General Dealer~第0話~

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[プロローグ] ―――――  深夜の一時五十六分。懐から取り出した懐中時計で時間を確認したエイスは、あくびを一つ漏らした。 「もう少し気を張ったらどうだ?突入前だぞ」  その隣でカルディアが怒気を込めて囁く。やや吊り目気味の緑の瞳がギラリと光った。 「いつもなら寝てる時間だからねぇ…低血圧に夜更かしはつらいのさ」  もう一度呑気にあくびをするエイス。彼の黒の瞳には瞬時に涙が溜まり、小さな滴が目尻に浮かぶ。  諦めたのか呆れたのか…はたまた両方なのか、彼から目を離し、鼻を鳴らしながらカルディアは右肩にあるドアを向く。肩ほどまである水色の髪がゆらりと揺れた。  彼らは今、とあるアジトへと侵入しようとしている。  深夜帯のせいか、見張りは門の前に寝惚けた男が二人しかおらず、彼らをさっくりと気絶させた後、近くの木に縛りつけてから高い塀をよじ登って敷地内に入り込み、現在は突入場所として選んだ裏口にてその瞬間を待っている最中だ。  もう一人の仲間も、打ち合わせ通りに配置に着いた頃だろう。約束の時間は二時ジャスト。もう一度見た時計は十秒前を指していた。  左手を小さく上げ、カルディアに合図を出す。 「…行くよ!」  短く声を上げ、思い切りドアを蹴破ってエイスが先陣を切る。 「バカ!騒ぎすぎだ!」  ドアの破片をはたき落としながらカルディアが後を追う。  建物の中はアジトというよりは中級貴族が暮らしているような屋敷のようだ。裏口がある部屋を抜け、広間のような場所に出ると、暗闇にぼんやりと朽ち果てたオブジェが見える。おそらく、廃墟になった屋敷を根城にしているのだろう。 「し、侵入者だ!」  騒ぎに気付いたゴロツキ達が、二階にある寝室からゾロゾロと姿を現す。全員が寝惚けまなこで、完全に油断していたのが分かる。 「はい、どいてどいてー」  二階へと続く階段を駆け昇りつつ、エイスはお気に入りである茶色のコートの裏に縫い付けてあるホルダーから銃を抜き、発砲する。  計三発。いずれも、正面にいた男達三人の足をかすめ、痛みでバランスを崩した彼らは悲鳴を上げながら転げ落ちていく。 「こ、こいつ!」  怯みながらも、ナイフを構えて迫ってくる男の脇腹を、今度は光の弾がかすめていく。 「な、何だこの銃…っ!光線銃か!?」 「……『術砲(じゅつほう)』だ」  不機嫌そうに呟き、カルディアはもう一発『術砲』を放つ。  その少々特殊な形をした銀色の銃からは、今度は四発分の光の弾が一度に放たれ、いずれもゴロツキ達にヒット・ダウンさせる。 「そんなに飛ばして大丈夫かい?」  先に階段を昇りきったエイスが肩越しに振り返る。カルディアはボソリと、 「ボクも眠い」  と、短く答えた。  苦笑し、エイスはカルディアの背後にいた男を撃ち落としてから再び駆け出す。他にももっといたはずだが、逃げ出したのかそれが最後の一人だった。右手側の通路の突き当たりにある部屋の前で二人は立ち止まる。 「リャードはまだみたいだね…どうする?」 「眠いと言ったはずだ」 「はいはい」  正直自分も眠かったので、一度黒の短髪を掻いて眠気を飛ばしてから、合流するはずの仲間を待たずにエイスはなんの躊躇もなくドアを開ける。 「こんばんは。夜分遅くにお邪魔します」  わざとらしく…しかし、恭しくお辞儀をしてから入室するエイス。室内には月光を背に、ベッドに腰かける影が一つ――アジトのボスだ。 「とある方から依頼を請けましてね。貴方を捕まえに来ました」 「ふん。ここまで来たのは褒めてやるが、貴様らの様な青二才に私を捕縛出来るのかね?特に、貴様は『術使い』ではないと見たが…」 「おや、『術使い』は『術使い』にしか倒せないとでも?それは心外だ」  おどけるようにオーバーな手振りで肩をひょいと持ち上げるエイスに、その人影はぴくりと体を揺らした。 「ほぅ…腕に自信があるようだな?若造。"閃光の修羅"と呼ばれた私が直々に、そこの『術使い』と共に葬ってくれる」  立ち上がった人影の顔が、月明かりで一瞬だけ照らされた。  還暦を迎えたくらいであろう彼の双眸は、カルディアと同じく緑色。それは痛い程の殺気を纏いながら二人を真っ直ぐに睨み付けている。 「貫け!」  しゃがれ始めだろうか、少しいがらっぽい声を上げた瞬間、何の前触れもなく現れた無数の光の矢が二人めがけて飛来してきた。 ―――ドォォォォォンッ  衝撃波と破壊音が部屋中に響き渡り、粉々になったフローリングの床の瓦礫と砂埃がしばらくの間視界を塞ぐ。  他愛のない、と口角を上げかけたその表情が、一気にこわばる。  完全に晴れた砂埃の向こうに、シルエットが現れた。それも、二人ではなく…三人分。先程より一人多い。 「やあリャード、ナイスタイミング」 「何がナイスタイミングだ。あと少し遅かったら消し飛んでたぞ、お前ら」  リャードと呼ばれた新参者の少年が、憮然と緑の目を半眼にしながら突き出していた両手を下ろす。爆風ではためいていた彼の長い銀の髪が、静かに肩にかかる。 「小僧…『術』で防いだか」  舌打ちした瞬間、男は背後からの気配に気付き、咄嗟に身体を捻る。先程まで彼の右足があった辺りを、光の弾が通過し、床を抉った。カルディアの術砲だ。  体勢を立て直そうと構えるより早く、リャードが動く。 「炎龍(えんりゅう)!」  凛とした声が上がると共に、突き出した両手からその名の通り、炎の龍が放たれる。  咆哮こそ上げないが、男を飲み込まんとするかのように大口を開けて向かってきた赤々しいその炎を、一瞬たじろぎはしたものの、何とかかわしきる。 「んむ?!」  突然、右腕に痛みを感じた男はそれを見下ろす。名刺程の大きさの紙に描かれているピエロが、腕に刺さったまま嘲るような笑みでこちらを見上げていた。 (トランプだと…っ?)  予想外の武器に、男は思わず動揺する。  トランプを放った張本人であるエイスは、その隙を見逃す事なく男の懐に潜り込み、強烈な拳を腹に見舞う。血を吐きながら吹き飛ばされ、壁に叩きつけられた男はぐったりとうなだれた。その眉間に、カルディアの銃砲がひやりと突きつけられる。 「ぐ…っ治安兵の犬共め…っ!貴様らも『術使い』なら、くだらぬ正義ではなく、もっと己の欲の為に力を使いたまえ!その炎の龍も術砲も、それを望んでいるはずだ!」  同時に身構えたリャードとカルディアを手で制し、エイスは男の手をロープで縛り上げる。 「リャードもカルも、自分のエゴの為に力を使ったりはしません。自分の欲望の為に人を傷付ける…貴方のような悪逆非道の限りを尽くす悪人から何の罪のない人を救う為に、彼らの力は有るんです。それに、俺達は治安兵の犬じゃありませんよ」 「だったら何だ?私と同じ『術使い狩り』か?」  吐き捨てる様に言う男に、エイスはにこりと笑いかけた。 「ただの……『よろず屋』です」 [第一章] ――――――― 「納得いかん!!」  怒声と共に、大きな拳がテーブルに振り下ろされる。爆発音にも似た轟音が部屋中に響き渡り、床をも震わせる衝撃が足元に広がった。幸いテーブルは壊れなかったものの、ミシリと脚が軋む。多少気になったが、今は無視する事にした。  元々はブティックとして使われていたらしいこの部屋が、依頼人を迎える客室兼事務所となっている。 だだっ広いだけで殺風景な空間の中には、テーブルが一つと、それを挟むようにして置かれた来客用の二人掛けソファが二つ。一応、玄関代わりの出入口付近には観葉植物がいくつか置かれているが、インテリアとしての役割はいまひとつである。  衝撃で来客の男の分と、家の主…この二人分のコーヒーカップが倒れ、中身が零れ出す。それを何度目かのため息を吐きながら、この家の主がうろんげに見つめていた。  家の主…エイス・アッシュ。年の頃は二十代半ば程で、体格は中肉中背。黒の瞳と短髪に、茶色のロングコート姿。容姿は優男と呼ぶに相応しい。  そんな彼は、コーヒーが付く前に引き寄せておいた書類を再度、屈強な男に突きだした。 「納得いかないも何も、ガンダリスさん…貴方の読み通り、奥様は酒場のボーイと浮気をしていました。指定された期日中、ずっと張り込んでいた結果がこちらです……と、何度も説明しているはずですが?」 「その結果に納得がいかんのだ!何故あんな若僧なんかと――っ」  ふぅふぅと興奮気味に放たれる鼻息を避ける様に、エイスは深くソファにもたれる。 「貴方の事も少し調べさせてもらいましたが…過去に何度か、奥様への暴行が理由で捕縛されてますね?原因は十中八九、それでしょう」 「貴様…っ!プライバシーの侵害だぞ!」 「侵害も何も、徹底的に調べろと依頼をしたのはそちらでしょう?それに、必要な事なら何をしても構わないと、きちんと説明・同意していただいた上での調査です。まぁ、貴方の事は調べるまでもなく、風の噂で耳にはしてましたけどね」 「話にならん!何が『よろず屋』だ!インチキ探偵ごっこで金を取るなんざ、とんだ商売だな!」 「貴方の"裏"の仕事に比べたら可愛いモンです。漁師の傍ら、違法な取引のバイヤーをやっていますね?……『術使い』の人身売買…ですか。さぞかし儲けるでしょうが、治安兵に突き出せばかなりの重罪で罰せられるでしょうね。俺は構いませんけどね?この書類と貴方をワンセットで治安支部に送り届けても」 「ぐ……っ覚えてろ!」  憂さ晴らしの為か、書類を撒き散らしてから、ガンダリスはズカズカと玄関に向かい、ドアを壊さんばかりの勢いで開閉し、出ていった。 「何だあいつは…しつこい上に騒々しい」  顔をしかめたカルディアが、事務所の隣にある自室から出てきた。  カルディア・コゼット。年の頃は20歳前後。セミロングの水色の髪に、黄土色のマントを羽織っている。ややつり目の瞳の色は緑色――『術使い』という種族の証である。  エイスも思わずため息をついて苦笑した。 「依頼だから仕方ない…と、言いたいんだけどね。依頼料もらえなかったよ」 「オイオイ、勘弁してくれよ。また今月も赤字だぜ?」  今度は事務所の奥にある住居スペースの方からリャードが入ってくる。先程の騒ぎで零れたコーヒーを片付ける為か、手には布巾とトレイを持っていた。 「んー…とりあえず、この書類は奥さんに渡しちゃおうかなーとは思ってる」 「どういう事だ?」  きょとんとする二人に、散らばった書類を指差す。 「あの中には、ガンダリスの過去の犯罪歴や、バイヤーとしての経歴なんかも書いてあるんだよ。浮気現場で奥さんに接触したんだけど、一刻も早く旦那から逃れたい彼女は、その情報を治安支部に提出して捕縛させ、離婚にこぎつけたいって依頼を俺に寄越したんだ」 「つまり?」 「奥さんからの依頼は達成。よって、報酬の方は確実に奥さんから受け取れるって訳。浮気の口止め料として、本来ガンダリスから貰う予定だった金額を請求するって条件を出しておいたから、倍の金額にはなるかな。ガンダリスが踏み倒すだろう事は予想してたしね」 「…卑しいな、お前」 「これもビジネスだよ。リャードはもう少し、大人の汚い部分も勉強した方がいいよ」  何となく子供扱いされたような気がして、リャードはムッと顔をしかめた。  リャード・フルーク。年の頃は十代後半で、顔付きはやや童顔。長い銀の髪を一つに束ね、白のシャツに緑のパーカー。左手には黒のリストバンドと、二人に比べるとラフな格好だ。その瞳の色は、カルディアと同じく緑色。彼もまた、『術使い』である。 「そういや、この前の件はどうなったんだ?術使いの組織討伐の…」  片付けを終えたリャードが、ふとエイスを向く。 「あぁ、真夜中の侵入作戦のヤツ?…治安側が彼らの子分集団も芋づる式に捕縛し回ってるみたい。これから依頼人に報告してくるよ」  それを聞いたカルディアが、ぎょっと目を見開く。 「お前、まだ行ってなかったのか?!あれからもう三日経ったぞ?!」 「いやぁ、ガンダリスの書類に手こずってね。うっかり忘れちゃった」 「だったらさっさと行ってこい!」  てへぺろと笑うエイスを、リャードとカルディアは容赦なく外に蹴り出す。どちらが閉めたのか、乱暴に閉じた拍子に玄関のドアにぶら下がったプレートがかたんと揺れた。 『ペット探しから魔物退治まで、なんでもやります  ――よろず屋――』 [第二章] ―――――  この世界には、『術使い』と呼ばれる種族がいる。  彼らは不思議な力……『魔力』を持ち、その証となる緑色の瞳を持って生まれてくる。  それ以外の情報は何一つ無く、魔力の源も、瞳の色が固定されている原因もルーツも……追求すればキリがない程、謎に包まれた人種である。  そんな術使い達は、何の力もたない"普通の人間"から忌み嫌われ、差別や迫害される事が多い。逆に術使い達も、その力を使い、悪事の限りを尽くす者も少なくはない。  互いが互いであるからこそ、いつの世も争いや犯罪が絶えないのである。 (嫌な世の中だよな…)  顔を曇らせながら、リャードは術使いの証である緑の瞳で煤けた柱を見上げた。彼が今いるのは、ネニヴェの街から少し離れた所にある、小さな村"だった"所だ。  四日前に、術使いによって襲撃を受け、廃村となってしまったというのだが…リャードにはどうしても引っ掛かる点があり、留守をカルディアに預けて(物凄く嫌がられたが)足を運んでみたのだ。  最近、ネニヴェの周りの小さな町や村ばかりが襲撃を受けていると、新聞や瓦版、街に出稼ぎに来ている商人達がしきりに騒いでいた。  この一週間で早三件もの被害が出ていると言う。治安兵も周辺の町村の警備を厳重にしているらしい。  とは言え、この辺りの警備はかなり薄い。人手不足なのか、警備の対象外なのかは不明だが、余計な揉め事がなくてかえって楽ではあるので、リャードは思わず安堵した。  現場近くを術使いの自分がうろついていたのでは、見付かり次第、問答無用で連行されるだろう。その覚悟をした上での偵察なのだが、出来ればリスクは少ない方がいい。  本来は立ち入り禁止なのだが、周りに人がいない事を確認してからバリケード変わりの鎖をくぐって村の中に入る。  最初に目に付いたのは、焼け焦げた柱だけが建っている民家や、真っ黒に煤けた石畳。