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シャーロット
二十人ばかりの生徒が、緊張した面持ちで一部屋に集まっていた。みんな同じ服装をしている。ブラウンのチェック柄の上着とひざ丈のズボン。そして黒いケープ。
固い木製の椅子に腰かけ、一様に部屋の一方を向いている。彼らの前にはそれぞれの机もあった。机の左右には一つずつ引っかけ鍵がついていて、そこには帽子と鞄が下げられていた。どちらもこの学校指定の物で、帽子はベレー帽。鞄は大きめの本がすっぽりと入る程度の大きさの肩掛け鞄だった。
机そのものは小さいながらも、書きものにちょうど良い高さ。
平たく言うとここは魔術師養成学校の一教室だった。
それも新入学生の教室。
講堂にて入学式を終えた彼らは、その時告げられた教室へと集められていた。
誰も一言も発しなかった。
みんな互いに様子を伺っているような感じだった。
シャーロットもそんな中の一人だった。中指にはめた金色の指輪を反対の手で弄りながら、周りの様子をちらちらと伺っている。けれども、隣に座っている綺麗な金髪の子にすら話しかけたりはしない。自分のツンツンの赤毛やそばかすだらけの顔が恥ずかしかったのもある。それ以外にもいろいろと気後れすることがあったし、そもそも彼女は内向的な性格なのだ。
「私、アリスよ」
シャーロットの視線に気づいた金髪の子が、小声でそう話しかけてきた。
「シャ……シャーロット……」
「良い名前ね。よろしく」
「う……うん」
俯いてはいたが、シャーロットはアリスが自分の方を見ているのに気付いていた。
ちらりと見えた綺麗なアイスブルーの瞳に見つめられているかと思うと、恥ずかしくて顔から火が出そうだった。
「あの……」
あんまり見ないで。シャーロットはアリスにそう言おうとした。
だがその時、教室のドアが勢いよく開いて、シャーロットの言葉を打ち消した。
入ってきたのは、ちょっとだぶついたズボンと革のブーツ、それにポケットのたくさんついた上着を着た男性だった。
短い黒髪で目付きが悪かった。皆の前に立ち、二十の視線を浴びてもたじろぐことなく、逆に一人一人を睨み返すようなところすらあった。
何人かはこの時点で気後れして俯いてしまった。
「えー……ニーナ・ロウ魔術師養成学校へようこそ」
良く通る綺麗なハスキーボイスで彼は言った。
シャーロットも視線に負けて俯いていた口だが、その声は美しいと思った。あんな藪にらみの男ではなく、もっと優しい銀髪の紳士の声だわ、とも。そこで彼女は前に立っているのは銀髪の紳士だと思う事にした。彼女は幼い頃から想像力の逞しい子で、頭の中にそれらしい情景を克明に思い浮かべる事ができるのだ。もちろん、それ故に失敗することもたくさんあったが。
「俺はこのクラスを一年間担当するアーロン・アクランドだ」
随分と「A」の多い人だわ。シャーロットは頭の中でつづりを確認してそう思った。
ミスターAとこっそりあだ名することにした。
「君達は……あー、ダメだ。調子狂うな」
アーロンはそう言ってえへんと一つ咳払いをした。
「お前らは……」
ミスターAは随分乱暴な言葉遣いが好きなのだわ。シャーロットは残念に思った。
折角声が綺麗でも、言葉遣いが汚いのはイマイチだ。
銀髪の紳士には慣れないわ。そう思い、シャーロットは妄想するのを止めた。
「お前らはアレだ。弟子入り志願者としてここに入ってきたわけだ」
な、と手近なところに座っていた男子に同意を求める。
引付でも起こしそうな面持ちでその男子は頷いた。
「弟子入りしたいってからには、最終的に魔術師になりたいわけだな。でも、何でも良いから魔術師になりたいってやつはあんまりいない。大抵の場合は、何かしらやりたい事があって、魔術師を目指す。世の真理を解き明かしたいとか、ドラゴンぶっ倒したいとか、親御さんみたいな魔術師になりたいとか、まあ色々。例えばお前はどうだ?」
そう言ってアーロンが指名したのはシャーロットだった。
ばね仕掛けの人形のように思わず立ち上がるシャーロット。
「え? え?」
「なんで魔術師を目指す?」
「ええと、分かりません」
シャーロットは泣きそうになった。
一番聞かれたくない質問だったからだ。
咄嗟に指輪を手で弄って落ち着こうとするが、そこにアーロンの追撃が来た。
「分からない? つまり何となく魔術師になりたいのか?」
我慢の限界だった。シャーロットの目にみるみる涙がたまる。
涙で喉が詰まって、シャーロットは返事が出来なかった。
何となくなんかじゃなかった。けど、ここで言う勇気も出なかった。
「何となくじゃないのに分からないのか……。しかも泣くときた。難しいの引いちまったな。我ながらしくじった。まあいいや。お前は?」
アーロンはそのままシャーロットを座らせた。横からアリスがそっと差し出したハンカチを受け取り、何度も目元を拭う。
アーロンはシャーロットから目線を外し、先ほどひきつけを起こしそうになっていた男子に話を振りなおす。
「ええと……動物との意思疎通とか……」
「良いね。まあ、つまりこういう事だ」
何事もなかったように話を続けるアーロン。
シャーロットはぽたぽたと涙を流しながら、自分の不甲斐なさが情けなかった。
