第一章

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第一章

 ティスカディア大陸で一、二を争うレトロな港街、ネニヴェ。  あまりにも大きなこの街は、港がある東ブロック。宿屋や商店が多く並ぶ西ブロック。住宅地が主な南ブロック。治安が悪く、殆ど隔離されるように存在している北ブロック。  そして、治安支部などの公共施設が置かれている中央ブロックの五つに分かれている。  その中でも、貿易や異大陸からの旅行客や商人で賑わう東ブロックの商店街は、今は別の意味で賑わっていた。  騒ぎを聞き付けてやって来た野次馬達は、舗装された馬車道に向けて熱心な声援と視線を送っている。  何も知らない他の通行人達は、何かパレードでもあるのかと首を傾げながら通りすぎていく。  やがて、商店街方面から息を切らせ、必死の形相で走るボサボサなこげ茶色の髪の男と、彼を追っているらしい銀髪の少年が駆けてきた。  その差は五~六メートル。男は一瞬左右に目を走らせ、少々つんのめりながらメインストリートの交差点を左に曲がる。 「おぅ、『よろず屋』のリャード!ヤツならそこを左に行ったぜ!」 「サンキュー!」  声援や歓声を送る野次馬の中を駆け抜けながら、少年――リャードはその内の一人に手を上げて応えつつ礼を言う。肉眼で捉えてはいたが、悪気のないお節介だとわかっていたからだ。  路地を曲がる際、一つに束ねられた銀の長い髪が、尾のようにひらりと揺れた。  曲がりきって直ぐに、目の前を走る男の姿を捉える。  どうやら向こうはスタミナ切れ間近らしく、先程よりも距離が縮まった気がする。 「おいオッサン!いい加減降参しろよ!」 声が届いたのか、男はちらりと振り返り、舌打ちするような仕草を見せてから再び前を向く。  若干足がもつれているようだが、後を追ってくるリャードに捕まってたまるものかと、懸命に走りを続けている。 「諦め悪いな……」  ぼそりと呟くリャード。その時ふと、野次馬の中に見知った顔がいるのに気付く。  その顔が何やら合図ともとれる手の動きを見せたので、小さく頷いた後、空に向かって高々と右手を上げた。 「炎龍(えんりゅう)!」 「何!?」  思わず振り返った男が目を丸くする。  リャードが上げた手の先から、龍の形を模した炎が放たれたのだ。  それはある程度の高さまで昇りつめると、そのまま蒸発するように霧散した。 「な、何で俺に当てないんだ……!?」 「当てる必要がないからだ」  動揺し、思わず独り言を漏らした男の死角から、第三者の声がする。  刹那の間に見えたのは、肩程まである長さの水色の髪と黄土色のマント。その持ち主を確認する間もなく、男は地面に叩きつけられた。 「ぐえぇっ」  うつ伏せに押し倒され、蛙が潰れたかのような声が漏れた。  背中には自分を突き飛ばした先程の声の主がのしかかって動きを封じている。  両手をしっかりと固定された挙げ句、特殊な形をした銃が頭に突き付けられているので下手に動けない。 「やっと捕まえた……すぐ近くにいたのか?カルディア」 「今までの逃走経路からして、ここに来るだろうと目星は付けていた」  追い付いてきたリャードが息を整えながらシャツで汗を拭っている足元で、男を拘束している水色の髪の青年――カルディアが周りを見回す。 「エイスはまだか?アイツが来ないとコイツを縛れない」 「さっきの『術』で場所は知らせたから、すぐに来るさ……それよりオッサン。何回オレ達に捕まれば気が済むんだよ。ゴードンさん、今日こそアンタを治安支部にブチ込むってカンカンだぞ」  呆れ顔のリャードに、男は顎を石畳に擦り付けながらそちらを向き、睨む。 「うるせぇ!生きる為に食うのは当たり前だろーが!」 「なら、ちゃんと金を払え。今回も、どうせ最後には金が払えるんだろう?」  リャードとは違い、カルディアはご立腹のようで、男を締め上げている手に力を込める。関節が軋み、男が苦しげに顔を歪めたので、リャードが流石にやりすぎだとカルディアを止める。 「第一、金があるのに食い逃げなんて……どういう事だよ?」  屈み、男と顔の高さをほぼ同じにしながらリャードが眉を寄せる。  男は一度顔を反らしたが、やがて観念したかのように深いため息をついてゆっくりと語り出した。 「……俺にはなぁ、五つになる娘がいてよ……そいつぁ、重い心臓病を患ってんだ。病気を治すには、高度な治療技術を持つ術使いの先生に頼まなきゃならねぇ……だが、その力の貴重さ故に、治療費もべらぼうに高くてな……テメェ自身の食費も出せない程なのよ。俺の稼ぎじゃ、娘を助けられるのに何年かかる事か……っ」  くぅっと小さく嗚咽を漏らし、唇を噛み締める男。リャードとカルディアは思わず、魔力を持つ者――『術使い』の証である緑の目を見合わせる。