二人の兄弟

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(喉…乾いた。) 城を出てからリゼは国から離れるように、一番近い国境に向かって歩き続けた。 ここ二、三日まともに水や食料を口にできていなかった。 城から出るにはなるべく身軽な方がよかったので水、食料ともにあまり持ち出すことができなかった。国内では顔が知られているため、買い物もましてや働くことも出来ない。 そして何より、城の兵士たちによる見張りがいたる所にいた。このままでは、見つかるのも時間の問題だった。 もし今見つかって城に返されることがあれば、リジュは間違いなく殺されてしまうだろう。 やっと今年で8才になる、無垢な子供なのだ。城の掟など何も知らない、父上に連れ去られ、殺されるために生かされてきた。 そんなことあってなるものか、絶対に。殺させはしない。 「殺されて、たまるか…」 あいつは、国王になるんだ。 * 6年前、城には年老いた医師が住んでいた。 父上が子供の頃からの友人らしく、よく体が弱い母上や病気しがちだったリジュの看病をしていた。 リジュはリゼが6才の頃、その老医に抱かれて突然現れたのだった。 『リゼ、君の弟のリジュだ。大事にしてやりなさい。』 そう言って差し出された腕に抱えた赤子は、金色の髪に白い肌をしたとても愛らしい子供だった。 リジュは泣き虫でしょっちゅう泣いていたが、リゼが抱いてあげると自然と泣き止み笑ってくれた。 その笑顔は向日葵のように暖かくて、声は鈴のように可愛かった。 勉強や剣の稽古が終わると、いつも乳母に預けられているリジュのもとに行き、世話を手伝うのが日課となった。 だが、リジュの側にいればいるほど、両親の弟に対する接し方に違和感を覚えていった。 ある晩、リジュが熱をだした日のことである。リゼは急いで医師をリジュの元に連れていった。 ぐったりとしたリジュの体を抱きながら、苦しそうに息をする弟の姿に耐えきれず老医に不服を吐いた。 「なぜ母上も父上も、リジュの元に来てくれないんだ。母上はリジュを抱こうとしないし、父上はまるでリジュのことを見ていない。大事な弟ではないのか!」 「リゼ様…」 「二人とも、リジュを見ないようにしてる。いや、まるで無かったことに、しようとしているような。どうして…リジュは何もしていないだろう?」 「…リゼ様は、もしリジュ様が本当の弟ではなかったとしても…守って差し上げますか。」 その医師の一言に、リゼは眉を潜めた。 この人は、自分が抱いていた違和感の真実を知っている。 「リジュの代わりなんていない。何があっても、リジュは俺の弟だ。」 老人の目が戸惑いと迷いで揺れていた。 「話してはもらえないか、リジュの身に関わることなら尚更。今この城に、弟を守れるのは俺しかいない。」 「……話すことは出来ません。国王様からの言いつけです。ですが…」 老医は胸ポケットに手を伸ばすと、そこから小さな鍵を取り出した。 「私は明後日、この城を出ます。そしたら誰よりも早く、この鍵をもって私の部屋に来なさい。本棚の中に、私の知る全てを閉まっておきます。私はもう、優しかったあの国王が変わっていくのを、何もしてやれず見ているのは耐えられない。」 リゼに鍵を差し出した老医の手は、微かに震えていた。 もし、この子が城の呪われた歴史を知ればどうするのだろう。 血の繋がっていない弟に愛想つきるだろうか。 城の掟に従いリジュの命は諦めるだろうか。 それとも。 自身の身を犠牲にしてでも、リジュを守ろうとするだろうか。 血を裏切り、父を欺き、将来を捨て。掟に逆らおうとするするのだろうか。 鍵に手を伸ばしたリゼの瞳を見れば、迷いや恐れなど何もないまっすぐな眼差しをしていた。 (あぁ、私はなんて残酷な選択をこの子に託すのだろう。どうか逃げることしか出来なかった私をお許しください。) この子達に、神の祝福がありますように。 * 「本当に出ていくのだな…」 城の大広間では身支度を終えた老医が、国王との最後の挨拶を交わしていた。 「えぇ、私ももう年です。物覚えもすっかり悪くなってしまいました。医師として国王様のお役に立てることも、もはやございません。」 「役に立つなど…。そなたは今まで、十分に尽くしてくれた。このまま城に住み続けても良いのだぞ。」 「…そのつもりだったのですが。」 老医は部屋の開いた扉に目を向けた。そこには丁度こちらの様子を伺っている、リゼの姿が目に入った。 「…死に場所ぐらい、自分で決めたいと思いましてね。…国王様、王妃様のご容態についてお伝えしたいことがございまして。少し時間を頂けますかな。」 「あぁ、構わんが。」 この老人が最後に出来ることと言ったら、少しでもあの勇敢な少年の時間を稼ぐことだけだろう。 再び目をやった扉の影に、リゼの姿はなかった。 * 二人が話しているのを確認すると、リゼは急いで老医の部屋へと向かった。 なるべく誰にも会わないように注意し、たどり着いた部屋の前で再び周囲を確認し静かにドアを開ける。 宿主を無くした部屋は荷物もなく、酷く殺風景だった。 しかし奥にある本棚に、不自然に一冊だけ分厚い本が入っている。 リゼは金色に光る小さい鍵を握りしめて、そっと鍵穴に手を伸ばした。
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