいには、動揺していたのかもしれない。暗府の長が、情けない。 「ゼロスが戻ってこなくてな。見なかったか?」 「いえ? 見たか?」 「いえ。ですが今日は実家に帰っているのでは」 「あぁ。夕飯の時間には戻るから、一緒にと約束して出たんだが」 「ゼロスが約束を反故に?」  ランバートも違和感を感じたのか、近づいてきたコンラッドに視線を向ける。話は聞こえていたのだろうコンラッドも、僅かに眉根を寄せた。 「あいつが約束を一方的に破るなんて、あまりないんだがな」 「俺もそう思う。何かあったのか?」  ランバートの言葉に、心臓がドキッとした。嫌な予感が増したように思う。 「まぁ、実家に帰っているからな。夕食無理矢理誘われたとか」 「それなら連絡くらいしないか? クラウル様待たせてるのに」 「あぁ、いや。あいつも子供じゃないからな」  そうだ、まだ七時。外は暗くても門限までは十分に時間がある。ゼロスも子供ではないのだから、予定が狂う事だってあるだろう。  クラウルは無理矢理笑みを作って、コンラッド達と別れて食堂へと入った。  シウスやオスカル、ファウスト達と食事を取って部屋に戻っても、落ち着かない気分は増していくばかりだ。時計を見る回数が自然と増えていく。ドアを開けて、少し疲れた様子で「ただ今帰りました」という期待を抱いているのに、なかなかそれは現実にならない。  時計が八時を過ぎた頃、居ても立ってもいられずにクラウルはゼロスの部屋へと足を伸ばしていた。  ゼロスとコンラッドは同室だ。その部屋を訪ねると風呂を済ませたのだろうコンラッドが夜着のまま出て来て、クラウルを見て驚いた顔をした。 「もしかして、まだゼロス帰らないんですか?」 「こちらにも帰ってきていないのか?」 「えぇ、まだ。流石におかしいな……」  不安そうな顔をしたコンラッドがバタバタと部屋に戻り、格好を整えて出てくる。そして、クラウルを見て頷いた。 「ゼロスの実家、行ってみましょう」 「だが……」 「ここから三十分くらいですし、往復したって門限までに間に合いますよ」 「そう……だな」  ここで悶々として待っているよりは、迎えに行った方がいい。もしかしたら何かしらの体調不良かもしれないし、酔い潰れたという事もありえる。昨夜は寝不足だっただろうから、眠り込んでいるのかもしれない。  でも何処かで感じている。何か、あったんじゃないかと。  コンラッドを伴って向かったゼロスの家は暮らしやすい、明るい雰囲気のある家だった。  まずは家族ぐるみの付き合いがあるというコンラッドが前に立ってノッカーを叩くと、中から壮年の男性が姿を表した。 「コンラッドくん?」 「夜分遅くにすみません、おじさん。ゼロスいますか?」  どうやらこの人物がゼロスの父親のようだ。名前だけは知っている、城の人事を扱う部署の重鎮。物静かで礼儀正しく、だが鋭い目を持っている。  そんな人物が、訝しく首を捻るのを心臓の痛い思いで見た。 「ゼロスなら、夕方頃に家を出たが……。まさか、戻っていないのかい?」 「夕方?」  苦しいくらいに痛くなっていく胸にたまらず、クラウルはコンラッドの後ろについた。  ゼロスの父の視線がクラウルへと向かう。逸る気持ちを抑え、クラウルは丁寧に一礼した。 「お初にお目に掛かります。ゼロスの上官で、クラウルと申します」 「貴方がクラウル様か」  僅かに驚いた後に見せた微妙な空気に、何となく色々と察した。ゼロスはクラウルの事を両親に話すと言って出て行った。どうやら、本当に話してくれたようだ。 「本当ならばこのような形ではなく、日を決めてしっかりとお会いしたかったのですが」 「あぁ、いや、構いません。ゼロスがお世話になっております」 「こちらこそ、公私共に彼に救われています」  互いに仲介者のない挨拶はどうしてもぎこちない。