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★レックス
ジャクリーンが深く寝入ったのを確認したレックスは、一切無駄のない動きで歩き出す。その足音は絨毯に吸い込まれてまったくしない。いや、石畳の道を歩いたとしても彼の足音はしないだろう。
扉の前で立ち止まったレックスは扉の向こうを用心深く探る。人がいすぎてはならない。が、まったくいないのも困る。
そうして聞き耳を立てていると先程の従者とにた歩調の足音が聞こえてきた。
ドアを開けて外に出て、純朴な田舎の青年になったレックスを、従者がみつけて首を傾げて近づいてきた。
「どうしました?」
「申し訳ありません、ジャクリーン様が膝掛けをご所望で。持って来なさいと追い出されてしまったのですが」
「あぁ、それは災難ですね」
従者の青年は苦笑しながら、レックスをジャクリーンの部屋へと案内した。
彼女の部屋はサロンからそう離れていない場所で、何故か鍵はかかっていなかった。疑問そうに首を傾げるレックスに、従者の青年は苦笑した。
「以前、屋敷の庭師と不貞を働いて、怒った旦那様が鍵を外していつでも踏み込めるようにしてしまったのですよ」
「そう、なんですね……」
驚きながらタジタジと、初心な青年らしい顔をしたレックスに従者の青年は大いに笑った。
「気を付けた方がいいですよ、なにせ奥様は強引ですから」
「実は、今の奉公先を出てここに来ないかと……」
「ダメですよ、絶対に体のいい不倫相手にされますって」
「あぁ、いえ。俺も今の奉公先には個人的な恩義がありまして、出る気はないので。どうやって出ようか、思案していたのです。親切にしてくださった夫人に失礼な事もできませんし」
「うわぁ、律儀ですね。でも、あの手の相手にはそんなの不要ですって。膝掛けが欲しいってことは、そろそろ寝落ちする頃ですよ。そうしたらこっそり出て行くのがいいと思いますよ」
「ご親切に、有り難うございます」
丁寧に頭を下げたレックスを部屋に入れた従者は、彼女お気に入りの温かい大きめの膝掛けを手にする。それをレックスへと手渡した。
「これです」
「有り難うございます」
「いえいえ、お気になさらず」
そう言って今度はレックスの前に立って部屋を出ようとした。その時、従者は突如後頭部への鈍い痛みを感じてそのまま倒れ、そしてあっという間に意識を失った。
レックスの鋭い手刀が、的確に従者を昏倒させたのだ。
従者の鼻先に、軽く小さな瓶を置いてその臭いを嗅がせる。眠り薬で、簡単に起きないようにする程度だ。後に残る事もない。
十分に眠った事を確認して、レックスはすっくと立ち上がり室内を鋭く見回した。
部屋は比較的綺麗に使われている。鍵付きのジュエリーボックス、小さな金庫があるが、おそらく探し物はそんな所にはない。もっと普通っぽい場所にあるはずだ。なにせ表にも出せないものだ。
そう思って室内を歩き、黒い視線を巡らせたレックスはふと、机の上に視線を落とした。
使い込まれたペンがある。見ればインクも大分使っている。そして予備が置かれているのだ。
筆まめなのかと思えば周囲に便箋の類いはない。
そうなると、考えられるのは……
レックスは机へと近づき、引き出しを丹念に調べる。一番上の引き出しに、鍵がかかる。彼は懐から細長い金属の道具を取り出し、それを器用に鍵穴へと差し込んだ。そして、ものの一分ほどでカチャリを音がしたのだ。
引き出しを開けると、そこにはなんて事のない物が入っている。ペンを集めるのが趣味なのか、綺麗な彫り物のペンなども見られるが鍵をかけて保管するほどのものではない。
外から見て、中を見て、深さが合わない事に気付いたレックスは丁寧に底板を外した。するとそこには予想通り、鍵のかかる一冊の日記帳が置いてあった。
底板を戻し、日記を机の上に置く。そして先程机の鍵を開けたのと同じように道具を差し込んで、こちらも一分かからずに開けた。
