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態度
「え?宝田(たからだ)さん今日お休み?」
少し驚きながら、私はロッカーの扉をパタンと閉めた。
ここはK-BOOKS店内にある従業員控え室。
朝から出勤の従業員は裏口からこの控え室へと入ることになる。
私は自分のロッカーでエプロンをつけた所で、今日一つ目の出来事に驚いていた。
「そうなんすよー!そんで、俺が代わりに出てきたんす!」
そう言って、元気に返事を返してくれたのはアルバイトの中嶋一輝(なかじまかずき)君だ。
彼は近くの大学に通う大学生。
普段は夕方から夜までバイトに入ってくれているけど、今は春休みなのでお昼でも時々出てくれている。
黒髪短髪でまさに体育会系な彼は、その人懐っこい性格から従業員皆に好かれていた。
あまり愛想がよくないはずの私にさえ、こうやって交代の時によく話しかけてくれる。
ムードメーカーとか、マスコットみたいな感覚だろうか。
「男性」というよりは、なんだか「キャラクター」という雰囲気だ。
そのせいか、あまり男性とは話さない私でも彼とは気にせずに話すことができた。
そういえば宝田さん、腰が痛いって言ってたものね。
大丈夫かな。
最近は特に辛いと嘆いていたから、私も心配していた。
書店で勤務する以上、逃れられないのが重労働だけれど、長年勤務している彼女はこれまでの積み重ねや年齢的なところもあるのだろう。
「ありがとう。すごく助かる。じゃあ今日は単行の棚替えだから、手伝ってもらえる?」
「もちろんですよ先輩!力仕事はどんどん俺やりますんで、遠慮なく言ってください!」
笑顔で答えてくれた彼に、こちらもつられて笑顔になる。
彼より二年長く勤めている私の事を「先輩」と言ってくれるのが少し気恥ずかしい。
学生らしい初々しさが可愛くて、なんだか弟みたいに思えてしまう。
ありがとう、と声を返しながらクスクス笑っていると「おはようございます」と聞きなれた声が背後から聞こえて振り向いた。
「あ!店長おはようございます!」
「……おはようございます」
中嶋君と一緒に挨拶をすると、普段と変わりない穏やかな笑顔が向けられる。それを見て、私は内心中嶋君に大きく感謝の言葉を告げた。
宝田さんがお休みって事は……中嶋君が入ってくれなかったら、店長と二人で一日過ごす事になってたかもしれない。平日の日中は、人が少ないから。
これまで無かったわけではないけれど、苦手に思う人と長時間過ごすのは、仕事とはいえ精神的に少し辛い。急な欠勤の場合、なかなか代わりが見つからないから、それを受けてくれた中嶋君に心底感謝だ。
そう思っていると、知らず向けられていた視線にはっと我に返った。
視線の主は工藤店長。
穏やかな笑みはそのままに、目線はじっと私に注がれていた。
……え?
思いがけない視線の強さに内心怯む。
普段と変わらない様に見えるのに、その目は真っ直ぐ私へと向いていた。まるで、中嶋君が目に入っていないかのように。
「中嶋君、今日は宝田さんの代わりに入ってもらえて助かりました。ありがとうございます」
視線を私から外さないまま、工藤店長が中嶋君に礼を言った。
それはいつもと変わりない口調と態度な筈なのに、なぜか私には違和感しか感じない。
「いーっえ!全然ですよっ。むしろ俺の方こそ助かります!今月やばいんで!むしろじゃんじゃん呼んでくださいよ!すっ飛んで来ますから!」
そう軽快にからからと笑う中嶋君に、もう一度「ありがとうございます」と言った彼が朝礼を始める合図を口にして、私はやっと強い視線の呪縛から解放された。
いつもなら顔を背けていたはずなのに。
あまりにじっと見つめられるものだから、目を逸らすことが出来なかった。
感じた違和感が気になりながら、私は通常通り説明を始める彼の声を戸惑いながら聞いていた。
◇◆◇
「先輩って、彼氏いるんですか?」
ニコニコと、人懐っこい笑顔で中嶋君が言う。
なんだか犬みたいだなぁと、その様子をみて思った。
後ろにパタパタとはためく犬の尻尾でも見えそうなくらい、ほわほわした空気が彼から漂っている。仕事終わりの気分が、おかげで少し癒されていく。
あれから。
朝の出来事が気になりながらも普段通りに一日が過ぎた。
仕事中の彼はいつもと変わらぬ様子で何ら不自然なところは無かったけれど、私と中嶋君が話す時だけたまに視線を感じた。それだけが、いつもと違うところだった。
今は従業員控え室で、中嶋君と二人。
工藤店長は夜まで居るので、帰るのは私達だけ。
夕方からのアルバイトの人が既にレジに入ってくれていて、店長はそこで夕方分の伝票の処理をしている。
中嶋君はロッカーにエプロンを放り込みながら、疲れなんて微塵も感じさせない顔でニコニコしていた。
ちなみに、彼はエプロンは畳まない主義らしい。
「いないよ。残念だけど。私、人付き合い苦手だし、それにモテないし」
中嶋君とだと、ついポロリと自分のマイナスな本音まで出てしまう。
でも不思議とそれが嫌じゃなかった。
「マジですか!広瀬さんすごい可愛いじゃないですか!もったいないっすよっ。なんなら俺立候補しますっ!どうですか俺みたいなの!はい!はいはーいっ!」
ばっと片手を上に突き上げて、挙手するように中嶋君が叫ぶ。
その仕草はまるで子供が先生に手を上げてはしゃいでいるようで自然と笑みが零れた。若い子特有の冗談だとわかってはいても、やっぱり嬉しい。
「ありがとう。でも大学に居る中嶋君ファンの女子に悪いから、気持ちだけもらっとくね」
「ええーっ。そんなのいないですって!やっぱ年下とかガキっぽいすかねーっ?」
少し拗ねたように彼が口を尖らせる。
見た目はもうちゃんとした男の人なのに、こういう仕草は学生らしくてあどけない。
だから私も身構えずに居られて楽なのだ。
きっと彼は学校でもモテるのだろう。
「そんなことないよ。中嶋君、色々手伝ってくれるしすごく頼りにしてるよ?」
笑いながら言う私に、彼はニコっと笑って「そうすか!これからも全然頼りにしてください!」と力一杯答えてくれた。
なんか……弟がいるみたい。
―――とそんな風に、思った時だった。
「楽しそうですね」
ふいに、工藤店長が姿を見せた。
途端に感じる体の強張りは、無意識のものだ。
やんわり笑う彼の表情とは逆に、纏う空気に重さを感じた。中嶋君は、気付いていないみたいだけれど。
「あ、店長お疲れさまっす!そんじゃ、俺これから大学寄らなきゃいけないんで、店長、広瀬さん!お先に失礼しまーす!」
「お疲れ様です」
中嶋君は朝来た時と同じように慌ただしく、一言挨拶をして控え室から出て行った。
それに返事を返した工藤店長は、彼が去った方に顔を向け、無言のまま動かない。
な、なんか、気まずい……。
仕事中ならやりすごせるけど、こうやって二人になるのはちょっと困る。
「あ、あの……私も、お疲れ様でしたっ」
無言の背中に居たままれなくなった私は、バッグを手に工藤店長の横をすり抜けようとした。
けれど、
ぐいっと、体を反転させられて。
え?
と思考が凍り付く。
目の前には―――工藤店長、彼の突き刺さるような視線があった。
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