そして、遠くの方では、主人を失い行く宛もなくさ迷っている痩せこけた犬が一匹。それらをぐるりと見回した後、リャードは更に奧に進む。  襲撃にあってからは、生き残った住民達は別の街で保護されているらしいが、この有り様では帰ってくる者は殆どいないだろう。  建物が全て焼き払われてるせいか、広い土地に感じる。しかし、この村の人口は二百人前後と少なく、大陸で三番目に小さな村だったのだが…その人口の三分の一は術使いだったという。その術使いの半数以上、行方がわかっていない。  同じ術使いでも、争いを好まない人達も多く、鍛練を詰む事なく平和に一生を終える者も少なくない。そういった部類の術使い達が、最も狙われやすいのだ。 (この村も、以前は平和だったみたいだし…狙うには好都合…か)  焦げ臭いにおいが、たまに風に運ばれてくる。  険しく顔をしかめながら歩いていると、ふと視界の隅に熱で溶けたらしいポリタンクのような物が転がっているのに気付く。近付き、においを嗅いでみると、微かに油のおいがした。 (……やっぱり、ここもか…)  今までの現場にも足を運んだが、やはり同じように、いずれの場所にも同じようなポリタンクのような物が転がっていた事を思い出す。  他には何も収穫出来ないだろうと判断し、立ち上がる。その時、背後から視線のような物を感じ静かに振り返った。 「…誰かいるのか?」  明らかに不法侵入している自分が不利なのだが、下手に逃げる事はせずにリャードは声をかける。だが、相手からの返事はなく、感じていた視線も消えていた。  これ以上は長居するつもりもないので、リャードは足早に荒れ果てた村をあとにした。再び、背後に視線を感じながら…。 [第三章] ―――――  時刻は昼を少し回った頃。リャードとカルディアに蹴り出され、そのまま依頼人への報告を済ませたエイスは、街の中をぷらぷらと歩いていた。  依頼人は術使い集団の捕縛を心から喜び、その目には涙すら浮かべていた。聞けば、依頼人の友人も術使いで、例の組織に目を付けられていたらしい。  その友人とやらは、エイス達が踏み込んだ屋敷の地下室に、他に捕らわれていた大勢の術使い達と共に監禁されており、あの後すぐに治安兵によって解放されたのだと言う。  衰弱しきっていた為ネニヴェの中央ブロックにある病院に入院しているが、今では元気を取り戻し、早ければ三日後に退院出来る見込みとの事だった。この件はこれで一件落着だなとエイスはほっとした表情で何となく周りを見回した。  石畳の街道に、建物は殆どレンガ造りというレトロな街、ネニヴェ。大陸の東側に位置し、一、二を争う大きな港街だ。  あまりにも大きな街の為、東西南北四つのブロックと、治安支部や図書館、役所などが密集している中央ブロックの計五つのエリアに分割されているのが特徴で、エイスが住んでいるのは住宅地が主である南ブロック。  依頼人がいるのは、宿屋や商店街が並ぶ西ブロックだった為、少々遠くはあったが、散歩を趣味とするエイスには苦ではなく…むしろ時間潰しのいい言い訳となる。  ちなみに、海に面した東ブロックは漁や外交が盛んなブロックで、客船や漁船がひっきりなしに行き来しており、常に灯をともしている灯台は、この街の観光スポットの一つだ。  残る北ブロックは治安があまりにも悪く、ゴロツキ達の溜まり場となっている。高い壁で遮断されている為、地元民でも決して近付かないテリトリーと化していた。  そのゴロツキ達も、たまにフラフラと北ブロック外に出てきては悪事を働く。  現に、ふと目をやった路地裏では、見た目からしてわかりやすい体格のいい男達が三人、ごそごそとうごめいていた。良く見れば、壁際には短い赤茶色の髪の少女がいる。年齢は十六、七歳くらいだろうか。  追い詰められながらも、恐怖を隠して自分の倍も体格のある男達を睨み付けて威嚇しているが、それが全く効いていない事は、下心全開の男達の顔を見れば一目瞭然だ。 「だからぁ、俺達が案内してあげるって。初めて来たんだったら、ガイドは必須だぜ?お嬢ちゃん」 「い、嫌だって言ってるでしょ!第一、あんた達はとてもじゃないけど信頼出来ない!」 (見ちゃったからには、無視出来ないよねぇ…)  やれやれとため息をつき、エイスは足をそちらに運ぶ。 「あのー…もしもし?」  トントンと真ん中の男の肩を叩く。 「その子、嫌がってるよね?無理に連れ出すのは、よくないと思うんだけど…」 「何だお前、殴られたいか?」  振り向き様、男は拳を突き出す。思わず少女は目を覆うが、エイスは小さく嘆息して半歩だけ身を引く。  空振った男が呆気に取られるよりも早く、エイスはその背に容赦ない肘打ちを放つ。  吹き飛ばされ、表通りまで転がって行く男。通行人が悲鳴を上げた。 「この……っ」  残り二人が顔を真っ赤にして突っ込んでくる。全く動じる事もなく、むしろ口元に笑みすら浮かべながら、コートの内側のホルダーから銃を二丁取り出し、男達の顎下に突き付けた。 「こういう時、どうした方が利口か…わかるかい?」  エイスが笑いながら目を細める。男達はよろめきながら後退し、表通りで伸びている仲間を回収して慌ただしく走り去って行った。 「やぁ、お嬢さん。怪我はない?」  銃を収め、にこりと振り返る。呆けていた少女はハッと我に返り、こほんと咳払いした。 「助けてくれてありがとう。あたしはアリシア。貴方は?」 「俺はエイス。キミ、この街の人じゃないね?ここは治安が悪い地区がある。特に、こういう道には気を付けた方がいいよ」 「…これでも武術は少し出来るんだ。でも、相手が多過ぎて…父さんから聞いてはいたけど、油断しちゃったみたい」  アリシアはあははと笑い、頭を掻くが、まだ恐怖は抜けないのか少し青ざめていた。 「お父さんも一緒かい?」 「いや、あたしは……」  一瞬口ごもったが、再び表情を戻す。 「ちょっと、人を追って来ただけなんだ。でも、途中で見失っちゃって…諦めて帰ろうとしたら迷っちゃってさ。そしたら、さっきの連中に絡まれたって訳」 「探し人かぁ…この街は広いし、色んな人が出入りしてるから、探すのはかなり大変だよ?」 「そっか…」  明らかに落ち込んだ様子のアリシア。このまま放っておく訳にはいかないなと、エイスは笑いかける。 「少し、俺の家に寄っていきなよ。さっきの事もあって、まだ動揺してるだろうしね」 「いいの?エイスさんってば、超いい人!」 「……俺だからいいけど、キミはもう少し警戒心という物を持った方がいいよ」  目を輝かせるアリシアに、逆にエイスは呆れてしまう。  もしかしたら箱入り娘なのかもしれないなと、ついじろじろと観察する。視線に気付いたアリシアは、ムッとエイスを見上げた。 「なにさ、あたしを田舎者だってバカにしてる?」 「いやいや、何でもないよ」  へらりと愛想笑いをし、まだ顔をしかめているアリシアを促しながら自宅へと向かう。 (そういう勘だけは鋭いんだよね、女って…) [第四章] ――――――  自宅に着くまでの道中、アリシアは十日程前にこの街の近くに仲間と引っ越して来たのだと言った。  彼女達は小さな組織で旅をしながら金を稼ぎ、生計を立てているらしい。今回はネニヴェ付近での仕事となる為、わざわざ大陸の中央の都市から来たのだと言う。 「それはかなりの長旅だったねぇ」 「もう慣れたよ。あたしはまだ、一度も現場に行った事ないんだけどね。皆の食事を用意したり洗濯したり…雑用ばっかりさ」  事務所に入ってすぐに案内された来客用のソファに座り、少しだけ伸びをする。やっと緊張がとけたらしい。 「雑用も立派な仕事だよ。そういう下積みが、いつか身になって大きな成果になるからね」 「父さんも同じ事言ってたけど、女はあたしだけだし…過保護なだけだと思う。まぁ、皆をまとめるリーダーだから、厳しくなるのもわかるんだけどさ……父さんはあたしが現場に行く事をよく思っていないみたいだけど、あたしはいつか、父さんの跡を継ぐんだ!」  キラキラと輝くアリシアの瞳の眩しさに、エイスは目を細めながら微笑む。 「…出来るよ。君なら」  そう言ってやると、照れくさそうにアリシアは歯を見せて笑った。 「ところで、ドアにあったけど…『よろず屋』って何?」  小さく首を傾げながらアリシア。エイスは「あぁ」と玄関を向く。 「よろず屋はね、いわゆる"何でも屋"。ペット探しから浮気調査…魔物退治まで、人殺し以外なら何でもやるお仕事さ。あまり聞かない職業だから、なかなか依頼は来ないけどね」 「何でも?」  ふと、アリシアの表情が変わる。 「じゃあ、人探しも出来る?」 「その人の情報がある程度わかれば可能だよ。さっき探してた人かい?」  アリシアはしばらく視線をさ迷わせた後、ぐっと身を乗り出した。 「それとは違う。仇を…探してほしいんだ」 「仇?」  思わずエイスも身を乗り出す。こくんと頷き、アリシアが口を開いた時、 「何だエイス、帰ってたのか」  出かけ先から帰ってきたリャードが、玄関から顔を出す。 「おや、出掛けてたの?」 「あぁ、途中で色々あって寄り道してたけどな……お客さんか?」  アリシアに気付いたリャードが、挨拶する為か、ひょいと目を向ける。  それに気付き、アリシアもそちらに目を向けた。視線が合った瞬間、彼女の表情が一変する。 「あんた、さっきの――っ!!」  急に声を上げ、アリシアがリャードに向かって駆け出す。走った勢いと床を蹴った勢いを乗せた、渾身の飛び蹴りがリャードに飛ぶ。咄嗟に右半身を引き、左腕で蹴りを受け止めた。 「な…っにすんだ!いきなり!」  少女にしては重い蹴りだなと思わず感心しかけるが、アリシアを振り払った後リャードは怒鳴る。あまりにも突然の事で、エイスは立ち上がる事しか出来なかった。 「エイスさん、こいつだよ!あたしがさっき追ってたのは!」 「リャードを?」 「オレを?」  エイスとリャード、二人の声が重なる。 「あんた、さっきクルフっていう村にいたでしょ?あんな所で一人でいたから、怪しいと思って後をつけてたのさ!そしたら術使いだったとはね…っ」 (あの時の視線はコイツか…)  面倒なのに見付かったなと、自分の警戒心の低さを呪いつつ、リャードは嘆息する。 「別に。ちょっと気になる事があったから調べてただけだ」 「どうだか?犯人は現場に戻るって言うし…あの村をやったの、あんたなんじゃない?今だって、エイスさんを襲いに来たんじゃないの!?」 「どう聞いたって、知り合い同士の会話だっただろうが。アンタこそ、突然襲ってきやがって…何者だよ?」 「まぁまぁまぁまぁ。二人共、一端落ち着こうよ」  睨み合う二人を引き離すエイス。リャードもアリシアも、依然相手を睨み付けたままだったが、それは無視してエイスは続ける。 「アリシアちゃん、リャードは俺の仲間なんだ。あの村にいたのは、その…ちょっと訳あって現場調査してただけなんだよ。だから、いくら口が悪くて生意気で短気で乱暴で主夫で童顔だとしても、リャードは絶対に悪い事はしない。俺が保証する」 「おいこら、全部悪口じゃねぇか」 「…恩人のエイスさんがそう言うなら信じるけどぉ~。まぁ、確かに口は悪そうで生意気そうで短気そうで童顔?だけど、悪い事はしなさそうだし…疑ってごめんね?」 「…初対面の女を殴りたいと、今初めて思ったぞ」  リャードが微かに拳を握りしめた時、今度は昼寝をしていたのか、カルディアが目をしょぼつかせながら部屋から出てきた。 「さっきからうるさいぞ…話くらい静かに出来ないのか?」 「はっ!?また術使いが!?」 「……エイス…本気で何なんだよ、コイツ…」  呆れてしまったのか、うろんげにリャードがぼやく。再び身構えるアリシアと、意味がわからないと顔をしかめているカルディアを遠い目で眺めつつ、エイスはぽつりと、 「…ものすごーく、面倒な事になりそうな予感しかしない子……かな」 [第五章] ――――― 「それで、探してほしい人って誰なんだい?」  リャードから受け取ったコーヒーをテーブルに置きつつ、エイスは正面のソファに座るアリシアに尋ねる。  近くの壁に背を付けて立っているカルディアにカップを渡したリャードがエイスの隣に腰かけるのを待つ間に、コーヒーを一口飲んでからアリシアは口を開く。 「あたしの故郷は、三歳の時に術使いの組織に襲われたんだ。本当の父さんと母さんが殺されて…それで、一人残されたあたしを保護してくれたのが、今の父さんなんだ」 「その組織を、探してほしいんだね?」  こくんと頷いてから、アリシアは顔を曇らせた。 「…夜中に突然、大人数でやってきて…呪文みたいのが聞こえたと思ったら、あっという間に火の海にされたんだ。逃げるのに精一杯だったから、顔とか見てる余裕なくて…何一つ情報がないんだ。だから治安兵も動いてくれなくて…」 「うーん…せめて何か特徴的な事が一つでもわかればなぁ…」  困ったように眉を寄せながらエイスは頭を掻く。アリシアも、顔を曇らせたままだ。 「あいつら…もしかしたら『同族狩り』かも。何人か、連中に連れて行かれる術使いを見た。隣の家のおばさんも…連れてかれた」 「他に何かないのか?例えば、目立つ武器のような物を持っていたとか…」  そう聞いてきたカルディアの方を向き、アリシアは首を横に振る。 「普通に、ナイフとか…持っててもそんなのばっかだったと思う。ヤツら、わざわざ家に油を撒いてから火を着けてたみたいなんだ。あのにおいは、未だに覚えてる…」 「油を?」  ぴくりと、リャードが反応する。しばらく顎に手を当てて考えこんだ後、ぐっと身を乗り出した。 「もしかしたらそいつら…術使いじゃないかもしれない」 「どういう事?」  エイスとアリシアが同時に首を傾げる。カルディアは意味がわかったのか、複雑そうに顔を歪めた。 「相当下手な使い手じゃない限りは、家一軒なんか油を撒かなくても燃やすか壊す事は簡単なんだ。ましてや、そういう破壊や強奪を目的としてる連中ならなおさら、魔力もあるだろうし手練れてるはずだからな。それに、ここ最近の事件も、そいつらがやった可能性が高い」 「クルフ村と…他の二件も?」 「…いずれの現場にも、油を撒いたような形跡があった。何より、焼け跡から魔力を全く感じなかったから、術使いがやった可能性はゼロに近い。