周りの野次馬達も、しんと口を閉ざし同情の眼差しを向けていた。 「……なんてな」  にやりと笑った男は、いつの間にか緩んでいたカルディアの手を振り払い、ついでにリャードを突き飛ばしてから再び全速力で逃走を謀る。 「しまった……!」 「何してんだ!お前がしっかり押さえてないから逃げたじゃねぇか!」 「そっちこそ、油断してたから突き飛ばされたんだろう!?」  二人は慌てて立ち上がりつつ、言い合いながらも後を追う。野次馬からは再び二人に対する歓声と、少しのブーイングが巻き起こった。  男は出し抜けた余裕からか、後ろを振り返って意地の悪い笑みを浮かべ、野次馬に混ざって声を上げた。 「ガキ共が、あっさり騙されやがって!俺には娘はおろか嫁すらいねぇよ!天下の術使い様が、こんな薄い嘘っぱちに騙されるたぁ、笑えるぜ!」 「すみませんねぇ、うちの子達は純粋なもので」  余所見をしていた男の耳元で、のんびりとした声がした。   驚きながら視線を戻した瞬間、足が地面から勝手に離れ、一瞬だけ体が宙に浮く。 ―――ズダンッ  足を払われたと気付く前に、男は派手に転倒した。 「エイス!」  リャードとカルディアに名を呼ばれた、のんびり声の持ち主――エイスは、足払いした姿勢を正し、黒の短髪を掻きながらやれやれとため息をつく。 「全く……古典的で雑な演技に引っかかるなんて………いくら食い逃げ犯を捕まえるだけとはいえ、信用を失ったら本当に依頼が来なくなるでしょ?」 「それは悪いと思ってるよ……でも、お前だって持ち場離れて何してたんだよ?無駄に魔力使わせやがって」  反省と不満を続けて表情に出しながらリャード。  エイスは一張羅の茶色のコートの……どこから取り出したのかは不明なロープで男を縛り上げながら、親指で背後を指差した。 「治安兵を呼んでたんだよ。この食い逃げ常習犯を支部に連れてくのに必要だと思ってね」  その言葉から間もなく、エイスが指差した方向から治安兵が一人、小走りで駆けてきた。 「エ、エイスさぁん……足速すぎですよぉ……」 「やぁロージ君、ご苦労様。これくらいで追い付けないんじゃ、まだまだ鍛練が足りないなぁ」  膝に手を付いて、苦しげに息を切らしている治安兵――ロージを見下ろしながらエイスは意地悪く笑う。  ロージの瞳と髪の色はエイスと同じく黒であるが、相違点と言えば、ロージは襟足よりも短い髪の長さで、雰囲気はどことなく頼りなさげ。  一方エイスは、襟足くらいの髪の長さで、顔付きは優男と呼ぶのに相応しく、飄々とした印象を受ける。  ロージは治安兵の証である蒼い軍服の袖で汗を拭い、何とか呼吸を整え終えてから改めてエイスに不満げな表情を向けた。 「もう……いきなり現れて、詳しい事を言わずに先に行っちゃうだなんて……僕だって、一応仕事中なんですからね?」 「いやぁ、緊急事態だったもので。それにしても、中央支部勤務の君が東ブロックにいるなんて珍しいね」  男を引き渡しながらエイスは首を傾げる。  ロージは未だに事情が飲み込めていないものの、素直に引き取ってからチラと通りを見回した。 「最近このブロックで殺人事件が相次いでいるでしょう?その関係でパトロールが強化されて、こっちまで応援に来てるんです……三日前にも、また事件があったし……各支部内はピリピリムードで息が詰まっちゃいますよ」  最後はため息を付いた後、うっかりこぼしてしまった愚痴に気付いたのか慌てて両手を振った。 「あ、や、決してそれが嫌だって訳じゃないですよ?!ただ、ちょっとそれで周りが落ち着かないというか……」 「大丈夫。クーウェンにチクッたりしないよ。それより、この人を支部まで連れてってくれないかな?食い逃げの現行犯逮捕って事で。もちろん、手柄は君の物にしていいからさ」 「連れてくのは構いませんが……いいんですか?エイスさんの名前は出さなくて」 「いいのいいの。そういう約束だから」  パタパタと手を振り、お気楽に笑って見せるエイスに対し、ロージはどこか不服そうに顔を歪めている。  やがて、男が悪あがきで身をよじって抵抗を始めた為、ロージはそれを一喝してから三人に敬礼した。 「では、僕はこれで失礼します。リャードさんとカルディアさんも、お疲れ様でした」 「あぁ。ロージもお疲れ」  リャードは律儀に敬礼を返し、去っていくロージを見送るが、カルディアは無言のままだ。その代わり、エイスを見上げる。 「それで?この後はどうする?」 「もちろん『れっさばー』に戻ってマスターに報告するよ。ついでに、ちょっと遅めのお昼にしよう」  タイミングよく鳴った腹を撫でながら、エイスは少しだけ照れくさそうに笑った。
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