壊れた傘は歌わない

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「ええ。確かに。あたしが注文を受けましたよ」 恰幅で血色の良いマイスター・カール・ヴァルトフォーゲルが言った。彼の店は面が傘屋、裏と2階、3階が傘を作る工房になっているようでしかもかなり繁盛しているようだ。 「1年前の注文で、2週間前に出来上がりました。ヴェッツェンベルク嬢との婚約発表に間に合うように作って欲しいと言われて……だけどまさか殺されるなんて……それ以外にも、よく覚えてますよ」 「どうしてですか?」 ヘルツ警部がそう聞くとヴァルトフォーゲルは「何言ってんだこいつ」と言いたげな表情を浮かべた。相手が殺人事件の捜査で赴いた警官で無ければ本当に言ったかもしれない。 「アイヒホルン子爵の婚約はかなり話題になりましたからね。あの令嬢、確か実子じゃないんでしょう? 夫人の連れ子とかで」 「あっ、あー。思い出しましたよ」とヒューゲル。「確か工場区に住んでいたとかいう……」 「そうそう。だけど母娘共に器量良しで……それであのヴェッツェンベルクが見初めてヴェッツェンベルク嬢も養女にしたんですよ。それで社交界デビューを祝う舞踏会でアイヒホルン子爵が見初めたんですよ。生まれが生まれなので先代子爵夫人とかなり揉めて大変そうでしたよ」 「うむ……ところで、マイスターは大変良い傘を作るんですね。マイスターの周りにある傘は製作途中だけれども大変立派な出来栄えであることは分かります」 大量の布や棒の切れ端が雑多に置いてあるのを見てヘルツ警部が言った。相手の持っているものを煽てることは彼の十八番だ。それが相手に通じるのは戦略であると同時に本心だと分かるからだ。 案の定、彼は気を良くした。 「そうでしょうそうでしょう。あたしはフランスで綺麗も汚いも見て来ましたからね。パリは良いですよ。情報から思想まで伝達がどこよりも速い」 「マイスターは貴族や富裕層を対象に傘造りを?」 「あたしに作って欲しいとなるとそうですね。彼らはオーダーメイドなんで。だけどあたしは最初弟子たちにコウモリ傘を作らせるんで、市民にもあたしの店の傘は買えますよ」
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