呪文みたいな声も、多分わざとだろうな」 「じゃあ…術使いの犯行に見えるように偽造したって事?」  目を細め、エイスはリャードを向く。頷き、リャードは言葉を失っているアリシアに向き直った。 「アリシア…故郷の近くで、似たような事件はなかったか?」 「よく覚えてないけど…あたしの村が襲われた次の週にも、隣町がやられたって…そんな記憶はうっすらあるよ。やっぱり、油を撒かれてたみたいだけど…」 「……十四年前の、中央都市の連続襲撃事件…」  カルディアがぼそりと呟く。エイスとリャードも、ハッと顔を上げた。 「そうだ…子供ながらに、凄く騒がれてるなぁって思ったんだ。確かに、犯人が捕まったって情報は流れてないし…リャードの言う事が正しいのなら、彼らは十四年間も逃亡して、犯罪を繰り返してたって事になるね」 「むしろ、そいつらがこの街の近くにいるって言うのが信じられねぇな…。何より、術使いの仕業にする手口が気にくわねぇ…」  ギリと歯を鳴らし、怒りをあらわにするリャード。見れば、カルディアも無表情に見えるが、全身からふつふつと殺気にも似た気迫が滲み出ている。  二人の気配が変わり、動揺しているアリシアに気付いたエイスは、にこりと笑いかける。 「大丈夫だよ、アリシアちゃん。二人共顔は恐いけど、根はいい子だから。君を食べたりしないよ」 「何のフォローだそれ」  リャードがジト目で睨んでくるが、それは無視するエイス。 「ところで、アリシアちゃんはお仕事で引っ越して来たんだよね?組織って言ってたけど…ギルドか何かかい?」  聞かれ、アリシアはきょとんと目を瞬かせた。 「あれ、言ってなかったっけ?『術使い狩り』だよ」 「術使い狩り?!」  リャードとカルディアが同時に身構える。エイスは咄嗟に、二人を手で制して慎重にアリシアを見据えた。 「念の為に聞くけど…冗談じゃないよね?」 「ち、ちょっと待ってよ!あたし別に、リャードとカルディアさんを捕まえたりしないよ!?それに、術使い狩りって、悪い術使いだけを捕まえる組織なんでしょ?」 「え?」  アリシアの最後の言葉に、三人は思わず呆気に取られてしまう。 「だって、父さん言ってたよ?術使い狩りは、悪い術使い達を捕まえる、正義の仕事なんだって。だからあたしは、父さんと仲間をとても尊敬してるんだ!」  にこにこと無邪気に笑うアリシアは、どうやら冗談では言っていないらしい。  三人は顔を見合わせ…結局、敵ではなさそうだと判断し、警戒を解く。とりあえず、エイスはぎこちないながらも笑みを作った。 「えーと…君の仇の件に関しては、もっとよく調べる必要がありそうだし…今日はここまでにしよう。まだしばらく移動しないんでしょ?またこの街に来た時には、遊びにおいで」 「いいの?じゃあ遠慮なく来ちゃおうかな」  エヘヘと笑い、アリシアは立ち上がる。玄関から先は、カルディアが道案内がてらアリシアを送る事になった。  何度も振り返り、手を振ってくるアリシアの背を見送る二人。完全にその姿が見えなくなった後、エイスとリャードは同時に息をつく。 「いいのか?また来させたりして」 「うーん…あの子のいる組織も気になるし…様子は見たいかな」 「…本当に、面倒な事になりそうだ」  なげやり的に頭を掻き、カップを片付けに行くリャードに、エイスは苦笑した。 「俺達が面倒事に巻き込まれるのは、いつもの事でしょ?」 [第六章] ――――――  南ブロックを抜け、中央ブロックに差し掛かった頃。ネニヴェの街並みが気に入ったのか、しきりに辺りを見回していたアリシアが目を輝かせながら口を開く。 「すっごく広いんだねー、ここ。さっきはリャードを追いかけるのに夢中でゆっくり見れなかったけど…街並みもレトロだし、なんかオシャレ~。港街とは思えないよ」 「君がいた大陸中央都市の方が、文明が発達してるんじゃないのか?」 「それはその地区だけさ。あたしがいたのは、都市から離れたド田舎で、中央から少し西に外れてるんだ」  指で宙に地図を描いてみせながらアリシア。ふと、その手を下ろす。 「あの…カルディアさん」 「何だ?」 「こっちの地区では、『術使い狩り』は悪い印象なの?さっき、リャードもカルディアさんも、凄く怖かったからさ…」  そわそわと指を絡ませながら、遠慮がちにカルディアを見上げる。カルディアはアリシアの方は見ずに、淡々と答えた。 「"一般常識"では、『術使い狩り』と呼ばれる連中は、主に術使いを襲い、殺害したり、拉致した後、闇取引で稼ぎをしている連中の総称だ。ヤツらの手にかかった術使い達は、遠い地にいる学者の研究材料にされるか、物好きな富豪達の奴隷にされたり、見世物小屋の商品になったり…かなりの値段で売買される……ボクと銀髪チビ…――フルークは、裏の世界ではちょっとした有名人らしく、多額の賞金をかけられてる。エイスも……何をやらかしたのか、術使いでもないのに賞金首だ」 「有名って…?」  じり…と警戒心を見せるアリシアをチラと見てから、カルディアは歩みを止めた。 「フルークは、父親が名のある術使いだったから、そのとばっちりだと言っていた。ボクは……あの二人と出会うまでの五年間、『術使い狩り』の組織にいた」  アリシアが息を飲んだのが表情でわかる。微かに視線を外し、続ける。 「…ボクの故郷も、術使い狩りに襲われて……その時に母を人質に捕られたんだ。解放条件として、一千万ディールを稼ぐ事を命じられたが…半分近く稼いだ時には、母はとっくに別の組織に売られていた後だった。今はあいつらと行動しながら、母を探してる」  一気に話し終えたカルディアは、ふうと息をつく。  立ち止まっている二人を、迷惑そうに通行人は避けて歩いていく。流石に邪魔かと、カルディアはうつむくアリシアを促し、再び歩き出した。  普段口数が少ない分、余計な事まで話してしまったなと、胸中で舌打ちする。 「リャードも…術使い狩りの被害者…?」 「……そう…聞いてる。あいつがクルフ村に行ったのは恐らく、自分の村を襲った組織との関連を調べる為…だろうな」  返事に困ったが、言葉を濁しながらも正直に答えた。アリシアがうっすらと涙ぐむ。ぎょっとして、カルディアはとりあえず何か言わなければと口をもごつかせた。 「ボク達の故郷を襲ったのは、アリシアがいる組織とは別だし……だから気にしなくていいと…思う」 「うん…」  返事はしたものの、やはり表情は暗いままだ。こういう時、どうしたらいいのかがわからず、カルディアは困ったように顔をしかめる。エイスだったら、笑いかけて安心させてやるのだろうが…  術使い狩りの襲撃を受けた時のショックと、組織にいる間の過酷な環境下にいた時のストレスにより、カルディアは『笑えない体質』になってしまった。笑おうとしても、顔の筋肉が強張り、上手く表情が作れないのだ。  今も試みたが、やはり口元はひきつるだけで、上手く口角が上がらない。悔しい気持ちを抑え、恐る恐る涙を指で拭ってやると、アリシアは照れくさそうに笑う。 「ありがと…カルディアさん、超紳士だね」  それを聞いたカルディアは、きょとんと目を丸める。その後、多少言いにくそうにポツリと、 「ボクは…これでも女だ」 「えぇぇぇ!?」  小声で聞き逃しそうになったが、アリシアはその呟きに素直に驚愕し、思わず悲鳴に近い声を上げた。 「い、言われてみれば声が少し高いような……?でも……えぇぇぇ……?」 「……組織にいた時、性別を偽っていたから…それ以来、ずっと抜けないんだ…」  居心地悪そうに微かに体を揺らしつつ、視線を反らしていくカルディアを上から下まで何度も観察した後、アリシアは目を点にしたまま何故か一度大きく頷いた。 「大丈夫…びっくりするくらい美青年だから」 「意味がよくわからないが…とにかく、もう行くぞ」  火照った顔をぶっきらぼうに歪め、カルディアは歩みを早める。  自分で選んだ道なので、別にどちらに見られても構いはしないのだが、過去については滅多に口にしないせいか、尋常ではない程動揺しているのがわかる。先程から口が軽すぎだろうと、今度は実際に舌打ちした。  後ろから小走りで追い付いてきたアリシアが、ひょいとカルディアの顔を覗き込む。 「ね、もしも女の子に戻る時は、あたしが可愛くしてあげるからさ。その時は連絡してよ」 「…あいにくだが、先約があるから間に合っている」 「ちぇーっ」  すっかりアリシアは機嫌を戻したようだ。捨て身のフォローだった為、カルディア自身の精神的ダメージはかなり大きいが。 「アリシアお嬢さん!」  不意にどこからか声が聞こえた。2人が探すより早く、右手側にある路地から、迷彩服を来た小柄な男が駆け寄ってきた。彼が声の主らしい。 「薪拾いからなかなか帰ってこないから、心配しやしたよ。こんな遠くにまで何をしに来たんすか」 「ゴメンゴメン。ちょっと色々あってさ。この人達に助けてもらったんだ」  この人、と差されたカルディアを見た男の顔が一瞬で殺気立つ。 「術使い…っ!」 「待って!カルディアさんは悪い術使いじゃない!だから捕まえる必要はないよ!」  咄嗟に身構えた男を、アリシアは怒鳴り付ける。カルディアも咄嗟に腰のホルダーにある術砲に左手を伸ばしかけていた。  しばらく睨み合った後、男は急にへらりと表情を崩す。 「お嬢さんを助けて頂いた恩人とはつゆ知らず……失礼いたしやした。何も礼は出来やせんが、感謝しておりやす」  のたのたとカルディアに近付いた後、無遠慮に右手を握り頭を下げる。  再び頭を上げた時、男がぼそりと、 「余計な事、吹き込んでねぇだろうな…」 「――っ!?」  その握力の強さに、カルディアは顔を歪める。骨が悲鳴を上げ、このままでは折られかねない。  振りほどく前にするりと身を引いた男は、何事もなかったかのように再びへらりと笑い、一礼してからアリシアと共に去っていった。 (あの男……っ)  人混みに紛れて二人が見えなくなってからも、しばらくの間、カルディアはその場に立ち尽くしていた。 [第七章] ―――――  エイスの自宅に帰ったカルディアはすぐに、先程の出来事を二人に報告した。  男に握られた右手は鈍く痛み、しばらくは使えそうにない。骨に異常はないだろうが、圧迫された事により、少なからずダメージは受けているようだ。 「多少の不具合はあるだろうけど、日常生活に支障はないはずだ。あくまで応急措置だから、もしまだ痛むようであれば医者に見せた方がいい」  手当てを終えたリャードが、救急箱を片付けつつカルディアに念を押す。真っ白な包帯が巻かれた右手を見下ろしながら、カルディアは悔しげに顔をしかめた。 「油断していた自分が情けない…もっと用心しておくべきだった」 「幸いにも、カルは左利きだし…それくらいで済んでよかったよ。流石にアリシアちゃんの目の前だし、人の目も多いから、それが彼にとって一番の威嚇だったんだろう。付き人らしき男がカルに危害を加えた点からして、アリシアちゃんの組織が"正義の"術使い狩りだという可能性は、殆どなくなったね」 「アイツが嘘を付いてたって事か?」  リャードが静かに言うと、エイスは首を横に振って否定する。 「俺の予想だと、彼女は何も知らないまま、知らされないまま、組織にいるだけの…ただの箱入り娘だと思う。何故、あの子を組織に置いているのかはわからないけど」  最後は肩をすくめるエイス。 「最も、リャードの言う通り、面倒な事になっちゃったのは事実だけどね」 「どういう事だ?」  エイスの言葉に、術使い二人が同時に表情を固くする。ソファの背もたれに深く身を寄せつつ、エイスは少しだけ意地悪く口元を歪めた。 「彼らが術使い狩りだとしたら、次のターゲットは間違いなく俺達だ。きっと、アリシアちゃんは俺やリャードの事も話すだろうし…ましてや、三人揃って裏の世界では賞金首だもの。彼らにとっては最高の金ヅルさ」 「三人合わせて一千万ちょいだし…そりゃガッツリ狙いに来るわな」  どこか吐き捨てるようにリャードが呟く。 「…出来る事なら、街の中で騒ぎを起こすのだけは阻止したい所だな。関係ない人達を巻き込む訳にはいかないだろう」 「そうだね、カル。でも、俺達は彼らの居場所を知らない…なら、いっそ迎え討つ気持ちで待ってみないかい?」 「またお前はそうやって無謀な提案をする…」  呆れたように眉を寄せるカルディア。エイスと言えば、悪戯っぽい笑みを浮かべながら指をくるくる回している。 「他に方法があるなら、それで構わないよ?…これも俺の予想だけど、早ければ明日にでもアリシアちゃんは来るんじゃないかな。また来ていいと言われたら、彼女はすぐにでも俺達に会いたがるはず。その性格を親玉が使わないとは思えない。でも逆に、それは俺達にとっても好都合になる」 「好都合?」  リャードが首を傾げる。ソファに身を埋めたまま、エイスは足を組む。 「何かしら情報を得られるかもしれないし、最悪は人質にも出来る。言い方は悪いけど、使い方次第では、あの子はこちらにとっても利用価値があるんだよ」 「本当に言い方悪いな」  思いきり顔をしかめるリャードに、エイスは苦笑を返すしかない。 「人質は冗談としても、出来れば情報は欲しいかな。ただ、リャードは顔に出やすいタイプだから、露骨に警戒して逆に不審がられちゃいそうだね」 「こいつは喧嘩の売り買いは出来るが、駆け引きはてんで下手だからな。期待するだけ無駄だろう」 「自覚してるとは言え、そこまでハッキリ言われたら流石にカチンと来るぞコラ」  小馬鹿にしたように肩をすくめるカルディアを、リャードはジロリと睨む。 「早速喧嘩の売り買いしないの。とりあえず、無茶だけはしない事。自分が有利な状況に立たないと、情報っていうのは手に入りにくいし、攻めづらい。まぁ、結局は行き当たりばったりの、臨時公園という事で、頑張るしかないねぇ」 「臨機応変だろ?どんな公園だよ、それ」  リャードが半眼で呟くのは無視して、エイスは話のシメに手を一度打つ。 「今日はカルの手の大事をとって、ここまでにしよう。明日からは、本格的に情報収集だ」 [第八章] ―――――  ネニヴェから帰ってきたアリシアは一人、自室ベッドでぼんやりと寝転んでいた。  現在のアジトとなっているのは、昔は誰かの別荘として使われていたらしい古いコテージ。ネニヴェから少し離れた林の中腹にあるのだが、ここに来るまでの道中は数年も放置されていたからか、舗装されているのに雑草が群生していた。