日記の中身は全て、現状に対する不満などだった。そして最近の日記に、欲しい内容が書かれていた。
『グレンが結婚なんて、絶対に許さない! あいつとゼロスのせいで私はあばずれ扱いで厄介払い。こんな面白みもない夫なんてまっぴらごめんよ! 絶対に復讐してやるんだから!』
『今日、カフェでベアトリスに会った。彼女もグレンの結婚に苛立っていて、私に計画を持ちかけてきたの。全体は分からないけれど、代行屋にゼロスの拉致を依頼すればいいって言ってたわ。面倒だけど、特にゼロスは痛い目みればいいのよ』
『依頼してきたけど、大丈夫かしら。契約書とか書かされたけど、まずい事になったりしないわよね? これで私が捕まるような事になったら、ベアトリス許さないから!』
目を通して、思わず力がこもった。だがそれを押し殺して、レックスはその日記を懐に収めて膝掛けを持ち、眠っている従者を起こした。
「大丈夫ですか!」
「……へ? あれ? なんか……痛い?」
「転んで、後ろに倒れてしまって。すみません、俺が助けられればよかったのに……」
「あぁ、平気ですよ! 最近疲れてるのかな? 注意しないと」
ぶつぶつ呟きながらも、レックスの言葉を疑った感じはない。立ち上がり、改めてレックスをサロンへと案内し始めた。
サロンへつくと、ジャクリーンはまだ眠っている。それを従者と一緒に確認し、レックスは彼女に膝掛けをかけた。
「飲み過ぎですね、奥様」
「そのようです」
「あっと……レックスさん? 今のうちに帰るのが得策ですよ」
「そうさせていただきます。治療と、美味しい朝食を有り難うございましたとお伝えください」
「ご丁寧に、有り難うございます」
互いに頭を下げあった従者とレックスは比較的友好的なまま離れ、老執事に出る間際に一睨みされ、御者には「もういいのかい?」と問われてそれに返して出て行った。
レックスはそのまま、一つの屋敷へと向かった。小さいが、手入れのされた屋敷だ。
そこをズンズンと進んでいった彼は突き当たりの部屋のドアを押し開ける。そして、そこで待っていたネイサンを見た。
「お疲れ様です、クラウル様。そのような姿は久しぶりに見ますね」
「ネイサン、現状の報告をしろ」
茶色の髪を掴み、引っ張りあげる。ズルリと脱げた髪の下からいつもの黒髪が現れ、表情も全てが戻ってくる。質素な身なりだが、ドサリと一人掛け用のソファーに座る姿は王のようだ。威圧感まで増したクラウルに、ネイサンは苦笑して頷いた。
「朝一の報告で、怪しい馬車が長時間停車していた事がわかりました。数人がレンタル馬車だと気付いて、ナンバーも覚えていました。現在それを元にコナンとクリフが調べてくれています」
「分かった。ネイサン、すまないがすぐにランバートを動かして代行屋を連行しろ。その後で、あの女を引っ張る。令状の準備を頼む」
「同時ではいけないのですか? 物証、出たのでしょ?」
ネイサンは疑問そうにしたが、クラウルは懐から日記を取りだして前に出した。
「なるほど、先に物証を抑えたのですか。では、代行屋の方は事件への関与を臭わせるたれ込みがあったとして、動いてもらいます。その後、女の家への家宅捜索。物証が出たということで逮捕ですね」
「ネイサン、これを預ける。女の私室から出てきた。頃合いを見計らって女の部屋から出た事にして出せ」
「了解しました」
ネイサンは預かった日記を大切にしまった。
「それと、その日記に『ベアトリス』という女が出てきた。おそらく全ての首謀者だ」
「イアンさんの、最初の二番目の彼女でしたか。分かりました、人を出しておきます」
全てを了解し、ネイサンが出て行く。それを見計らってから、クラウルは立ち上がり普段の制服に着替えた。
早く迎えに行かなければ。その思いだけが妙な胸騒ぎとなってずっと響いている気がした。
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