形式的な挨拶とおじぎをして、クラウルは気を引き締めた。 「ところで、ゼロスは本当に夕方にここを出たのですか?」 「えぇ。貴方と食事の約束があるからと。もしかして、戻っていないのですか?」 「はい。彼が約束を突然破ることは珍しいので、どうしたのかと」  ゼロスの父も強ばった様子で考え込んでいる。その時、背後から「どうしたの?」という女性の声が聞こえ、全員がそちらへと視線を向けた。 「あら、コンラッドちゃん」 「おばさん。ご無沙汰しています」 「まったくよ。そちらは……」 「クラウルと申します」 「まぁ、貴方が!」  ゼロスの母は目を丸くして、その後少し頬を染める。どうやら悪い印象は受けなかったようだ。 「あの、所でどうしたんですか? こんな時間に」 「ゼロスが宿舎に戻らないそうだ」 「ゼロスが? だってあの子、夕方には戻ったんじゃ……」  言いながらみるみる顔色を青くするゼロスの母は、見るからに震えている。気遣った彼の父が側へと行って支えなければ倒れてしまいそうだった。 「どうしたんだ? あれ、コンラッド?」 「どうしたのさ、父さん母さん」  二人の兄も出て来て、状況をオロオロしながら見ている。 「どうやら、ゼロスが宿舎に帰っていないらしい」 「へ? だって出たの夕方だろ?」 「だから、何かあったんじゃないかと」  父親が息子達に説明してようやく、二人も状況が理解できたのだろう。途端、オロオロと落ち着かない様子になった。 「何か、どんな小さな事でも構わないので心当たりはないだろうか?」  クラウルが声をかけると、二人は顔を見合わせて、やがて何かを口にした。 「もしかしたら、俺達の元カノが何かしたのかも」 「え? 元カノ?」 「あいつ、俺達と元カノを別れさせるのに無茶な事しまくったから、恨み買っててもおかしくないし。最近俺の婚約者にも、嫌がらせの手紙がきてて」 「グレン、そうなの!」 「実は俺の所にも手紙はきてるんだけど」 「イアンまで!」  母親の焦った様子に、息子二人はアタフタだった。そしてクラウルも、眉根を寄せた。 「だって、実害なかったし!」 「そういう問題じゃないでしょ!」 「ヤバイだろ、これ。あいつ、丸腰だよな?」 「いや、落ち着いてくれよグレンさん、イアンさん。丸腰でもゼロスはそう簡単にやられないんだって。第一、相手女性だろ?」  確かに訓練されているから、体術も可能だ。丸腰だって簡単にはやられない。だが、一人と複数だったら? 相手が女性ではなく、女性に依頼などされた者だったら? 不意を突かれたら? 元々ゼロスは複数戦は苦手な筈だ。 「どうしようコンラッド! ゼロスが」 「ヤバイって! なんか、あの時の彼女って極端なの多かったじゃん!」 「落ち着いてください、グレンさん、イアンさん!」 「ゼロスが死んだらどうしよう!」  「死」というフレーズに、心臓が痛くなる。不安に締め上げられて痛むなんて、戦の時でもないことだ。 「……コンラッド、ここを任せていいか」 「クラウル様?」 「話を聞いて欲しい。俺は人を動かす」 「分かりました!」  一礼して、すぐに踵を返したクラウルは全速力で宿舎へと戻った。こんなに走る事は訓練でもそうはない。行きは三十分だった道のりは半分になり、すぐに宿舎は騒がしくなった。  そうして、ランバート達が動き出し、クラウルも可能な限りに暗府を駆り出して道のりを捜索しはじめた。  暗府は夜目が利く。が、流石に限界もある。住宅街には街灯もほぼ無く、月明かりだけで何かしらの痕跡を探す事は不可能だった。 「クラウル様、表通りには不審な目撃情報はありませんでした」 「表に通じる大きな縦通り沿いも同じくです」 「分かった」  予想はしていたが、やはりだ。