毎日アジト周りの草むしりはしているのだが、流石にそこまでやる気力はない。  二階建てで、別荘にしては少し広いような気がするが、今まで根城にしていた廃墟に比べれば居心地はいい方である。  今は、リーダーであり、血の繋がらない父の帰りを待っている最中だ。彼は今、部下数人を連れて必要物資の買い付けをしているらしい。  恐らく、今日の事は先程アリシアを迎えに来た部下からの報告で父の耳に届くだろう。許可もなく持ち場から離れて街に入ってしまったのだから、しばらくの間、謹慎させられる可能性が高い。 (せっかく、遊びに来ていいって言われたのに…)  今日出会ったよろず屋の三人は、もしかしたら人生で初めての友達になってくれたかもしれないと思うと、少し寂しい。 (そういえばあたし、リャードとはあまり話してないな…)  初対面でいきなり蹴りをくらわせ、挙げ句には襲撃事件の犯人扱いしてしまった手前、もしかしたら嫌われているのでは?と不安になる。 (ちゃんと謝りたかったな…エイスさんとカルディアさんとも、たくさんお話したいな…ネニヴェの街を…皆で歩きたかったな…)  枕を抱えて寝返りをうった時、部屋のドアがノックされる。返事をすると、男が一人入ってきた。  四十代後半程のおっとりした印象を持つ彼が、アリシアの義理の父であり組織のリーダーである。黒の短髪を後ろに流し、縁のないメガネをかけている。 「アリシア…また約束を破ったね?」  いつもの優しい声に、少しだけ怒気が混じっている。枕を抱えたままベッドに座って頬を膨らましているアリシアの隣に腰かける。 「何度も言っているだろう?私達の仕事には危険が付きまとい、いつ狙われるかわからないと……戦いの果てに傷付き、苦しむ仲間達を君は何人も見てきたはずだ。父さんは君をそんな目に合わせたくないんだよ。だから、勝手に敷地の外に出てはならない。いい加減、聞き分けてくれないか?」 「でも…だからって、いつまでも箱入り娘は嫌なんだよ。買い出しくらいしか外に出してもらえないなんて……あたしがどれだけ寂しいかわかってないでしょ!?」  枕を投げつけ、父を睨む。まともに顔にくらい、ずれたメガネを直してから、そっとアリシアを抱き締めた。 「すまない…君には幼い頃から友達を作る事もさせず、つらい思いをさせている事は重々承知だ。しかし、移動をしながら生活をしなければならない故、友達を作ってしまっては君が辛いだけなんだよ…父さんも辛いんだ…わかってくれ」 「わかってる…わかってるけど…っ!やっと初めて友達になれそうな人達に会えたんだよ?!」 「アリシア…」 「最後まで言わないで…ちゃんとサヨナラすればいいんでしょ?その代わり、一つだけ教えて?」  涙を拭い、父をまっすぐ見据える。 「『術使い狩り』って…本当はなんなの…?」  その問いに、男の顔がぴくりと歪む。そのまま表情は変えず、アリシアを見据え返した。 「どういう意味だい?」 「その、友達になれそうな人達が言ってたんだ…『術使い狩りは術使いを商品にしてしまう連中だ』…って。実際、その人達も術使い狩りに襲われた事があるって言ってた。でも、父さんは正義だって…悪い術使い以外は襲わないんだよね?…なら、何でリャードやカルディアさんは襲われたの?あたし……何がなんだかわからないよ」  服の裾を強く握り締めて泣きじゃくるアリシアの肩をそっと抱き、男はしばらく沈黙する。 「アリシア…その人達の事を詳しく教えてくれないかな?」  アリシアの嗚咽が治まった頃、男が口を開く。頷き、まだ少ししゃくりながらゆっくり話し出した。 「ネニヴェの…よろず屋の人達。一人はエイスさんで、この人があたしをゴロツキから助けてくれた人。後は…リャードとカルディアさん。二人共術使いで、エイスさんの仲間だよ」 「よろず屋…エイスと…術使い…リャードとカルディア……」  ぶつぶつと呟く男。しばらくして、彼はアリシアの両肩に手を置いた。 「…いいかい?アリシア。術使い狩りは、悪い術使いを捕まえる正義のヒーローで…父さんは、そのリーダーの一人だよ」 「父さん…」  安堵したように、アリシアは小さく微笑む。男も笑い返し、そっと額にキスをした。 「命の恩人なら、いい人達なのだろう。特別に、その人達となら会っても構わないよ。明日はちょうど、ネニヴェで大きな買い出しがあるから、君も同行するといい。少しだけ自由時間をあげるから、くれぐれも粗相のないようにな」 「父さん…っ大好きーっ!」  喜びのあまり、アリシアは父の胸に飛び込んだ。ベッドに倒れこみ笑い合う二人。  しばらくして、男は身を起こしながらアリシアも抱き起こし、ベッドから立つ。 「さぁ、そろそろ夕食の仕度をしてきなさい。父さんは調べ物をしているから、出来たら部屋まで呼びに来てくれるかい?」  頷き、上機嫌に部屋から出ていアリシアを見送った後、男はにこやかな表情を一瞬で消し去り、片手で顔を覆う。 「よろず屋だか何だか知らんが…余計な事をしてくれたものだな…」   [第九章] ―――――  翌日。ネニヴェから馬車で三十分程走った先にある故郷の村から到着したリャードが、なかなか起きないエイスを叩き起こし、朝食まで済ませた後。よろず屋三人はそれぞれネニヴェの街中へと散らばった。  目的は、アリシアがいると思われる組織の情報収集および、十四年前に大陸の中央都市で起きた襲撃事件の情報収集。  エイスは人の出入りが頻繁で、商店街と宿屋が建ち並ぶ西ブロックへ。カルディアは遠方からの観光客や、商人が集まる東ブロックの港へ。リャードは様々な施設が揃い、過去の記録も手に入れやすそうな中央ブロックへと、それぞれ思い思いの場所へと向かう。  とりあえずリャードが向かったのは、大陸中の様々な市町村の新聞や瓦版も保管している図書館。そこで十四年前の記事を探してみるが、どの資料を見ても、術使いの仕業であるとの情報以外は何も書かれておらず、参考にすらなかった。  現場に行けばいいのだろうが、十四年もの年数が経ってしまえば、当時と環境はがらりと変わり、何一つ成果は得られないだろう。  それに、中央都市までは馬車を何台も乗り継ぎ鉄道を使った後、更に馬車を乗り継がなければならず、辿り着くにも一苦労だ。  念の為、他に似たような事件をいくつか頭に叩きこみ、リャードは図書館を出た。歩きながら先程見た情報を頭の中で整理する。 (まずは十四年前、アリシアの故郷らしき村を筆頭に、その周りで四件の襲撃事件が起きる。その数ヶ月後、今度は中央都市から東にいった先で四件。その後は、そこから南にいった先の市や街で三件。大体平均三ヶ月ペースで、三~四件の襲撃事件が起こってる)  ぴたりと、歩みを止めて図書館を振り返る。 (被害にあった市町村は、いずれも人口の殆どが術使いだった所だ。更に、徐々にネニヴェに接近してる傾向にあるから、犯人達が近くにいるのは間違いない。けど、アリシアの組織が関係あるかどうかまではハッキリしないな…) 「だーれだっ」 「うわ!?」  思考に集中しすぎて、背後の気配に気付けなかったリャードの視界が真っ暗になる。恐らく、目を覆っているのは手であろうそれから抜け出し、身構えたリャードは手の持ち主を見た瞬間、呆気に取られた。 「アリシア?!」 「エヘヘ、来ちゃった」  ヒラヒラと手を振り、無邪気に笑うアリシア。 (本当に来やがった…)  対するリャードは、たまに的中するエイスの勘に驚きつつ、警戒している事をなるべく勘づかれないよう少しだけ表情を緩めた。 「昨日の今日でもう遊びに来たのか?気が早いんだな」 「メインは買い出しの手伝いだけどね。今は仲間が荷物の確認してる最中でさ。あたしはその間だけ自由時間だから、観光がてら顔見に来たんだ。エイスさんとカルディアさんは?」 「…あいにく、今は二人とは別行動中なんだ。まだしばらくは会えないぞ?」 「そうなんだ…残念。でも、今日はリャードに用があったから、ちょうどいいや」 「オレに?」  思わず低い声を出してしまうが、それに気付かないのか、アリシアは深々と頭を下げた。 「昨日は急にごめんなさい……腕、痛くない?」  一瞬何の事かわからず虚をつかれたが、すぐに気付き、蹴りを止めた腕を見せる。 「全然なんともねぇよ。あれくらい痣すら残らないって。筋はいいけど、もっと修練を積めばもう少しマシにはなるかな」 「なにさ!人がせっかく謝ったのに、そうやって茶化す気!?」 「あの時、悪口も言われたからな。これであいこだ」  意地悪く笑うリャードに、アリシアは悔しげに唸る。ふと、リャードは笑みを消し、改めてアリシアを観察してみた。  話をした感じ、彼女からは殺気やそれに似た気配は感じられない。もしその気があるのなら、先程が隙を見せていたリャードを襲うチャンスだったはずだ。 (オレ達の思い過ごしか…?) 「どうしたの?あたしの顔に何か付いてる?」  自分の頬に触れ、きょとんとしているアリシアに、一か八か話を振ってみる事にした。 「いや…何でもない。それより、中央都市からはどうやってここまで来たんだ?」 「どうって…馬車とか鉄道を使ったよ。寝床はあちこちの廃墟を借りて寝泊まりしたり、キャンプしたり…色々だよ」 「よかったら、地図があれば見せてくれないか?中央都市に行った事がないから興味があるんだ」 「いいよ。ちょっと待ってて」  あっさりと頷き、ポケットから地図を取り出し、リャードに手渡す。  まさか本当に渡してくれるとは思っていなかったので、少しだけ拍子抜けしてしまうが、貴重な情報が得られるかもとリャードは何とか表情を隠し通す。 「今まで通ったルートとかは、地図にちゃんとメモしてあるよ。もし中央に行く機会があったら参考にしてよ」 「あぁ、サンキュ」  得意気なアリシアに相づちを打ってから地図を受け取り、広げて見たリャードは思わず眉間に力を入れた。その瞬間―― 「―――っ!?」  突然、背後から強い殺気を浴びたリャードは振り向き様にアリシアを背にかばい、いつでも動けるよう身構える。  その先には、ふちの無いメガネをかけた四十代半ば程の男が、にこやかな笑みを浮かべながら立っていた。 [第十章] ―――――  リャードの頬を、冷たい汗が一筋伝う。  全身を刺す様な殺気が、目の前にいる男から発せられていた。にこやかに笑っているのに、全く隙がない。かなりの手練れである事は、その気迫で充分に感じ取れる。 (こいつ…術使い狩りか…?白昼堂々、こんな所でやりあう訳にはいかないな…)  自分の後ろにいるアリシアや、通行人達への被害を考えると場所が悪い。なんとかして人が少ない場所に移動した方がよさそうだと、慎重に逃げ道や対応を思考する。 「父さん!どうしたの?買い出しに出てくるなんて珍しいね」 「え?」  ひょこんと顔を出し、目の前の男に言うアリシアを思わずリャードは振り返る。かなり隙を見せてしまったが、男は襲いかかってくる気配はなく…気が付けば先程までの殺気が、まるで嘘のように消え失せていた。 「キミを助けてくれた恩人達に一目会いたくてね」  露骨に警戒心を表しているリャードはお構い無しに、男はスタスタと軽い足取りで近付いてくる。リャードの目の前で立ち止まると、深々と一礼した。 「この度は娘を助けて頂き、感謝しているよ。私の名はクリフォード。キミがリャード・フルーク君だね?娘から話は聞いているよ」  にこりと笑い、挨拶の握手をしようと手を差し出してくる。だが、リャードは身構えたまま動かない。 (まさかボス自ら出向いてくるとは思わなかった…どうする…?)  無意識に唾を飲み込みつつ、エイスとは違った雰囲気を持つ優男の顔をじっと見据える。 「大丈夫だよリャード。父さんは優しくていい人だから、そんなに緊張しないでよ」  肩に力が入っているのに気付いたのか、それをほぐそうとアリシアが無遠慮にバシバシ叩いてくる。少しイラついたが、一度大きく息を吐き、平常心を取り戻す。そして、未だに警戒は解かないままではあるが、リャードも小さく口角を上げ、軽く手を握り返した。 「こちらこそ、わざわざ来てもらって申し訳ないくらいだ」 「恩人に会う為なら苦ではないよ。他にも仲間がいると聞いたのだが…一緒ではないのかい?」 「今、エイスさんとカルディアさんとは別行動なんだって。だからしばらくは会えないらしいよ」  後ろからアリシアが口を挟む。クリフォードは目尻を下げ、残念だと肩を落とす。 「そうか、ならば仕方ない…リャード君だけでも礼が言えてよかったが…どうせなら、お二人にも感謝の念は伝えたかったな」 「そんな大それた事はしてないさ。あいつらもきっと、そう言うと思う」 「いや、キミ達は私の大切な娘を救ってくれたんだ。何かしら礼をしなければ、私の気が済まないよ」 「人助けするのに見返りは求めてないし、気持ちだけで充分だ」 「…もし時間があるなら、少し話をしないかい?私達はこの土地に来て、まだ日が浅いものでね。色々と聞きたいし、アリシアも君達ともっと話がしたいだろうしな」 「今は…用を済ませてる途中なんだ。悪いけど、またの機会にしてくれないか?」  なかなか食い下がらないクリフォードに、リャードは徐々に圧され始める。それに比べ、クリフォードの表情はおろか、口調すら崩れない。 「用が済んだ後で構わないよ。どうせならランチをご馳走しよう」 「いや……だからそういうのは…」 「ねぇ父さん。どうせならアジトに来てもらおうよ。流石に奢りって言うのは、リャード達が気が引けちゃうだろうしさ」  二人のやりとりを聞いていたアリシアが、名案だと言わんばかりに指を鳴らす。その瞬間、クリフォードの口元がにやりと歪んだ。 (しまった…っ)  リャードはクリフォードの意図に気付き、舌打ちする。 (こいつ……最初からアリシアにそう言わせるつもりだったのか…っ)  彼の目的が仮に自分達、よろず屋三人を捕らえる事だとすると、いかにアリシアに怪しまれずにアジトまで連れて行くかが問題だったはず。  クリフォードは最初から、リャードが渋る事を計算し、アリシアが言い出すよう仕向けていたのだ。慌てて何か言おうと動く前に、クリフォードが先手を打つ。 「あぁ、それがいいね。ここだと、人が多くてゆっくり話も出来ないし…何もないが、おもてなししよう」 「か、勝手に決められても困る!