僕が知る歌、君が知る歌

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体育館に戻れば新入生歓迎会という名目の校内説明が行われていた。静かに聞く新入生を横目に見ながら、詩音は体育館ステージ横の階段を上り、ステージの裏側にへと回る。 ステージ裏では十人程度の生徒が慌ただしくこれからの準備に励み、詩音を目にしてもぺこりと小さくお辞儀を済ませるだけ。 新入生歓迎会のラストには詩音の披露が控えてある。むしろメインと言っても過言ではないくらいで、新入生のほとんどが詩音の弾き語りライブを楽しみにしているのだと思う。 それは準備をしてくれている人達も同じで、失敗したら詩音が恥をかくというのを避ける為に忙しないのだ。そんな状況下でメインである詩音が抜け出したことに、不安を抱いていた生徒は多いことだっただろう。わざわざ教員に呼び出させたくらいなのだ。それだけ期待されていると思えば嬉しい話である。 ──しかし不安な生徒たちの気持ちを代表するように、 「──詩音くん」 忙しなく動く生徒たちを傍観するように眺めていた詩音を、低く、それでいて静かな声で呼ぶ男がいた。 男は上下紺色のスーツをビジネスマンのように着こなし、首まで伸びる黒髪をワックスで程よく固めている。そして黒縁メガネを指先で掛け直し、切れ長の瞳で詩音を見据えていた。 男の名前は櫻井(さくらい) 響也(きょうや)。詩音の世話係もとい──マネージャーである。 気だるげに返事をすればあからさまなため息を吐かれてしまい、詩音もまた眉間に眉を寄せる。 「自由にしていいって約束結んだのはそっちの社長ですからね」 「自由に仕事をさせるのが会社のモットーですから。ですが詩音くんの場合度が過ぎています。ライブを控えた状況でシミュレーションもなしですか……?」 櫻井は詩音よりもずっと高い身長でありながら距離を詰め、メガネの奥で瞳を光らせる。重たい圧を櫻井から感じるも、詩音は視線を逸らしたら負けだと思い、櫻井と視線を交わしたまま、 「練習してた曲とは別の曲を披露する」 そう口にした。 もちろんその詩音の言葉に櫻井は良い顔をしない。胸内ポケットから手帳を取り出してスケジュールにへと目を通せば「伺っていませんが」と吐き捨てるように言葉を口にし、指先でメガネを掛け直す。 「今さっき思い出した曲だから話してない」 「練習は? されたのですか?」 「してない」 わかってて訊くなよ、と内心思う。櫻井はずるい。一応はマネージャーであるから詩音を尊重するが、大人の対応をしてくるために詩音は度々、少しは子供扱いして欲しいと思うときがある。 さすがの気まずさに視線を交わし続けることができなくなった詩音が視線を逸らしてしまえば、あからさまな櫻井のため息が聞こえる。そのため息は詩音だけではない他の生徒の耳にも届き、静けさを残したままざわつき始めた。 詩音と櫻井の話を聞いていた生徒ならば誰もが櫻井と同じ意見を口にするだろう。だが準備に励み何も耳にしていない生徒は口々に「ケンカ……?」とこそこそ話し始める始末。 詩音は人より耳が良い。だから聞き取りづらい音も、こそこそ話もすぐに耳に入ってきてしまう。そのせいか無意識にも視線を向けてしまえば、バツが悪そうに視線を外された。 再度櫻井にへと視線を戻し、詩音は悪巧みを思いついた子供のような笑みを浮かべてみせる。そして自信満々気に、 「不安な気持ちも分かる。けれど僕はこの曲に絶対の自信があるんだ。ここに集まってくれた新入生、いや──この高校にいる全員を満足させる自信がある。櫻井さん、貴方のことも」 両の手を大きく広げて詩音は真剣な眼差しで櫻井を見据える。この提案に櫻井が良い顔をしないのは想定していた。大人としての対応を求められることも、気まずい空気になってしまうのも想定済みだ。しかし詩音はそんなことで決めたことを折りはしない。だからこそ、ここは強気で出なきゃダメなのだ。 櫻井はあくまでマネージャー。詩音を尊重しなければならない立場だ。その詩音がこうすると話しているのだ。櫻井に詩音を止める筋合いなど、どこにもありはしない。 強気で真剣な瞳に櫻井が揺らいだとわかれば、答えを聴くこともなく勝ち誇った笑みを詩音は浮かべた。 櫻井は詩音が強気な表情を浮かべて真剣なとき程、何を言っても言うことを聞かないと理解している。 胸のうちは不安でいっぱいだ。詩音の突発的行動は今に始まったことではない。ストレスで胃が痛くなるのにも櫻井は慣れてしまった。しかし今回ばかりは、スポンサーも詩音の弾き語りライブを観に来ているのだ。失敗は許されず、今後の活動を考えれば詩音を想ってスケジュール通りにするのが筋。大人の対応をするならば、詩音の提案を折らなければいけないことも理解している。 しかし櫻井もまた詩音同様に、止める筋合いが無いことも理解しているのだ。 だからここの大人としての対応は、自分が折れること、そして詩音の背中を押すこと。──だが櫻井の胸のうちに宿っている不安は膨らむように大きくなる一方なのは変わらない。 「……わかりました。ただし失敗が許されないという事を肝に銘じてください。来客者の中にはスポンサーの方もいらっしゃいます。彼らは詩音くんのライブを楽しみにしているのですから、それに見合ったものを提供しなさい」 渋々と話した。そんな不安でしかない櫻井に、追い打ちをかけるように詩音は自信ありありの声色で話してみせる。 「忘れてない。あっと驚かせてやりますよ、櫻井さん」
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