夕方の住宅街は人の目もないが、表通りやそこに通じる縦通りは人も多い。もしそこで不審な事が起こればもっと早く、何かしらの情報が上がるはずだ。 「そうなると、やはりこの通り沿いか」  クラウルはゼロスの実家から、大きな通りへと繋がる住宅街の道を見回す。状況を考えてこの通りで何かがあったのは確かだった。 「とりあえず、目立った血痕なんかはありませんね」 「そうだな」  ランタンを持って地面を捜索していたネイサンが安堵したように報告をする。それに、クラウルも安堵して頷いた。 「事故に巻き込まれたんじゃ、なさそうですね。大きな怪我もしていない」 「あぁ」  もしも大きな事故、例えば馬車に巻き込まれたなどの事故なら血痕が残るはずだ。どうしたって出血の量が多い。他の事件、例えば刺されたとかでも同じだ。動けない程の刺傷事件なら血痕が残っているのが普通だ。  事実、クラウルの事件でクラウルが流した血痕は残っていた。  それなら、ゼロスは何かしらの事件に巻き込まれた? 拉致と考えるのが妥当かもしれない。動けない程度の外傷を与えて、連れ去った? 「くそっ」  上手く頭が回らない気がする。焦りばかりが胸を焼く。今頃、ゼロスはどこにいるのだろうか。無事なんだろうか。もしかして、何処かに連れ去られそこで……  考えるだけで、ブルッと震えが走った。 「クラウル様、ここでの収穫は今はないでしょう。コンラッドの所に行かれてはどうですか?」 「だが……」 「明日の朝一で、この周辺の聞き込みを行います。この時間ではもう応じてくれないでしょうから」 「……そうだな」  ここで進まない捜査を苛立って進めても収穫は少ない。コンラッドと合流し、ゼロスの家族と話して可能性を探り出し、全体像を掴むのが先か。  現場をネイサンに任せ、クラウルはゼロスの実家を目指して駆け出した。  ゼロスの家に行くと、外にはボリス達が待っていた。 「お疲れ様です、クラウル様」 「あぁ、お疲れ。どうした?」 「状況が分かるにつれて、ゼロスの家族もちょっとパニックで。コンラッドとランバートが中にいて、俺達はここ待機。何かあればすぐに動く事になっています」 「そうか」  確かに、事件直後は混乱や興奮でわりと平気な人が多いが、時間が経つにつれて冷静になり、余計に恐怖が押し寄せてくる事はある。  多少迷ったが、クラウルはノッカーを叩いて中へと入った。  温かみのあるリビングのソファーに、家族四人がいる。泣きそうな母親の肩を抱いて父親は全てに気を張っているし、何かを知っていそうな兄二人は青い顔をして落ち着かなくしている。  クラウルが入っていくと、すぐにランバートが気付いて近づいてきた。 「どうだ?」 「ようやく落ち着いてきました。どうやら、怨恨っぽいです。今は関係がありそうな人物の名前と住所を書き出しています」 「分かった」  クラウルが来た事で視線が集まる。その中をゆっくりと進み、クラウルはコンラッドの隣りに座り手元の紙を覗き込んだ。  六人程度の名前が書いてある。全て、女性のものだ。 「ゼロスが昔、兄さん達と別れさせようとして寝取った女性のリストです。恨みを抱いているなら、この辺だと」 「コンラッドは詳しくこの件を知っているか?」 「知っています。ですので過去の事については俺から話します」 「助かる」  それにしても、はめるのに十人も寝取ったとは。ゼロスもなかなかやるものだ。 「婚約者に嫌がらせの手紙が送られてくるというのは?」 「俺、です。四月に結婚するんですが、その相手にこの一週間ほど手紙が届くみたいで。内容は『私のお古、どうぞ召し上がれ』みたいな下品なのから、直球で『殺す』みたいなのとか」 「実害は?」 「今の所は。