オレ達にだって都合がーーっ」 「リャード君」  滑るようにリャードに近付き、緑の目をじぃと覗きこむ。メガネ越しに見えるクリフォードの黒の瞳は、ぞっとする程優しく微笑んでいた。 「この街は、とてもいい所だね。私はここを気に入ったよ」 「ぐ……っ」  最初の殺気に呑まれた時点で、自分が不利な事はわかっていた。再び放たれた殺気に、リャードは従う事しか出来ず無意識に呻く。そして、小さく頷いた。 「……わかった…アジトまで案内してくれ」 「そう来なくてはな。お二人には私の使いを出そう」 「エヘヘ、行こっ!リャード!」  急かす様に腕を組んで引っ張るアリシア。後ろにはクリフォード。完全に退路を絶たれた。 (あぁ、ちくしょう……オレのバカ!) [第十一章] ――― 「遅いなぁ…リャード。時間厳守って言ってたのに…」  懐中時計を見ながらエイスが呟く。 「お前だって遅刻しただろう」  ため息を付き、カルディア。  二人は今、集合場所に定めた中央ブロックのカフェの前にいるのだが、いつもなら指定時間の五分前には到着しているはずのリャードが、二十分経っても姿を見せないのだ。 「俺の遅刻は今に始まった事じゃないでしょ?あの、時間には厳しい真面目タイプのリャードが、こんなに待っても来ない事ってあったかい?」 「あいつの事だ…どうせまた面倒なザコに絡まれているだけじゃないのか?」 「そうかなぁ…何だか胸騒ぎがするんだよね…」 「気のせいだろう?それより、あいつが来る前に、ボク達だけで情報を出し合おう」  通行人の邪魔にならないよう、カフェの壁際に移動する。先に口を開いたのはカルディアだ。 「ボクは中央都市からの商人を名乗る男名義で、大量の油と食料を注文されたというブローカーに会った。その商品は、お前が行った西ブロックの商店に引き渡し、そこで売買されたらしい」 「おや、奇遇だねぇ。実は俺も、中央都市から来たらしい商人が、大量に商品を購入したという店に行ってきたんだ。その取引があったのは、ついさっき。しかも、油をたんまりとね。買い付けに来た人達の中に、十六、七歳くらいの女の子もいたらしいよ」 「女の子…?まさか……」 「その子がアリシアちゃんだとしたら、タイミングといい、中央都市というワードといい…ほぼ間違いなく、彼女がいる組織に間違いないね。そして、一連の事件の犯人も……彼らだ」  壁に背を預けながらエイス。その口元には、微かに笑みが浮かべられていた。 (緊張感というものがないのか?この男は…)  カルディアが不服そうにしているのに気付いたのか、エイスはおどけたような、悪戯っぽい笑みを浮かべた。 「こう見えて、ちゃんと気張ってるさ。でもね、どうしても楽しんじゃうんだよ……スリルをね」 「スリル?」  意味がわからないと顔をしかめるカルディアに、「うん」と頷く。 「難しい事件程、自分の命が危険な程、どうしてかワクワクしちゃうんだよ。依頼完遂までのプロセスにおいて、いかに自分の技量が活かせるか…複雑な案件程、現れた相手の強さが強い程、頭も体も使う。その時に張った緊張の糸がピンとしてる程、楽しくて仕方ないのさ」 「ドMか?お前……」  カルディアがジト目で放った、たった一言の感想にエイスの肩がコケた。 「あのねぇ…人の楽しみをSM変換しないでくれる?それにリャードだって、たまーにスリルを楽しんでる時あるんだよ?男って生き物は、そーゆーモンなのさ」 「理解出来ないな、ボクには」  ため息をつき、無駄話は終わりだと手を振るカルディアだが、正直な話、自分だけが仲間外れにされた気がして少しだけ悔しかったのだ。  恐らく、エイスはそれに気付いているだろう。何も言わないが、ニヤニヤとこちらを意味ありげに見ているのが腹が立つ。話を戻そうと、カルディアは改めて口を開いた。 「…そういえば、一つだけ気になる話を聞いた」 「へぇ?」  興味ありげにエイスが相槌を打つ。 「二十年くらい前、中央都市近くの町が、術使いの組織による襲撃を受けたらしい」 「ふぅん?それは術使いなんだ?」 「あぁ。向こうではそこそこ名の知れた組織だったみたいだ。その事件は、すぐに駆けつけた治安兵によって被害が拡大せずに済んだが……その件以降、男が一人行方がわからなくなっている」 「行方不明?ただ単に引っ越ししたんじゃないの?」 「それはわからない。その男は当時、三歳になる娘がいたそうだ。でも、襲撃の際に目の前で、妻と共に殺された…」 「なるほどね…この事件の流れがわかってきたよ。あとは……あそこにいる、ちょっと怪しい人がどう動くかだね」  くいっと親指で左側を差し、カルディアにそちらを見るよう促す。その先にある八百屋の前には、迷彩服を着た小柄な男が、ヘラヘラと笑いながら立っていた。二人が気付いたからか、男はのたのたとこちらに歩いてくる。 「あいつ…あの時の…」  包帯が巻かれた右手に無意識に触れながら、カルディアが唸る。それをチラと見た後、エイスが口を開く。 「さっきから俺達を見てたみたいだけど…何か用かい?」 「旦那から、お二人に伝言がありやす。『君達のお仲間は、先に私の屋敷でもてなしているよ』……以上でやす」 「あのチビ…やっぱり厄介事に巻き込まれていたのか…っ」  小さく悪態を付きながら、大きな舌打ちをするカルディア。それは無視して、エイスは壁から背を離して男と向き合う。 「"先に"って事は、その『おもてなし』に俺達もお呼ばれしていいって事かな?」 「へぇ。俺っち達が案内しやす」  男が小さく手を上げると、今までどこにいたのか、仲間らしい連中がゾロゾロと姿を現した。完全に二人を取り囲み、逃げ道を塞いでいる。 「こんな大人数で迎えに来てくれるなんて、ありがたいねぇ。お屋敷まではパレードでもしてくれるのかな?」  おどけてみせるエイスに、男がにやりと笑う。 「さぁ、旦那達がお待ちでやす。行きやしょう」 [第十二章] ―――――  雑草が生い茂る林の中を、リャードとアリシア、そしてクリフォードの三人は歩いている。リャードの腕は未だにアリシアに組まれたままだ。 「いつまでくっついてるんだよ。歩きにくいだろ?」 身じろぎしながらリャードは呻くが、後ろを歩いているクリフォードが呑気に笑いつつ、二人の肩をくっつけるように押し付けた。 「いいじゃないか。二人ともお似合いだぞ?」 「や、やめてよ父さん!」  声を上げるアリシアだが、まんざらでもないのか、その顔は真っ赤に火照り、緩んでいた。  彼女にとって、こうして同年代くらいの異性と歩くというのも初めてで刺激的なのだろうが、リャードにとってはいい迷惑だ。 「アジトに着くまでそうしているといい。リャード君も、娘の我儘にもう少しだけ付き合ってくれないかな?」 「そーそー。せっかくだし、付き合ってよ」  先程より密着され、更に歩きにくくなる。 (アリシアはロープ代わりって訳か…)  純粋な乙女心ほど厄介な拘束具はないなと、胸中で呟く。 (歩きにくいってのは、本音なんだけどな……)  逆らえない状況にいる為、リャードは諦めて歩を進める。チラとアリシアを見れば、彼女は上機嫌そうに鼻歌を歌っていた。 (お気楽でいいよなぁ…)  少しだけ肩を落とし、ため息をつく。 「どーしたの?リャード。さっきから元気ないよ?」  出る訳ないだろうと思わず言いかけるが、それはぐっと飲み込んで堪え…その代わり半眼でアリシアを睨む。 「お前、何でオレだけ呼び捨てなんだよ」  ずっと気になっていた不満をぶつけてやると、それに対してアリシアはきょとんと目を丸くした。 「だってアンタ、あたしと同い年くらいでしょ?カルディアさんとエイスさんは明らかに年上だし。年上には敬意を払いなさいって父さんが言ってたから」 「………一応言っておくけど……オレ、十九だからな?」 「え?!」  カルディアの性別を知った時以上に、アリシアはすっとんきょうな声を出す。そして、やはり上から下まで何度も見直した後、 「ごめん、あたしより二コ年上だけど敬意払えないや」  と、キッパリ断言される。 (刺し違えていいから、一発殴りたい…)  たかが一か二程の年の差とはいえ、自分だけなめられている気がして、リャードは少しイラついた。 「リャード!あれがあたし達の今のアジトだよ!」  そんな事などお構いなしなアリシアが指差した方を見ると、少し開けた広場のような場所の中央に一軒だけポツンと寂れた木造の古いコテージが建っていた。 (これは…どっかの商人貴族が使ってた別荘だったか?確か何年も前に経営が破綻して、どこかに引っ込んだとか聞いたな。まだ残ってたのか)  昔、新聞か何かで見た記憶があるそれを、リャードはじっと見上げる。風化しかけ、所々にツタが絡まり壁にはヒビが入っていた。窓も、何枚か壊れている箇所がある。  ふと、視界の隅に移った物に興味を惹かれ、そちらに目を向ける。そこには、先程アリシアの仲間が買い付けてきたらしい荷物が乗ったままの荷車が1台停まっていた。 (あの積み荷……まさか…) 「二階のあの部屋があたしの部屋だよ」  ふいに声をかけられ、リャードはハッと我に返る。 「何もないけど話くらいは出来るからさ。早速お茶でも――」 「いや、リャード君は父さんと会議部屋に来てもらうよ」  アリシアの言葉を遮りつつ、リャードを引き離すクリフォード。もちろん、アリシアは不満気にプクッと頬を膨らます。 「何でさ?!リャードはあたしの友達だよ!?」  いつ友達になったんだよ、というリャードのぼやきは言わせないまま、クリフォードは淡々と返す。 「君はまだ仕事を終わらせていないだろう?待っている間、退屈しないように私が相手をしてあげなければ、リャード君に失礼じゃないか」 「うぅぅぅぅ……終わったら、次はあたしが話するんだからね!エイスさんやカルディアさんとも!」 「わかったから、早く行きなさい。時間がもったいないだろう?」  慌ただしくアジトの裏側に走っていくアリシアを見送った後、クリフォードはにこりとリャードに笑いかける。 「失礼…お恥ずかしい所を見せてしまったね。さぁ、ゆっくりと語り合おうじゃないか。ねぇ…?『白銀(しろがね)の龍使い』――リャード・フルーク君…?」  リャードとクリフォードが連れだって屋敷に入って行くのを遠目から眺めつつ、アリシアは未だに頬を膨らませながら手に持った洗濯物を乱暴に竿に引っかけた。彼女の足元には、洗濯物がこんもりと盛られたカゴが四つ程置かれている。 「なにさ!父さんの意地悪っ」  ふと、洗濯バサミを持った手が止まる。 「そういえば、何で父さん、リャードのフルネーム知ってたんだろう…?」  小首を傾げてみるが、まぁいいかと余計な思考は捨て、とりあえず目の前の面倒な仕事を片付けようとアリシアは黙々と手を動かした。 [第十三章] ―――――  リャード達から遅れる事、数十分。エイスとカルディアは迷彩服の男を先頭に、五、六人程の武装した男達に囲まれながら林の中を歩いていた。カルディアは街を出てからずっと、連中の配置や持っている武器などを念入りに確認している。  彼女が持つ銃、『術砲』は術使い専用の銃で、鉛弾の代わりに自分の魔力を弾として発砲する。その扱いは非常に難しく、好んで使う術使いは少ないという。  彼女は元々、故郷が襲撃される前までは戦闘など野蛮な事とは無関係な一人の少女だったので、魔力の扱いも制御も心得はなかったはずなのだが、自分や母親の命を守る為、瞬間的に開花した才能なのだろうとリャードは言っていた。  しかし、まともに訓練を受けていないカルディアは、銃を使う事以外は全くの素人である為、接近戦を最も苦手としていた。  故に、彼女の戦闘スタイルは、もっぱら遠距離からサポート役である。周りの敵を観察し、自分はどう動くべきかを先に見定めるのだ。今の現状として武器を見る限り、周りの連中はほぼ全員が接近戦スタイルだろう。最も相性が悪い。 (銀髪がいない今、先頭にいる連中はエイスに任せるとして、ボクは後方の敵に集中した方が無難か…)  ざっと観察し終えたカルディアは、いつでも抜けるよう、マントに忍ばせた左手を術砲に添えてからエイスに目配せする。頷き、エイスは目の前の男を見下ろすようにして笑いかけた。 「アジトにはまだ着かないのかい?街から随分遠いんだね?」  目の前の男は振り返りながらエイスを見上げる。かなり小柄な為、必然的にそうなってしまうのだが、恐らく身長は百六十センチもないだろう。まだリャードの方が大きく見える。すきっ歯なのと歯並びが悪いせいで年齢がよくわからない。 「残念ながら、俺っち達の案内はここまででやす」  立ち止まり、身構えた男の手には、鋭く光る鉤爪がいつの間にか取り付けられていた。 「旦那から、もう一つ伝言がありやして…『「よろずの道化師」は排除。「浅葱(あさぎ)の狼」は生け捕りにしろ』と…」 「ありゃ、こんな所でおもてなしかい?美味しいご飯が食べたかったなぁ」  おどけるように肩をすくめ、エイスは微かに笑みを浮かべる。 「その二つ名を知ってるって事は…キミ達、『裏』にも精通してるね?」 「俺っち達は、悪い術使いを狩る、正義の術使い狩りでやす!」  男が上げた声を合図に、術使い狩り達とよろず屋二人が同時に動く。ほんの刹那の差でエイスが誰よりも早く攻撃に転じた。  コートの内側にくくりつけてあるホルダーから銃を一丁右手に。更に左手には小振りのタガーナイフをそれぞれ構え、まずは銃を三発放つ。  銃弾は目の前の男三人の足や腕、脇腹に着弾し、動きを封じる。すかさず、今度は左手を真一文字に振り、死角から攻めてきた男の胸を切り裂く。  一方、カルディアは一気に五つの光の弾を放ち、真っ正面から突っ込んできた男達をまとめて撃つ。  一度に多数の弾を放つのはかなりの集中力と魔力が必要なのだが、接近戦へのリスクを減らす為には一撃で敵を倒すしかない。そんな大掛かりな攻撃には必ずしも隙は出来る。 「こっちだ!術使い!」  銃砲を撃った反動と、どっと押し寄せてきた疲労で動きが一瞬止まったのを見計らい、負傷している右手側から男が一人、一気に迫って来た。着弾を間逃れたようだ。気配に気付き、慌てて身をよじってかわすが、反撃にまで手が回らない。  討ち取ったり、と言わんばかりの笑みを口元に張りつけ、先に体制を立て直した男が回し蹴りを放とうと右足を浮かせる。 