プロローグ 星の声

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プロローグ 星の声

彼女の名前を思い出せない。愛していた彼女の名前を思い出すことができない。 毎夜毎夜忘れたくてもそれを許さないかのように夢を見る。それは僕の知らない記憶。僕が経験したことのない記憶。 「忘れちゃいけない。僕の犯した過ちを忘れちゃいけないよ。──また同じ過ちを繰り返したくはないだろう?」 夢に出てくる僕そっくりの男は、いつも同じことを話す。繰り返し繰り返し、同じことを言い聞かせるように話す。 その言葉を今の僕には理解できなくて、質問をしようとしても声が音となって出ることはない。 「何度生まれ変わっても必ず見つけてみせるよ」 夜空に浮かぶ天の川を仰ぎ見て、男は唄を口ずさむ。琴のような声で紡がれる唄は、星々がこぼれるように綺麗であるのに、ぷつりと糸が切れてしまいそうな程に繊細だ。と思えば激情のようなものを感じて、それでいて哀しみに溺れてしまいそうなくらいに弱くも感じる。 この唄を聴くと、僕までも哀しい気持ちになる。それは夢の僕が切なげに唄うからなのか、胸が締め付けられるように苦しくなって、名前を思い出せない彼女のことが恋しくなる。 ──逢いたくて堪らない。彼女に逢いたい。それなのに名前も、顔も。彼女のことをひとつも思い出せない。 僕はいったい誰に恋い焦がれているのだろう。夢の僕が愛する彼女に現実で逢うことができれば、こんなに苦しい思いはしなくても済むのだろうか。 「愛しているよ、──」 夢の僕は彼女の名前を呼ぶ。それなのに彼女の名前が今の僕に聴こえることはなくて、悲しい気持ちと恋い焦がれる気持ちとが重なり合い、涙で視界が歪む。 夢の僕がいびつに歪めば、その歪みに呑み込まれるように、僕の意識は夜空に浮かぶ天の川に吸い込まれるみたいに消えていった。
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