プロローグ

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プロローグ

(今夜は冷えるなぁ……)  そろそろ暖かくなってもいい時期だと言うのに、この寒さは何なのかと胸中で文句を言いつつ、セリナは薄手のカーディガンの胸元を握り締めながら小走り気味に自宅へと急ぐ。  時刻は深夜の二時を少し回った頃。仕事の帰りに軽く同僚と飲むだけのつもりが、こんな時間になってしまった。  明日……いや、もう今日か。今日も仕事があるというのに、すっかり店の雰囲気と酒に呑まれて長居してしまった事を今さら後悔する。  昼間は住民を始め、商人や旅人達で賑わうこのブロックも、夜ともなれば周りの家々の明かりは殆ど消えていて、しんと静まり返っている。唯一聞こえるのは、彼女が履く新品のパンプスが石畳を叩く音だけ。  等間隔に設置された街灯の明かりがあるだけ、まだ安心出来るが…… 「やだ……」  たまたま目に入ってしまった光景に、ぶるりと身震いする。  小さな宿屋と喫茶店の間にある小さな路地。その入り口に、『立ち入り禁止』と書かれたロープが張られ、足元には花束がいくつか哀しげに置かれている。  ここ最近、このブロックの中で頻繁に起こっている殺人事件。  この一ヶ月で既に四人が犠牲になり、いずれも深夜に一人でいる所を狙われているらしい。二日前にも同じような事件があり、その現場となったのがまさにこの場所。そして、今は彼女一人……  自分を狙う物好きなどいやしないとは思うものの、怖いものは怖い。今度は鞄をしっかりと抱え込み、再び足を早める。  殺人現場から小走りする事、約五分。周りに気を配りながらの道のりも、目の前の小さな十字路を右に曲がれば直ぐに終わる。  思わずホッと胸を撫で下ろし、抱えていた鞄から自宅の鍵を取り出した――その時。 ―――ジャリ……  石畳の小石を踏むような音が微かに背後から耳に届く。  心臓が大きく一度高鳴り、細い肩がびくんと震えた。 「だ……誰……?」  ゆっくりと、意を決して恐る恐る振り返ると、そこには街灯の逆光で顔は見えないが、男が一人、ひっそりと立っていた。  まるで、セリナがここを通るのを待っていたかのように…… 「クシャナ・フレオール」  恐らく人名だろう。ぼそりと呟かれた声に、セリナは怪訝そうに顔をしかめた後、その聞き覚えのある単語にハッとした。 「ち、違う!私は――っ」 「我が夢の為に散れ」  セリナが言葉全てを発しきる前に、男が再びぼそりと呟やいたその瞬間、セリナの華奢な体を稲妻のような閃光が音もなく貫いた。 「あ……」  悲鳴すら上げられないまま、セリナの体と服は閃光で真っ黒に焼かれ、自慢の金の長い髪をなびかせながら、そのまま冷たい石畳へと倒れ込み、絶命した。 「これでまた、楽園へ一歩近付けた」  閃光を放った張本人は、付き出していた右手を下ろし、淡々と無感情に天を仰ぐ。  星空の眩しさに細められた目の色は、『術使い』の証である緑色。  それを空から反らした後、ビクビクと体を痙攣させているセリナの亡骸を一瞥する事なく、その場をあとにした。
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