というか、一人で出歩くのが怖いからって、必ず複数で出かけるようにしているし」  なるほど、賢い選択だ。 「そちらは?」  クラウルの視線がイアンへと向かう。こちらはもう少し、怯えているようだった。 「俺は、ちょっと実害ありで」 「イアン、そういうのはもっと早く言いなさい」 「ターゲット俺だって思ってたから! その、ごめん父さん」  父親の厳しい視線がイアンへと向かう。それに焦ったイアンは、やっぱり顔を俯けた。 「実害とは、具体的には?」 「……気のせいかもしれないけれど、見られている様な。仕事先から外を見ると、馬車が止まってて。それが連日で……俺が休みの日はどうだったから同僚に聞いたら、そんなの無かったって言うし」 「見張られていたかもしれないのか」  監視し、可能なら危害を加えた可能性もある。危険な状態だったのだろう。  こうなると、相手はゼロスと認識して拉致したのかもしれない。そしてこの家族の危険はまだ去っていない可能性がある。 「レイヴァース殿」 「ヒューゴで構わない」 「ヒューゴ殿、この話を聞くに、狙われているのは家族全体かもしれない。犯人が捕まるまで、犯人の知らなそうな場所に移った方がいいと思うのだが」 「そうは言われてもな。私は城に詰めていられるが、家族はそうもいかない」 「適当な家を用意します。外出には支障がないようこっそりと人をつけますが、よろしいですか?」 「そうしてもらえると助かるが」  父ヒューゴは確認するように家族を見回し、全員がそれに恐る恐る頷く。それを確かめて、クラウルはランバートへと視線を向けた。 「用意します」 「すまない。人は暗府をつける」  ランバートが外へ向かおうとしている時、ふとグレンが声をかけてその足を止めた。 「あの、ちょっと噂で聞いたんですが」 「はい、なんでしょうか?」 「……人に言えない、ちょっと危険な依頼も受ける代行屋があるって」 「あぁ、最近聞きますね」 「友人が、最近元カノの一人がそういう人に会ってるらしいと言っていて」 「それ、誰ですか?」  ランバートの視線が鋭くなり、戻ってくる。クラウルもリストを覗き込むように見た。グレンはその中の一人の名を指さし、疲れたように溜息をついた。 「すいません、俺の尻拭いしたゼロスがこんな事になるなんて、想像してなくて」  今度こそ肩を落としたグレンは、その後言葉も出なかった。  ボリスは馬車を用意してもらい、その間にレイヴァース家には必要最低限の物を持ちだして貰う事になった。 「クラウル様、周囲に監視者らしいものはありません」 「すまないラウル。暫く彼らについていてくれ」 「任せてください。ゼロスの方は、お願いします」 「あぁ」  誰にお願いされなくてもゼロスは取り返す。あいつを攫った奴等に、一生分の後悔をさせてやる。  殺気立ったクラウルの肩を、ランバートが叩いて頷く。たったこれだけが妙に力強く感じた。 「大丈夫ですよ」 「……あぁ」 「俺はこのままジンの所に行って、代行屋の情報集めます。明日動けるくらいまでは、掴んできますよ」 「無理するな。お前に何かあるとファウストが怖い」 「それも分かっています。しっかり武装して、複数で動きますので。コンラッドにはゼロスと例の女性達の間に何があったのか話してくれるように頼みました」 「分かった」  コンラッドがゼロスの家族を気遣いながら、到着した馬車に乗せていく。ドアが閉じて、用意した家に向かって馬車は走り出していく。こちらの家には数人残して、何か動きがあれば動ける様にしてもらう。  それぞれが散っていく。それを見送るクラウルの耳に、午前零時を告げる鐘の音が響いた。
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