「ぐぁ!?」  その足に、どこからか飛来してきた何かが刺さる。先程までエイスが持っていたナイフだ。 「奇襲するのに、居場所教えちゃダメでしょ」  苦笑にも似た意地の悪い笑みで、エイスはナイフを投げた体制で言う。見れば、彼はよそ見をしながらも器用に二人分の攻撃を難なくいなしていた。 「余計な事を…っ」  短く呟き、構え直したカルディアはナイフを抜こうともがく男に魔力の弾を撃ち込む。  自分に敵がいなくなった事を確認すると、素早くエイスの肩越しに二発、術砲を放つ。残る手下の一人は仕留めたものの、もう一発は迷彩服の男が避けた為、空振りに終わった。  カルディアの舌打ちに押されるようにエイスは駆け出す。狙いは迷彩服の男、ただ一人。  降り下ろされた鉤爪をひらりと避けたエイスは、至近距離から銃を構えた。が、引き金が引かれるより早く、男は身を捻って距離を取り、再び間合いを詰めてくる。 (意外とすばしっこいな)  ふむと唇を舐め、冷静に男を見据えたまま銃をホルダーに落とし、すかさず今度は腰のホルダーにある鞭の柄を握る。取り出しざまに振られた鞭はまっすぐ男に向かって伸び、その右腕を絡め取った。 「カル!」  短くエイスが声を上げる。わかっていると言わんばかりに、男の右側に回り込んでいたカルディアが引き金を引いた。 ――クオォォンッ  まるで狼の遠吠えのような甲高い音を立てながら、今までで最大級の光の弾…いや、光の帯が一直線に男を撃ち抜いた。  吹っ飛び、頭から木に叩きつけられた男はぐったりと動かなくなった。 「……殺してないよね?」  渾身の一撃を放ち、肩で息をするカルディアの横顔に、若干引きつった顔をしながらエイスは問う。 「当たり前だ。だが、右手の借り分は上乗せしておいた」  呼吸が整ったのか、フンと鼻を鳴らしながら男の目の前を通り過ぎるカルディア。その顔はどこか晴々としていた。 「……ご愁傷様ー……」  こそっと囁き、男や気を失ったままの術使い狩り達を適当に木に縛り付けた後、エイスはアジトに向かって歩いていくカルディアの後を追った。 [第十四章]   ――――― 「おや、野犬かな?外にいるアリシアは大丈夫だろうか…」  不意に聞こえてきた音に反応したクリフォードが窓に目をやった。  現在、クリフォードとリャードは会議部屋と呼ばれている広い部屋にいた。大きなテーブルを二つくっつけ、周りには十人分程の椅子が備え付けてある。  元々は商人達が集会を開く為に作られた部屋なのか、朽ち始めてはいるが揃えられた家具やインテリアは、質屋に出せばなかなか良い値が付きそうな物ばかりだ。  リャードはいずれの席にも座らず、クリフォードは退路を経つ為か、ずっとドアの前から動かない。互いに沈黙していたので、その音がきっかけで場の空気が少しだけ変わる。 (あの音は…カルディアの術砲?こっちに向かってるのか…)  音の大きさからして、すぐそこにいるらしい。仲間達の接近に気付いたリャードは、流れを自分の物にしようと慎重に口を開く。 「…そんなに娘が大事か?」 「あぁ。血の繋がりはないが、大切な一人娘だよ」  にこりとクリフォードが笑う。 「だから組織の正体を隠してるのか?」  静かなリャードの問いに、僅かにクリフォードの表情が崩れた。 「……何の事かな?」 「とぼけるなよ。アンタ、自分達の事をアリシアには『悪い術使いを捕まえる、正義の術使い狩りだ』と言ってるみたいだな」 「あぁ、その通りだよ。それの何がいけない事なのかな?」 「そういう組織を、『ギルド』って呼んでるのを知ってるか?指名手配犯なんかを捕縛して回ってる、役所公認の組織だ。見た所、公認の証であるバッジを付けてないみたいだから、アンタ達はギルドじゃない。それに、アンタがさっき言ったオレの二つ名…あれは裏ルートでの賞金首に付けられるモンだ。普通、正規ルートで賞金稼ぎしている連中にはわかりっこないはずだ」 「……それは知らなかったな。こっちの地方では、それが普通――」 「とぼけるなと言っただろ」  クリフォードの言葉を遮り、リャードはぴしゃりと言い放つ。   「アリシアに見せてもらった地図が、決定的にアンタがこれまでの襲撃事件に関わっていた事を教えてくれたよ。中央大陸からここに来るまでの道のりが鮮明に書かれていた。何の偶然か、今まで襲撃事件が起こった箇所、全てを渡り歩いてたみたいだな。ご丁寧に到着予定の日付まで書いてあったよ。オレの記憶だと、事件があった日と殆どドンピシャだ。それから、庭にあった荷物…あれ、油を保管する為のタンクだろ?それも、村の一つや二つは簡単に焼き払える程の量はあった。あれと同じ物をオレは今までの事件現場で見てるんだ…こんだけ言っても、まだシラをきるのか?」 「…………」  とうとうクリフォードは口を閉ざした。リャードは鋭く緑の目を細め、今まで溜めていた感情を全て眼光に込める。 「アリシアを騙してた事も気にくわねぇけど…何の罪もない人達や術使い達まで巻き込み、故郷や人生…命まで奪った……しかも、術使いに罪を被せるやり方で…っ!オレはそれが一番許せねぇ!」  リャードが怒鳴った次の瞬間――クリフォードの爪先が目の前に現れた。 「――っ!」  咄嗟に腕で防いだものの、その勢いだけは殺せず、リャードの華奢な体は意図も容易く吹っ飛んだ。 ―――ガタガタンッ  背中から椅子に叩き付けられ、その反動でテーブルまでも薙ぎ倒す。アリシアが放った蹴りと型は同じだが、威力は圧倒的に上だ。  衝撃で咳き込むリャードをクリフォードは無表情で見下ろし、左肩を踏みにじる。革靴の硬い靴底と、倒れたテーブルに挟まれた状態で圧迫され、思わずリャードの顔が痛みに歪む。 「なかなかの名推理じゃないか、小僧。だが、私の正体を暴いた所で、一体君に何が出来る?まさか、この私とサシで戦うつもりだったのかい?」 「本性出しやがったな…っ?」 「私は術使いに対して憎悪しかないものでね…今、こうして君と同じ空間にいる事自体、苦痛で仕方がないのだよ」  踵が更にリャードの肩にめり込む。痛みに耐えながら、それでもクリフォードを睨む。 「大丈夫、殺しはしないさ。君は男にしては綺麗な顔をしているし、いい値で売れるだろうからね。ただ、抵抗されないよう手足の一本や二本は勘弁願おうか」  そのまま踏み砕くつもりなのか、全体重を右足に集中させる。肩の骨が悲鳴を上げた。 「何をしてるの……?」  二人の物ではない、第三者の震えた声が微かに響く。  クリフォードが反射的に目を血走らせながら声をした方を向く。そこには、ドアの前で顔面を蒼白にして立ちすくんでいるアリシアがいた。 [第十五章] ――――― 「ふぅ、やっと着いた」  時間は少し遡り、リャードがクリフォードと対峙していた頃。なんとかアジトに辿り着いたエイスとカルディアは額にうっすらとかいた汗を拭いつつ、それを見上げた。 「リャードはもう中かな?無茶な事してなきゃいいけど…」 「あいつが大人しくしてるとは思えないがな」  嘆息するようにカルディアが鼻を鳴らした時、二人の声に気付いたのか、アリシアがアジトの裏側から顔を覗かせた。 「エイスさん!カルディアさん!来てくれたの!?」 「やぁ、アリシアちゃん。お呼ばれありがとう」  へらりと笑い、エイスはお気楽に手をヒラヒラと振る。 「さっき、野犬の遠吠えみたいのが聞こえたけど…大丈夫だった?」 「あー…うん。まぁね」  カルディアの仕業だとは言えず、エイスはあさっての方を向いて適当に受け流す。 「ちょうど一段落したから、リャードと父さんがいる会議部屋まで案内するよ」  そう言い、アリシアは二人の手を引いてアジトの中に向かう。  元別荘という割に、部屋数が少し多い印象を受ける。もしかしたら、ここで商人達が泊まりがけで様々な交渉や宴などを行っていたのかもしれないなと、エイスはぼんやりと辺りを見回す。  会議部屋は二階にあるらしく、螺旋状になっている階段を昇る。踊り場に出た時、ふいに向いた左手側の廊下の突き当たりに、今まで見てきた物とはデザインの違うドアを見付け、思わずエイスは立ち止まった。 「アリシアちゃん。あの部屋だけ装飾がオシャレだね?」 「あぁ、あそこは父さんの部屋なんだ。父さんもあのデザインが気に入ったらしいよ。どのアジトでも、勝手に入ると怒られちゃうから一度も中を見た事がないんだよね」 「ふぅん…じゃあ、ちょこっと入ってみない?」 「今、怒られるって言ったばかり――って、ちょっとエイスさん!?」  意地の悪い笑みを浮かべた後、エイスはアリシアの制止を無視してスタスタと歩を進め、ドアノブに手をかける。だが、流石に鍵は閉まっているようだ。 「部屋にいない時は、いつも施錠してるから開けられないよ?鍵だって、父さんがいつも持ち歩いてるんだもん」  追い付いてきたアリシアが、ややしかめっ面で言う。ふむと親指を舐めた後、エイスは鍵穴を念入りに観察し始めた。  見たところ、装飾の割には特別複雑な造りではなさそうで、どこにでもあるような安っぽい物のようだ。  コートのポケットを探り、針金を一本取り出す。それをあちこち曲げ、鍵穴に差し込んで何度かつついてみると、鍵はあっさりと外れたようだ。あっという間の出来事に、アリシアは怒るのも忘れて呆気にとられてしまう。 「な…何でそんな事が出来るの…」 「よろず屋ですから。さぁ、入ろう」  エイスはマイペースにドアを開け、我が物顔でさっさと入室していく。 「エイスさんて…何者なの?」 「聞いた通り、よろず屋だ。あぁなったら止めても聞かない」  やれやれとため息をつき、カルディアもエイスの後に続く。  アリシアはしばらくドアの前で躊躇っていたが、興味本位に負けたのか、周りに人がいない事を確認してから恐る恐る足を踏み出した。  クリフォードの部屋は、カーテンを閉めきってはいるものの綺麗に片付いていた。  急ごしらえで作ったらしい本棚には、自作のファイルのような物が整頓されて収まっている。それを眺めているエイスの脇をすり抜け、カルディアも室内を見回す。  ふと目をやった壁には、大陸の地図が貼り出され、いたる所に印が付いていた。カルディアは小さくエイスを呼び、目配せする。それに習い、地図を見たエイスも頷く。 「あの印、今まで襲撃事件があった所と全部一致してるね」  ぽつりと呟いて視線を落とした時、ふと、書き物をする為の物らしき机に無造作に置かれている手帳を見付け、何気なくパラパラと捲る。手帳の中身はどうやら日記のようだ。その最後のページに、色褪せ始めている写真が一枚、大切そうに挟まっていた。 「…ねぇ、誰かに見付かるとマズイから、そろそろ出ようよ…」  廊下の方を気にしながら、アリシアがおずおずとエイスのコートを引っ張る。 「あ、あぁ…うん。そうだね」  咄嗟に、コートの内ポケットに写真をしまい、一歩踏み出した……その時 ―――ガタガタンッ  と、どこからか大きな音が響く。 「会議部屋の方からだ!」  声を上げ、アリシアは二人を置いて部屋から飛び出して行く。 「多分、リャードだ。カルはここに残って、この組織について調べるんだ。俺はアリシアちゃんを追う」 「な……おい!?」  カルディアの手に手帳を押し付け、静止する声を無視してエイスは部屋から駆け出す。 「おっと」  そのすぐ目の前には、エイスの行く手を遮るように組織の連中が二十人程身構えていた。 「旦那の邪魔はさせねぇぞ、優男」  先頭にいる男が指をごきりと鳴らしながら唸る。後ろにいる男達も、各々武器をちらつかせながらエイスを威嚇していた。 「急いでるのになぁ…」  肩をすくめた後、エイスは後ろ手にドアを閉め、挑発的な笑みを浮かべながら微かに身構えた。 「俺の邪魔をする以上、少しは楽しませてくれるよね?」 [chapter:第十六章] ――――― 「アリシア…」  無意識に、クリフォードがドアの前で立ちすくんでいる少女の名を呟く。一見、無表情に思われるその顔つきからは、憤怒がじわりじわりと滲み出ていた。 「仕事はどうしたんだい?まだ終わっていないだろう?」  静かなクリフォードの声に肩を大きく震わせると、アリシアはおどおどしながらも律儀に答えた。 「大きな音がしたから…それで様子を…」 「あぁ、なるほど。それは驚かせてすまなかったね」 「父さん……何があったの?何で…父さんがリャードを……?」  アリシアは胸の前で手を組みながらフラフラとした足取りでこちらに近付いてくるが、クリフォードの表情の冷たさに思わず立ち止まる。それから目を離し、にこりとも笑わないまま、クリフォードはリャードを見下ろした。 「この子はね、とても悪い術使いだったんだ。だからこうやってお仕置きしているのさ」 「嘘だ!リャードは悪い術使いなんかじゃないよ!何があったかわからないけど、あたしの友達をいじめないで!」 「友達?」  クリフォードの目が細まる。 「こんな化け物を友達と呼ぶ、君の神経が知れないな。父さんは君をそんな子に育てた覚えはないよ?」 「化け物って…父さん、一体どうしちゃったの!?父さんはそんな事を言う人じゃない!」  声を上げるアリシア。それに対し、今度はリャードが口を開いた。 「アリシア…こいつは、お前が信じてた正義のヒーローなんかじゃない。何の罪もない術使い達ばかりを無差別に狩る、ただの外道だ」 「リャードまで!何で二人共、そんな事を言うの!?父さんは正義のヒーローで、リャードはいい術使いなんでしょ!?」 「騙されちゃいけないよアリシア。術使いは君の故郷や両親を奪った憎き仇…その同種である彼の言うことを信じるのかい?」 「それは……」 「違う!今までの事件も、お前の故郷を襲ったのも、全部こいつの仕業なんだ!買い出しに付き合ったのなら、あの大量の油は不自然だと思ったはずだ!その油でたくさんの町や村を焼き払い、術使いを無差別に狩ってたんだ!それに、気付かなかったのか?今までお前が訪れた町や村は、そのタイミングで術使い狩りの襲撃に合ってる事に!」  アリシアがハッと目を見開く。 「黙れ!」  思わずクリフォードはリャードの横っ面に蹴りを入れる。小さくアリシアが悲鳴を上げた。  リャードが床に叩きつけられた隙に、クリフォードは素早くアリシアに駆け寄り背後に回り込むと、そのこめかみに隠し持っていた銃を突き付けた。 「アリシア!」 