涙よ止まれ。流れるな。戻れ……。
泣いている姿はもう見せたくない。ハンカチを強く握りしめ、頬を伝おうとしている涙が巻き戻されるように戻ってくるところを思い描いた。すると、涙がスーッと引いていく感覚があった。
「え?」
不意にアリスの声が聞こえた。
シャーロットは慌ててそっちを向く。すると、アリスもまた唖然とした顔でシャーロットを見ていた。
「どうした?」
アーロンがその二人を見とがめて尋ねる。
「い、いえ。何でもありません……」
アリスはそう言いながら、シャーロットをじっと見ていた。
シャーロットはなぜみられているのかわからず、きょとんと首をかしげた。
「なんだかよく分からんが、まあいい。進もうとしている先は色々あるだろうが、それは一旦忘れろ」
アーロンの言葉にクラス内がややざわめいた。
「ここで学ぶのは基礎的な事だけだ。お前たちの目指す道は、ここを卒業して、お師匠さんに引き取られたところから始まる。もちろんそれは簡単な事じゃあない」
アーロンはクラス中を舐めるように見まわしながらそう言ってにやりと笑った。
「つまり、この学校を出るのは簡単じゃないって事だ。お前たちがきちんと基礎を習得し、弟子としてお勧めできますと我々は言わなきゃならんからな。その域に達しない者は留年か、あるいは見込みがなければ学校を去って貰う場合もある」
教室のあちこちから退学、留年と言った呟き声が聞こえた。それは、その未来には進みたくないという響きを含んでいた。
「学ぶべきことは山積みだ。頑張れよ。その代わり、卒業まで漕ぎ着けりゃ、その先は何かしら面倒を見てやる。ここはそう言う場所だ」
そう言ってアーロンは話を締め括り、またクラスの一人一人を見回した。
「あのう」
誰かがそう言って手を挙げた。
皆の視線が一気にそこへ集中する。
手を挙げたのはチョコレート色の肌をした少年だった。
「何だ?」
アーロンは速足で彼の席の正面まで移動した。
「質問が……」
「名前は?」
「バート。バート・ラッセルズです」
そう言って彼は立ち上がった。
「よしバート。何が知りたい?」
「新入学生は我々だけですか?」
「違う。他にこの規模のクラスが八ある。今年は合計で百八十人を受け入れた」
「なぜ、こんなに小規模に分けるのです?」
「一つのクラスを小規模にし、その中の生徒を見落としなく指導するためだ。つまり、お前らは気を抜けないって事だな」
「……分かりました」
バートが腰を下ろすのを見て、アーロンは一つ頷いた。
「良い質問だった。お前らにも言っておく。分からない事は聞け。絶対に思い込みや知ったかぶりで行動するな。基礎的なカリキュラムとはいえ、素人が迂闊に手を出せば危険な物もある。分かったな?」
はい、と教室にいる全員が返事をした。
もちろんシャーロットも。
アーロンは再び皆の前に戻ると、一呼吸を置いてからこう言った。
「じゃあ、早速一つ目のカリキュラムに行こうか。全員、机の脇にかかっている鞄を開けて、さかさまにして二回振れ」
言われるまま、全員が机にかけられていたカバンを手に取って開けて、さかさまにして二度振った。
するとどうだろうか。鞄の中から一揃えの服と一足の靴が落ちてきた。服は白色で、長袖のシャツと膝丈のズボンだった。そして靴は、皆が今はいている革製の制靴より動き回るのに適していそうな柔らかい靴だった。
「十五分以内に着替えて校庭に集合しろ」
「アーロン先生」
教室を出て行こうとしたアーロンを誰かが呼び止めた。
「どした?」
「あの、女子も男子もいるんですが……」
不安気な表情でそう言ったのは、ピンク色の髪をした小柄な女子だった。
「えーと、名前は?」
「エリナ・リトルトンです」
「エリナ。良い事言ったな」
そう言って、アーロンはパチンと指を一つ鳴らした。すると、部屋の真ん中を分断するようにカーテンが現れた。ちょうど真ん中あたりにいた生徒は驚いて身をのけぞらせた。
「まあ、どっちがどっちでもいいけど、これで良いか?」
「はい」
エリナが頷くのを見て、アーロンは改めて十四分後だぞと言い残して出て行った。
そこから教室は一気に賑やかになった。
「ちょっと、男子は向こう行ってよ」
「うるせーな。見たくて見てんじゃねぇよ」
「無礼」
「大体、見て減るもんじゃねぇだろ」
「減るのよ、女子の心の中の何かがね」
「言い争いしている場合か。早く着替えろ」
「そうだそうだ。男子は窓際、女子は通路側それで良いじゃないか」
「急がなきゃ。後十一分ぐらいしかないぞ」
そんな騒ぎには加わらず、シャーロットとアリスは教室の隅でさっさと着替え始めていた。
たまに男子の姿が見えるとシャーロットなどはびくついてしまうが、アリスは堂々としたものだった。遠慮なく下着姿になり、さっさと服を着替えて靴も履き替えた。
シャーロットもそれに少し遅れて着替えを完了する。
「あの、ハンカチ、ありがとう。洗って返すね……」
「ええ、それでいいわ。ありがとう」
シャーロットの言葉にアリスはためらいなく頷いた。
「行きましょうか」
「う、うん」
まだ賑やかな教室をさっさと後にする二人。
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