僕が知る歌、君が知る歌

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「──え?」 彼女の顔は一瞬で引き攣り、その顔を瞳に映した詩音は唐突に我にへと返った。 鳥のさえずりに耳を傾けるくらいの余裕が出来てから先程の発言を思い返してみると、とんでもない発言をしたことに自分らしくないという驚愕を覚えれば、どもった声が出てしまう。 胸の奥から湧き上がるような羞恥心、そして気まずい空気が詩音に重くのしかかるも、逸らしそうになる視線を堪えながら彼女の様子を伺う。 ──しかしロマンティックな、それこそ少女漫画のような展開は訪れず、綺麗な顔を彼女は崩した。毛虫を気持ち悪がるような表情を浮かべ、眉根を眉間に寄せ、軽蔑するような冷たい眼差しを詩音にへと向けて、 「──なんですか?」 女の子の歌声は美しく響き、澄んだような声色だった。金よりも軽く、耳に心地よい声。言うなれば『銀鈴の声』とは、このような声を言うのだろうと思っていた。 だが今しがた浴びせられた、たった一言の言葉はそれと程遠い。冷たい眼差しと比例するように、銀ナイフのような鋭さしか持たない言葉であった。 ──気持ち悪がられた、というのは一目瞭然であった。しかしそれでも、詩音には訊かなきゃならないことがある。 「そ、そのさっきの曲、星の声、だよね……?」 詩音は互いの距離を詰め、手のひらでピアノを撫でるように触れながら本題に入る。 ──詩音の中で絶対の自信があった。彼女の弾く曲を聴き、それを感じて、詩音が知る曲『星の声』で間違いないという自信があったのだ。 だが彼女の表情を伺ってみれば驚く様子すら見せない。どちらかと言えば驚愕よりも、まつ毛の奥から見える瞳には怒りが宿っているように思う。 「違いますけど。なんなんですか? 一応先輩みたいですが気持ち悪すぎです。初対面相手にプロポーズしたり、場を和ませようと考えられたのかもしれませんが、あまり適当なこと言わないでください。不愉快です」 銀鈴のように軽い声は、重く、鋭さを保ったまま詩音を刺す。 今までの人生において、詩音は「気持ち悪い」「不愉快」そういった言葉を浴びせられたことはなかった。先程のは確かに誤ったことを口にしてしまったと自覚はしている。しかし、ここまで言われる必要はないんじゃないか。 激怒するほどのものでないにしても、彼女の言葉に詩音もまた、不愉快な思いを抱いてしまっていた。 ──けれど訊きたいことを訊けないままにしておきたくはない。 詩音は気持ちをぐっと堪え、彼女の軽蔑する瞳を真正面から受け止める。 だが詩音の気持ちが汲み取られることはなく、彼女は音楽室を後にするのか、長い黒髪を風になびかせながら詩音の横を過ぎていく。すれ違いざまに目尻を険しく吊り上げて睨まれてしまったが、逃げられたらたまったものではないと、 「ちょっと待ってっ──!」 そう喉の奥から声を出したものの、彼女の腕を掴むことはできなかった。既に第一印象は最悪で、軽蔑の眼差しを向けられて。今更でしかない。しかし無意識にも、あの眼差しを再度向けられるのかと思うと、戸惑い、躊躇し、伸ばしかけた腕を引っ込めた。 そんな詩音の気持ちは露知らず、新入生だと思われる彼女は音楽室からスタスタと立ち去って行く。詩音はその後ろ姿に再び声を掛けることは出来ず、揺れる黒髪を眺めながら見送るしかできなかった。 「違う、のか……?」 ピアノの鍵盤に触れればポーンと軽い音を鳴らす。無意識のうちにため息を吐きながら詩音は椅子に腰を下ろして、指が動くままに鍵盤に触れた。 彼女が弾いていた曲。夢じゃなく現実で耳にしたのは初めてだった。それを詩音は完璧に覚えていた。──正確には思い出したが正しいのかもしれない。指をどこに持っていけばどの音が鳴るのか。そんなことを考えなくとも指は自然に動きメロディを紡いでいく。だがこの指が鳴らす音は、彼女が弾いた曲とは少し違う。 彼女の曲に色を足すように、詩音が奏でるメロディに色が塗られていく。 それともうひとつ、違う点がある。この曲『星の声』の詩を彼女は知らない。確かに歌ってはいたがラララと歌うだけであり、言葉を乗せてはいなかった。詩音は違う。詩音は『星の声』の詩を知っている。言葉として唄うことができる。 疑問だった。どうして彼女は詩を知らないのか。メロディを知っていれば詩を知っていてもおかしくない筈なのに。 「──どうして」 ぽそりと詩音が呟いたときだ。学校のチャイムが音を鳴らした。心のうちで歓迎会を抜け出したことがバレたなと確信を得れば、放送内容は大当たりであり、教職員からの呼び出しであった。 渋々ピアノから指を離し、鍵盤がほこりを被ってしまわないよう畳んでしまう。そして詩音は音楽室を後にしようと椅子から立ち上がり、一歩足を踏み出したそのとき──。 床に落ちているピンク色のハンカチが目に入る。それを拾い上げ、綺麗にたたまれていたのを広げてみれば、無地のハンカチではあるものの、右下に持ち主の名前だと思われる刺繍が施されていた。 『七咲(ななさき) 琴音(ことね)』。彼女の名前だろう。同じ二年に琴音ちゃんという女子生徒は知らないし、三年で音楽室に足を運ぶ人は限られている。その限られた人物の中に女子生徒がいなければ、ハンカチの持ち主はすぐに知れた話であった。 琴音という名前を知れて、少しだけ上機嫌になった詩音は丁寧にたたみ直してポケットにへとしまう。そして今度こそ音楽室を後にし、新入生歓迎会を行っている体育館にへと足を向けた。
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