「動くな小僧…そのまま両手を床につけていろ」  立ち上がりかけたリャードは、ぐっと唇を噛み大人しく従う。 「だから私は、君を外に出したくなかったんだよ。おとなしくしていれば、家族のままでいられたというのに…」 「父さん…?」 「あの小僧の言う通り、私は"ただの術使い狩り"だ。術使いの仕業に見せかけ、村や町を焼き払い、術使い共を狩っていたのだよ。そして、君の故郷を襲ったのも…私達だ」 「な……んで…?」  か細く、アリシアが呟く。 「あたしは…父さんを、本当の父さんみたいに好きだったのに…正義のヒーローみたいな父さんを誇りに思ってた!それが、今となっては悪者でした!?あたしを騙すくらいなら、どうしてあの時、殺さないで拾ったりしたのさ!?」  アリシアが上げた声に、クリフォードの表情がメガネの奥に消えた。 「それはね、アリシア…」  後ろから顎を持ち上げ、その茶色がかった瞳を覗き込みクリフォードが笑う。 「売れば金になるからさ」  アリシアの目が、大きく見開かれた。 「知ってるかい?君くらいの年の女は、術使いの次に価値があるんだよ。少々じゃじゃ馬ではあるが、まぁいいだろう。君ならきっと高く売れるよ」 「クリフォードォォォォォ―――!!!」  リャードが吠えるように怒声を上げた。手を床に押し付けたまま拳を握り締めた為。爪が割れて血が滲む。 「さて小僧…お前は私を怒らせすぎた。よって、少々もったいないがこの場で殺してやる」  鈍く光る銃口がリャードを向いた。 「悪いけど、そうはさせませんよ」  どこからか、リャードやクリフォード、アリシアとは違った声が静かに流れてきた。 「誰だ?!」  クリフォードが振り向きかけるのと同時に、一発の銃声が轟く。クリフォードの手から弾き飛ばされた銃が、カラカラと音を立てて床を滑って行く。 「……来るのが遅ぇよ……遅刻魔」  どこか安堵したような、しかし憮然としたような、複雑な苦笑を浮かべながらリャードが呟く。 「俺の遅刻は、今に始まった事じゃないでしょ?」  銃を撃った張本人――エイスは、開きっぱなしのドアに背を預け、硝煙を吹き消しながら悪戯っぽくウインクした。 [第十七章] ―――――  何が起きたのか、クリフォードにはしばらくの間、理解が出来なかった。  銃を持っていた右手は痺れ、人質に取っていた血の繋がらない娘は、戸惑いながらも突然現れたコートの男に呼ばれそちらに駆けて行ってしまう。  確か、エイス・アッシュと言ったか…?  よろず屋という職業を営み、多種類の武器を自在に操る事から、裏では『よろずの道化師』と呼ばれているらしい。そんな道化師が、おどけた笑みでこちらを見た。そこで初めて、形勢が逆転しつつある事に気付く。  いや、元々こうなるであろう事は、恐らくコートの男にはわかっていたのかもしれない。油断していたとはいえ、あっさりとアリシアを救出してみせたのがその証拠である。 「それにしても、君にしては手酷くやられたねぇ」  エイスは相変わらずの悪戯っぽい笑みでリャードに言う。言われた本人は鼻を鳴らす。 「駆け引きは下手なモンでね…でも、我慢するのもここまでだ」  蹴られた拍子に切ったのか、血が滲む唇を乱暴に拭いながらリャードは立ち上がる。 「さて、クリフォードさん…お互いに茶番は終わりにしましょう。アリシアちゃんに正体がバレた今、誰も貴方の味方はいません。屋敷にいた手下は全員、既に潰しておきました。それから、貴方が今まで取引した事や、襲撃事件の証拠になりそうな物は今、もう一人の仲間が回収している最中です。それでも、まだ足掻きますか?」 「なるほど。キミが『道化師』と呼ばれる意味がなんとなくわかったよ」 「そりゃどうも」  掴み所のない笑みでエイスは再びおどけてみせた。 「昔はサーカス劇団にいたものでね。なんなら、ナイフ投げなんかもお披露目しましょうか?」  どこから取り出したのか、小振りの短剣をチラつかせる。 「ふん。貴様は少々厄介そうだな…ならば、先にあちらの小僧から仕留めるまでだ!」  言いながら、クリフォードは素早く身を翻し、リャードとの距離を一気に詰めるべく駆け出した。エイスはそれをあえて見送り、短剣と銃をしまう。 「よりにもよって、リャードを選んだかぁ…」 「エイスさん!何でそんな呑気なの!?父さ……あの男は、組織で一番の武術の使い手なんだ!実際、リャードはやられちゃってたじゃない!」 「大丈夫だよ、アリシアちゃん。今のリャードには"やられてやる"理由がないもの」  一人慌てふためくアリシアをなだめるように、エイスはポンポンと頭を軽く撫でてやる。その視線の先では、今まさにクリフォードがリャードの顔面に拳を放った所だ。思わずアリシアは目を覆う。  まともに当たればかなりの威力になるだろうそれを、リャードは表情を変える事なく意図も簡単にかわしてみせる。クリフォードの顔に、明らかな動揺と驚愕が浮かぶ。  大振りの技を空振り、隙だらけの背中にリャードは足をそっと付けた――ように、アリシアには見えた。  靴底が触れた瞬間、一瞬だけのけぞった後、勢いよくクリフォードの体が吹っ飛ぶ。悲鳴を上げる事すら出来ないまま、派手な音と共に、先程リャードが叩きつけられたテーブルとイスに顔面から突っ込んだ。 「な…に?今の……」 「流石は、大陸最強と詠われた男の息子。相変わらず凄い蹴りだ」  ぽかんと呆けるアリシアの隣で、口笛混じりにエイス。 「た、大陸最強?!」  思わず聞き流しそうになった言葉に、アリシアはすっとんきょうな声を上げ、リャードに驚愕の目を向けた。こちらに気付かないのか、無反応なリャードの変わりに、エイスが人指し指を立てながら続ける。 「だからって訳じゃないと思うんだけど、リャードは術使いとしての腕もさることながら、武術にも長けていてね。特に、蹴り技は彼の十八番みたいなモン。多分、まともにやりあったら俺よりも強いんじゃないかな」  最後に冗談なのか本音なのかよくわからない一言をもらした後、エイスは改めてクリフォードに向き直る。 「そういう訳でクリフォードさん。くれぐれも油断はしないでくださいね」  遠くの方で、そう道化師が飄々と言ってのけたのをクリフォードは聞いた気がした。 [第十八章] ーーーーー  体を叩きつけられた反動で一瞬気を失いかけたクリフォードは、なんとか頭を振って意識を保ち、ふらふらと立ち上がる。パラパラと砕けたテーブルやイスの破片が落ちた。 「小僧…っ」  割れたメガネを投げ捨てて突っ込んでくる。それを見据えながらリャードは短く息を吸う。  踏まれていた時のダメージのせいか、左腕はだらりと力なく下がったままだが、それには構わずにクリフォードの重い蹴りをかいくぐり、息を吐き出すタイミングで仕返しとばかりに再び容赦ない蹴りを放つ。  頬にくらい、床を転がったクリフォードは、やはりよろけながら立ち上がり、今度は両手を突き出しながら再び突進してくる。大胆にも首を絞めにかかってくるようだ。武術には手練れているが、今は冷静さを失い、ただがむしゃらに突っ込んで来るだけの単純攻撃。 「がぁぁぁぁーーーーー!!」  雄叫びにも似た声が、気迫となってリャードやエイス、アリシアの肌を刺す。初めて見る血の繋がらない"父だった"男の形相に怯むアリシアの肩を抱き、エイスがそっと庇ってやる。  真正面からそれを受けているリャードは臆する事も動揺する事もなく、首に手がかかる前にするりと懐に入り込む。カウンター気味に放たれた掌底(しょうてい)がみぞおちに繰り出されクリフォードの体が『く』の字に折れた。咳に似た声と共に血が吐き出され、その場にうずくまる彼から間合いを取る為、リャードは大きく後退した。  普通なら、そこで大概の者は気を失うのだが、何がこの男をここまで突き動かすのか…  ゼーゼーと荒い呼吸を繰り返しながら体を大きく左右に揺らし、立ち上がる。 「なかなかタフだな、アンタ」  それを見越していたリャードが呆れにも感心にも取れるような呟きをもらす。 「だ…まれ…!私の大切なモノばかりを奪う、貴様ら術使いだけは絶対に許さん…っ!憎き術使い共を根絶やしにするまで、私は止まらんよ!」 「……そうか」  憎悪の念を放つクリフォードに対し、どこか哀しげにリャードはぽつりと呟く。構えを解き、目を閉じる。  意識を集中させた瞬間、ぶわりと彼の体を魔力の渦が覆う。一つに束ねられた長い銀の髪が、波打つようにキラキラとはためいた。 「アリシアちゃん、少し下がって」  リャードが放とうとしている術に気付いたエイスが、ドアの陰にアリシアを誘導する。 「龍牙(りゅうが)!」  リャードが声を上げ、右手を突き出した瞬間、彼を覆っていた魔力が周りの空気を無数の風の刃へと変え、クリフォードに切りかかる。  無差別に飛来している風の刃は、壁や床、部屋中の家具までをも切り裂いていく。ギリギリ射程距離から外れているエイスの元にまで細かい破片が飛来し、顔を庇う腕や、衝撃波ではためくコートに破片が当たり、バシバシと小さな音を立てた。アリシアも、ドア越しに伝わってくる衝撃に悲鳴を上げている。  術の効果が切れ、しんと静まる室内。その名の通り、まるで龍が鋭い牙で食い散らかしたような痕が無数にあちこちに刻まれていた。  全身を切り裂かれ血まみれではあるが、殺しを良しとしていないリャードが手加減したおかげで息はあるものの、完全に気絶しているらしくクリフォードはピクリとも動かない。  起き上がって来ない事を確認すると、リャードは右手を降ろしながら大きく息をついた。その後、アリシアに向き直り、 「仇……討ったぞ」  と、投げ掛ける。  一瞬、アリシアはぽかんと目を丸くした後、意味に気付いたのか目にうっすら涙を浮かべるが、泣き顔を見られたくないのか、慌てて俯いた後小さく頷いた。 「お疲れ様」 「おう」  近付きつつ、小さく笑いながらエイスが掲げた手を、リャードも微かに口角を上げ、パシンと叩いてハイタッチする。 「久し振りにあの術を見たよ。相当鬱憤ためてた?」 「まぁな。久し振りに頭にくるヤツだったし…徹底的にぶちのめしといた。でも、オレが出来るのはここまでだ。こっから先は、治安兵に任せるさ」 「とは言え、もう少し場所と威力は考えてほしいかな。手加減してもこの破壊力…おかげでコートがボロボロだよ」 「そりゃ悪かった…帰ったら直すよ」  所々、破片で穴が開いたコートを見せながらエイスは苦笑混じりに不満を漏らし、リャードも申し訳なさそうに頭を掻く。 「さて、後はカルが探してくれてる資料を持って、あの人と手下達を治安支部に引き渡そう」  "あの人"と、エイスが差した先にいるクリフォードを見たアリシアは顔を曇らせる。 「あたし…この人の事は、誰よりも好きだったんだ」  ゆっくりとクリフォードに歩みより、そっと髪を撫でる。 「今まで犠牲になった人達がたくさんいて…エイスさんやカルディアさん、リャードにも迷惑かけたり、危険な目に合わせてしまったのに…何でかな……まだどっかで、父さんを信じてるんだよね…」  ボロボロと大粒の涙がアリシアの目から零れては、冷たい床へと落ちていく。エイスは彼女の隣に立つと、その小さく細い肩に手を置いた。 「それだけ、君はこの人を信頼していたんだよ。一度染み付いてしまった『絆』や『愛情』は、そう簡単に消えやしない。時間が消してくれる記憶なんて、たかが知れてるからね。結局は、全てを無にする事なんか出来やしないんだ。でも、その残された記憶とどう付き合っていくかは…アリシアちゃん、君次第だよ」 「うん」  か細い声で頷き、アリシアは再びクリフォードの髪を撫でた。 「片付いたのか?」  どこか不機嫌そうな声に振り返ってみれば、案の定、不機嫌極まりないといった様子のカルディアがドアの前に立っていた。 「どうしたのカル、そんなにムスくれて」 「十年分の資料を一人で探して確認するのは骨が折れるに決まってるだろ。運び出すにも容易じゃない量になる事くらい、察しろアホ」  憎まれ口全開で悪態を付き、しまいには押し付けられていた手帳をエイスに投げつけるカルディア。足元にはどこからか見付けてきたのか、風呂敷のような布に包まれた資料の山が二つ置かれていた。 「お前、右手怪我してるのに無理するなよ。そっち行くまで待ってりゃいいのに…」 「顔面腫れ男(お)が何を偉そうに…ボクは自分が持てる分しか持つ気はない。後はお前らの仕事だ」 「誰が顔面腫れ男だ!」 「まぁまぁ、カルも顔面腫れ男君も、せっかく一軒増築した訳だし…喧嘩はやめなよ」 「それを言うなら『一件落着』だろ!何を増築した!?」  リャードのツッコミが綺麗に決まった所で、エイスはアリシアに手を差し伸べた。 「さぁ行こう。資料運び、手伝ってくれるかな?」 [第十九章] ーーーー  アリシアの協力もあり、荷車二台分にもおよぶ資料をかき集めた時には、既に日も傾き始めた頃だった。 「最後にやりたい事がある」と言い、アジトに入っていったアリシアを三人は待っていた。 「思い出の品でも見繕ってるのかな」  コートの…どこから取り出したのかは不明だが、頑丈そうなロープで資料を補強しつつエイス。クリフォードと手下達は、とりあえずひとまとめにして、やはり頑丈そうなロープでグルグル巻きにしてある。 「あいつら、どーやって運ぶんだよ」  ダンゴ虫状態になって転がっている一味を、げんなりとリャードは見つめる。 「んー…とりあえず、一度資料だけ届けちゃって、後は治安兵に引き取りに来てもらおう。あれだけやれば逃げられたりしないだろうし」 「逃げるもなにも、運ぶのすら無理そうじゃね?」 「知らないよ。縛ったのはカルだもん…相当イライラしてたんだねぇ」  当のカルディアといえば、知らん顔しつつ近くの木によりかかって目を閉じていた。 「お待たせ」  それから五分後、汗を拭いながらアリシアが出てくる。 「もう済んだ?」 「うん、大丈夫。リャード、お願いがあるんだ」 「お願い?」  きょとんとするリャードに頷いた後、まっすぐアジトを指差し、 「あれを…焼いてほしいんだ。塵も残らないように。燃えにくそうな物には油を撒いてきたから」  そう、静かな声で言った。 「いいのか?」  カルディアが木に寄りかかったまま問いかける。アリシアはこくんと頷き、アジトだった廃墟を見上げる。 