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「え、お前あんなの好きなわけ? やめとけって!」
酒の入った同僚の男に止められる。酒場では他の酔客の笑い声がよく響いていた。
「あんなのとはなんですかあんなのとは。……好い人、なんですから」
「へいへい。俺は御免だねえあんな、いくら高級でも娼館で働いてるような奴」
「え?」
口に運んだつまみが机に落ちた。
「見た奴がいんのよ。金持ち御用達の……男でも女でも客にできる店に入ってくそいつをよ」
「いやまさか、あの人に限ってそんな。他人とか……そう、いても小間使いとかそういう方面なんでしょう」
「願望だろそれ。ま、それもそうよなあ、惚れた奴が好き好んで身体売ってるとか考えたくもねえか……大将、もう一杯麦酒くれ」
幽は吸血鬼であり、そのためにあの人が未通であるということを知っている。だから即座に否定できたのだ。……尤も、信じられてはいないが。
生娘の血液特有のクリアな味は間違うようなものではない。
「でも訊くわけにもいかんでしょう」
「ぶっ飛ばされるわな。深桐くらいなもんか」
深桐は孤児だったユエを拾い、十数年育ててきた養父であると聞いている。そして偽名であるとも言っていたが、本名は恐らく本人以外の誰も知らない。
幽が惚れていることは悟られてはなるまい。禁じられているわけではないが、ユエは色恋沙汰を嫌っているような素振りがあった。あくまでも血液を提供してくれる人間と吸血鬼、一線を越えてはいけない。そう自らにも言い聞かせていたのだが。
「ユエさんは……自分のことどう思ってるんですかね……」
「乙女か。それくらい訊けるだろ」
「無理ですってば」
幽が弄ぶグラスの中で氷が溶け、音を立てた。
同居していても彼女の考えはよくわからない。
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