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夕方六時には、いつも稽古は終わる。
小さい子たちは、あんまり遅くまではできないし、今は続けていてくれるだけで良いと、晶子ちゃんは言っていた。
そんな中、健人は一人残って、七時半からの大人の組手練習を見る。
どうやら、そっちの方が好きなようで、去年から道場に来られる時には残って見ているのだ。
貴晴兄ちゃんが帰ってきてから、道場にも新しい人が増えた。
県内の大会でも上位に入るような人もいるので、健人には面白いのかもしれない。(オレは晶子ちゃんの型を見ている方が好きだけど)
「順之介、健人と夕飯食べていくか」
「うん!」
「ハイ」
道着から私服に着替え、晶子ちゃんが声をかけてきた。
オレは即座にうなづく。母さんは、どうせ今日は、七時過ぎなきゃ帰ってこない。
健人の家は、大学生のお姉さんも、高校生のお兄さんも、もう早くても八時にしか帰ってこないし、両親なんて九時、十時は当たり前。
だから、健人が道場に来られる時は、家政婦の村川さんが夕飯を持たせてくれている。
「じゃあ、順之介は連絡しておけ」
「うん」
オレは晶子ちゃんにうなづくと、ダッシュで自分の家に戻り、冷蔵庫に貼ってあるホワイトボードに、"晶子ちゃん家!"と書いた。
それだけで通じるくらい、オレの日常である。
他の人から見れば、きっと、まだ子供なのに、と思われそうではあるが。(実際、言われたコトもあった)
まあ、オレ達自身は結構楽しくやっているので、気にはしていない。
――結局、オレは、晶子ちゃんがいれば、何だって楽しいのだから。
夕飯も終わると、道場の方がざわついてきた。
時間を見れば、もう七時十五分。生徒さんがやってきたようだ。
ちなみに、貴晴兄ちゃんは先に夕飯を食べている。(力が出ないから)
三人で片づけを終えると、健人はいそいそと道場へ向かう。
楽しみで仕方ないオーラを隠さない。
大人びて見えるけれど、やっぱり中身はオレと同じ五年生だ。
その後ろを、オレと晶子ちゃんは歩く。
「そうだ、順之介、運動会の手伝い募集の手紙は来たのか?」
「ん、まだ。でも晶子ちゃんは学校に直接言えば、大丈夫なんじゃない?」
毎年、オレのもらってくるプリントに、参加希望、と晶子ちゃんは書いて提出しているのだが、もう恒例なので良いんじゃないかとも思う。
「そういう訳にはいかないだろう。他の保護者の方たちは、ちゃんと提出してるんだから」
「はーい」
オレは苦笑いしながらうなづく。
――晶子ちゃんは保護者じゃないんだけどな。
「何だ、順之介」
「え、いや、晶子ちゃん、オレの保護者じゃないのになって思っただけ」
すると、晶子ちゃんは立ち止まった。
「晶子ちゃん?」
「……ああ、いや、山崎にも同じコトを言われたな」
「え?」
山崎って、今日会った副委員長だよな。
そう思うと、胸の奥が何だかムカムカしてきた。
オレはそれを隠すコトなく、晶子ちゃんを見上げる。
「……何でソイツに、そんなコト言われなきゃいけないんだよ」
「いや、お前が有名だから」
「……は?」
想像してなかった答えに、目が丸くなった。
――どういうコトだ?
そんな疑問を感じ取ったのか、晶子ちゃんはあきれたように言う。
「毎日毎日、学校の前で待ち伏せしておいて、目立たないとでも思ったか」
「だって、それは――」
「まあ、私にはいつものコトでも、周囲には珍しいようでな。山崎も、保護者は大変だ、なんて言ってくるんだ」
「……"大変"?」
オレは晶子ちゃんをジッと見た。
晶子ちゃんが大変だっていうなら、悲しいけど、会いに行くのはガマンしなきゃいけない。
迷惑をかける訳にはいかないのだから。
すると、晶子ちゃんはオレの頭をグリグリと撫で回した。
「晶子ちゃん?」
オレは、脇を通り過ぎる晶子ちゃんの背中を見やる。
「気にするな。他人からどう見えても、私には、これが日常だ」
そう言って、晶子ちゃんは、道場に一礼して入っていく。
表情は見えなかったが、機嫌が悪い訳ではなさそうで、一安心した。
――そう。どんなに他人がおかしいと言ったところで、オレが晶子ちゃんを好きでいるのを、止められる訳が無いのだ。
オレはそう思い直し、晶子ちゃんの後に続いて道場に向かった。
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