「ここはもう、あたしの居場所じゃない。だから、思い出と一緒に断ち切る。必要な物は持ち出したし…いいでしょ?」  最後はエイスに同意を求めたらしい。振り返ったアリシアの目に迷いがない事を確認すると、エイスはリャードを向く。 「やっちゃって、リャード」 「……わかった」  エイスと入れ替わるように、リャードはアジトの正面に立つ。そして、目を閉じて魔力を右手に集中させた。熱を帯びた風が彼を包み込む。 「炎龍!」  まっすぐ突き出された右手から巨大な炎の龍が放たれ、一瞬でアジトを飲み込んだ。紅蓮の炎に包まれ、夕景に溶け込むようにもうもうと立ち込める黒煙を四人は黙って見上げた。  先日、『建物を燃やすか壊す事は簡単だ』とは言ったものの、やはりそれなりに魔力と集中力は消費される。クリフォードとの戦いと、資料集めでの疲労も重なり、どっと疲れた体を休める為リャードはその場に腰を下ろした。 「これだけ燃えてりゃ、二十分くらいで跡形もなくなるだろうな…しばらくオレは休むから、最後まで見届けてやれよ?」 「うん、ありがとう」  小さく礼を言うアリシアの表情は見えないが、一瞬だけ、炎を反射する涙が見えた気がした。  地面に焦げ痕と煤と基礎となる柱を数本だけ残し、跡形もなくアジトが消え去ったのは、リャードが予想した時間とほぼ同じ頃。さらさらと吹いた風が、焦げ臭いにおいを乗せて煤ごとどこかへと連れていく。 「……本当に…全部燃えちゃった…」  ぽつりとアリシアが呟く。 「後悔してるのか?」  リャードの問いに、アリシアは小さく首を振る。 「改めて、術使いの力の凄さに驚いただけ。確かに、これなら油がなくても簡単に燃えちゃうね」  最後はどことなく冗談めかしていたので、リャードは小さく苦笑した。 「さて、暗くなる前に治安支部に行こう。立てるかい?リャード」 「あぁ。だいぶ回復した」  エイスの呼び掛けにリャードが立ち上がり、伸びをする。その横で、アリシアはもう一度黒く焦げた地面を見下ろした後、大きく息を吐き、くるりと振り返った。 「皆、ありがとう。もう平気だよ」  そう微笑む彼女の顔は、どこか吹っ切れたように晴々と輝いていた。 [エピローグ] ―――――  五日後――。  四人はネニヴェの東ブロックにある港に来ていた。  アリシアの足元には、大きな荷物がいくつか置かれている。これから彼女が長旅に出る事は、誰から見ても容易に検討はつくだろう。 「もう少しゆっくりしていけばいいのに…急ぐ旅でもないんでしょ?」  ここまで来るのに運んできた小さな荷物を渡しながらエイス。受け取りつつ、アリシアは首を横に振る。 「宿代が勿体ないし…あまり長居しちゃうと踏ん切りつかなくなっちゃうからさ。治安兵の事情聴取とかも全部片付いたしね。あたしが捕まらないように、エイスさんが口添えしてくれたんでしょ?治安兵の大佐…?が言ってたよ」 「大佐殿とは腐れ縁でね。多少のワガママは聞いてくれるんだ。しこたま怒られたけど」  怒られた、という割には、反省している気配はない。また上手い事言いくるめたのかと、カルディアとリャードは同時に半眼になる。 「行く宛はあるのか?」  リャードが不安そうに聞く。 「うん。西の大陸に、術使いの指名手配組織を捕縛して回ってるギルドがあるんだって。その人達、集めたお金で被害者への支援活動もしてるらしくてさ。大佐の人に紹介されて…行ってみようかなって。やっぱり、『正義の術使い狩り』への憧れだけは消えなくてさ。だから、ちゃんとしたギルドに入って夢を叶えたいんだ。あたしが信じた、『正義の術使い狩り』になるよ」 「そうか」  力強く笑うアリシアにつられるように、リャードも微笑する。 「つらい事が沢山あるだろうけど…君なら大丈夫。またいつでも遊びにおいで」  エイスが差し出した手を、アリシアは嬉しそうに握る。そして、カルディアの方を向いた。 「もしこっちに来る用があったら、その時は可愛い服とか持ってきてあげるよ」 「いや、いい…遠慮する」  微かに頬を染め、ぶっきらぼうにそっぽを向いたカルディアを、三人はからかうように笑う。それと同時に、船の出港を告げる最初の汽笛が高々と音を鳴らした。 「そろそろ行かなきゃ…本当にありがとう」  深々と頭を下げたアリシアは、ハッと顔を上げ、慌ててカバンの中を漁る。 「これ、依頼料。足りないかもだけど受け取って」  差し出された封筒を見下ろした後、よろず屋三人は顔を見合わせてから揃ってそれを押し返す。 「これは、君の夢への大きな第一歩。初めて手に入れた報酬なんだから、大切にしなきゃ」 「でも…父さ……クリフォードを捕まえたのはエイスさん達なんだよ?なのに、何であたし名義なの?」 「俺達はあくまで『よろず屋』であって、ギルドじゃないからね。それに……色々と事情があって、俺達の名義での取引は表立って出来ないんだ」 「だからって、全額貰うのは気がひけるよ…そもそも、あたしは依頼人だよ?せめて依頼料だけでも…」 「やだなぁ、アリシアちゃん」  ぴとっと、アリシアの唇に人指し指を付けて遮り、エイスは笑う。 「『友達』からのお願いに、お金取る訳ないでしょ?」  その時、出港を告げる最後の汽笛が鳴り響いた。アリシアは戸惑いながらも荷物を抱え、最後に深々と頭を下げる。再び上げられた顔は無邪気に綻んでいた。 「エイスさん、カルディアさん、リャード…大好き!またね!」  船長に急かされ、船へと飛び乗ったアリシアは、そのまま甲板へと駆けていき、千切れんばかりに手を振る。ゆっくりと船が動き出し、穏やかな波を掻き分けながら、その姿は水平線の向こう側へと消えていった。 「最後まで騒がしいヤツだったな」  苦笑しつつ、リャードが呟く。小さく振っていた手を下ろし、エイスは水平線を見つめたまま口を開いた。 「クリフォードには娘がいてね。術使いの襲撃を受けて、奥さんと一緒に亡くしたらしいんだ」  思わず、リャードがこちらを見上げる。 「あの組織は、自分の大切なモノを術使いに奪われた人達の集まりなんだよ。彼らは復讐の為にあんな事をしていたらしいんだ」 「…復讐だろうが何だろうが、何の関係のない人達を巻き込んで、苦しませていい理由にはならないだろ。結局、てめぇ自身も仇と同じ事して…それで奥さんや娘が喜ぶと思ってんのかよ」  吐き捨てるように、リャードは悪態混じりの舌打ちをする。エイスは困ったように苦笑すると、すぐにその表情を消して再び海に視線を戻す。 「そうなんだけどね…クリフォードも、完全な"悪"にはなれなかったんじゃないかなーって思うんだ」 「どういう事だ?」  首を傾げるリャードに、エイスは懐から一冊の手帳を取り出し、それを放る。 「アジトでキミと合流する前にクリフォードの部屋に行ったんだけど、そこでそれを見付けてね。彼が組織を立ち上げた時から毎日、日々の出来事を綴ってたみたいでさ。最初は、術使いに対する憎しみばかりが書かれてたけど…アリシアちゃんを保護して以降は、ずっと彼女の事を書いてるみたいだった。きっと、自分の娘さんと重ねていたんだろうね」 「知るかよ、そんな事」  手帳をパラパラと捲っていたリャードは大きく舌打ちし、ぐしゃぐしゃと髪を掻きながら海に背を向ける。 「どんな事情にせよ、あいつは多くの人や術使いを殺してる。それに、クリフォード自身が言ったんだぞ?『アリシアは金になるから拾った』って」 「金を稼ぐ為とはいえ、十年以上も育てるのは時間と金の無駄だし…ましてや、自分達の正体がいつバレてもおかしくなかったはず。そんな状況で、わざわざ面倒見てたって事は、最初からアリシアちゃんを育てるつもりだったんじゃない?」 「…お前、クリフォードの肩を持つ気か?」  ジロリとこちらを睨んでくるリャードに、エイスはおどけたように口の端を持ち上げる。 「俺は別に悪党のフォローをしてるつもりはないよ。ただ、アリシアちゃんを見てたらその可能性も否定出来ないなって思っただけ。それに…家族に裏切られるつらさは、リャード…君が一番よくわかってるはずだよ?」  言われ、咄嗟に顔を曇らせる。 「……"ウォル兄"が本当にオレや親父、母さんを家族として見ていたかどうかなんて、見付けて問いたださなきゃわからねぇよ。そして……何で村を襲ったのかも…」  無意識に左手のリストバンドに触れたリャードを横目に、カルディアが呟く。 「アリシアにとって、今までの人生は幸せだったと言えるだろうか…」 「俺には、"家族"というモノがよくわからないけど…あの子の顔を見る限り、それは愚問だと思うよ」  エイスはコートから一枚の紙切れを取り出す。資料を探していた際に、咄嗟に持ち帰って来た例の写真だ。  そこには、色あせ始めてはいるが、無邪気にじゃれあっている若き日のクリフォードと、まだ幼い頃のアリシアが写っていた。二人共、頬を寄せ、少し照れくさそうな微笑を浮かべている。しばらく眺めたあと、ゆっくりと千切り、手の平に乗せた。  潮風が優しく掬い上げ、花吹雪のようにひらひらと舞わせながら海の向こうへと連れ去っていく。それを静かに見送り、エイスはリャードとカルディアを振り返り、にこりと笑った。 「……さぁ、帰ろう。次の依頼を探さなきゃね」 ―――第二話に続く [newpage] おまけ編~その後の話~ ――――― ――数ヶ月後。よく晴れた空の下、いつものように故郷の村からネニヴェに到着したリャードは、馬車が停まる西ブロックの入り口からよろず屋の事務所兼エイスの自宅へ向けて慌ただしく走っていた。到着するや否や、息を切らせながらも走ってきた勢いでドアを乱暴に開ける。 「エイス!カルディア!起きてるか!?」 「なんだ、朝っぱらから騒々しい…」  ちょうど起きてきた所らしい。自室ドアから顔を覗かせ、カルディアが呻く。 「起きてたんならちょうどいい!エイス起こすぞ!」  彼にしては珍しく、興奮したように落ち着きがない。駆け足でエイスの部屋に向かい、殆ど蹴破る形でドアを開ける。 「おいこらエイス!!今日はさっさと起きろ!」 「ん~……シーフードパスタぁ……大盛りぃ……」  むにゃむにゃと寝言を呟き、だらしなくよだれなど垂らしながらエイスは枕を抱え込む。 「起きろっつってんだろ!ただちに起きろ!ビッグニュースだ!」  ゆさゆさと…いや、むしろガクガクと乱暴に揺さぶり、耳元でリャードが怒鳴る。…が、どういう神経をしているのか、エイスは一向に起きる気配を見せない。  日常化した光景だが、未だにリャードの怒鳴り声とエイスのだらけきった寝姿は慣れず、カルディアは顔をしかめながら耳を塞いでいる。  いつもなら、ここでリャードが布団をひっぺがし、枕を没収した後、往復ビンタやら踵落としやらで徐々に実力行使に出るのだが…今日に限って相当切羽詰まっているらしく、大きく舌打ちした後、リャードは裸足で素肌が露出しているエイスの足の裏に手の平をかざす。 「炎龍、目覚ましばーじょんっ!!」 「あっづぁぁぁぁ――――っ!?」  ぽすんっという、何となくやる気のない音と共に出てきた野球ボール程の小さな炎であるが、流石にその熱さには驚いたらしく、エイスは一度跳び跳ねてから足の裏に息を吹きかけ、涙目でリャードを向いた。 「ちょっとリャード?!いくら何でも火炙りは反則でしょ!?水膨れ出来たらどーするの!」 「水膨れならいいじゃねぇか。それより、これ見ろよ!カルディアも!」  ドン引いたように呆けていたカルディアは、急に名前を呼ばれたので慌てて我に返り、リャードが差し出したそれを覗き込む。  どうやら今日の朝刊らしい。恐らく、自宅からわざわざ持ってきたのだろう。ずっと握り締めていたのか、既にくしゃくしゃになっていた。 「えーと……なになに?『新鮮なお野菜届けます!ご連絡はトトイ村農産業組合まで』……何リャード、トトイ村の野菜が気になるの?」 「ちっげーよアホ!その下だ!」  ビシッとリャードが指差したその記事には…誇らしげにピースサインをしているアリシアの写真と、その時の様子が取り上げられていた。 「『中央大陸の勇敢少女!今日も西大陸で大手柄!』…アリシアちゃん、頑張ってるんだね」 「それも、相手は西の大陸では有名な悪党連中だったらしいぜ?何でも、自ら術使いのフリをして囮になったんだとか…無茶しやがるけど、スゲェよな…」 「特攻隊長の君がうなるんじゃ、彼女は立派な『正義の術使い狩り』になれたって事だね」 「……あ」  不意に、カルディアが小さく声を上げた。 「ここ…アリシアのインタビュー…」  カルディアが指差した記事を目でなぞると… 『目標は、友人達のような正義のヒーローになる事』  と、記されていた。 「友人達って…もしかしてオレらの事か?」 「ボク達が自意識過剰じゃないなら…な」 「目標にされたんじゃ、俺達も負けてられないね」  クスクスと笑いながら、エイスはすっかり目が覚めたのか、コートを着込む。 「あのぅ…」  事務所の方から、聞き慣れない女性の声がした。三人が揃って部屋から顔を出すと、そこには気の弱そうな小太りの女性が恐る恐る入り口からこちらを覗いていた。 「『よろず屋』のアッシュさん宅でしょうか…?何でも解決してくれると聞いたので伺いました…」  エイス、リャード、カルディアは同時に顔を見合わせると、改めて依頼人に向き直った。 「ようこそ、『よろず屋』へ。ペット探しから魔物退治まで、何でも承ります」 ―――――  西の大陸、某所。 「アリシア、今朝の新聞見たか?お前さんが載ってるぜ」 「リーダー!あ、あたしが…!?うわぁ、恥ずかしいなぁ…」 「…入団したての頃は、右も左も知らないような、箱入りおてんば娘だったお前が、今ではすっかり俺達の要だ。これからもよろしく頼むぜ」 「はい!」 「この記事は中央大陸にも広まってるらしい…お前の故郷だろ?」 「中央大陸…ネニヴェにも?」 「ネニヴェ…?あのバカでかい港街か?多分、出回ってると思うぞ?」 「そっか…皆、見てくれたかな…」 「皆?」 「私にとって、ライバルであり、とても大切な…友人達です!」 「友人か…きっと見てくれてるさ。…とりあえず、さっさと支度しろよ?三十分後に出発するぞ」 「はい!」 ―――…父さんも…見てくれたかな…  
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