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「一葉」
地下室のドアが重い音を立てて開き、朝比の声が聞こえた。
今日は調教前に「風呂に入れ」と言われて、使用人に体を洗われた後(その使用人はノーマルらしい)、再び目隠しをされてベッドの上で待機させられていた。
今日はなにをするんだろう、と思っていたのだが……
朝比の声と共に朝比とは別の足音が聞こえ、一葉は身体を強張らせた。
音だけでわかる。
その足音は、紫藤のものだった。
「な、なに? 今日は、なにするつもりなの……?」
「そげん怯えんでよかよ。今日は一葉の頑張りば紫藤さんにお披露目するだけばい」
「そんなの、きいてない」
こつこつ、と朝比の足音が一葉に近づいて……ベッドに座る一葉の肩を、朝比の手がガチッと掴んだ。
「今からお前の目隠しば外すけん、特訓の成果見せや」
「む、むり、こわい……」
胸の前で両手をぎゅうっと握ると、身体が小刻みに震え始める。
……怖かった。
この1週間でできるようになった事のはずなのに。
さっきまでは、できていたはずなのに。
急にそれを紫藤に見せてみろ、なんて。
無茶振りが過ぎる。
「できるわけないじゃんっ……無理だから、ほんとに、無……」
「……一葉」
嫌々と首を横に振っていた一葉の、その頭が朝比に両手で掴まれ、動きを封じられた。まるでボールを持つかのように掴まれて、そして落ち着いたトーンで名前を呼ばれる。
「大丈夫。一葉ならできる、昨日もできたっちゃろ」
「で、も……」
「そのために身体ば洗っとぉよ。久々に主人の顔ばしっかり見とき」
朝比がそう言って、一葉の頭の後ろで目隠しを解いていく。
『そのために』……つまり、紫藤と久々に対面するから、せめて身体くらい清めておこうという朝比の判断なのだろう。
普段は冷たいタオルで身体を拭くだけだったので、温かいシャワーは久々だった。
香りのよいシャンプーで髪を洗われて、ふわふわの泡で全身をまとわれる。
石鹸の香りに包まれ、一葉はその一時が酷く幸せに感じた時間となった。
髪を乾かしてもらい、ほかほかとした心持ちで朝比を待っていたのに。
急に、地獄に突き落とされたような気分だ。
……まだ、心の準備ができていない。
でも、でも、でも。
一葉には、逃げ場がない。だから……
(できる、できる、だいじょうぶ、だいじょうぶ。深呼吸して、10秒数える……1,2,3……)
目隠しの下で、ぎゅっと目を瞑って。
心の中でひとつずつ数字を数えていく。
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