名古屋城(愛知県名古屋市)

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2d39c71b-65c0-4eed-a089-d14fab49887d さて、最初は地元の名城・名古屋城について書いていこうと思いますが、名古屋城のある愛知県について最初に書いておこうと思います。 愛知県は旧国名でいうと、西部が尾張、東部が三河となります。三河については『なかなか面白い日本の歴史【一対蝶放浪記】』の岡崎城の章に書いてあるので、良かったらそちらを覗いてみてください。 「尾張」についてですが、語源・由来には様々な説があるんですね。これには定説とよべる程のものがないようなので、いくつかの説を紹介しようと思います。 尾張は古くは「尾治」と書いていたようなんですね。これは7世紀後半の木簡に尾張国と尾治国の2つの表記がある事からも確かなようで、さらに『先代旧事本紀(せんだいくじほんぎ)』という史料にも尾治の表記が見られるようです。尾治から尾張に改められたのは、704年に国印が鋳造された時と考えられているそうです。 『先代旧事本紀』は、9世紀初頭から10世紀初頭の間に作成されたと考えられ、尾張氏と物部氏の事積について詳しく書かれている書物のようです。 尾治の「治」には開墾や治水の意味があるようで、最も古くは「尾を開墾する国」といった意味があったのでしょうね。 「尾」が何を意味するのかはっきり分かりませんが、これは尾張の国の形を表しているのかもしれません。 江戸時代中期に作成された国語辞典である『倭訓栞(わくんのしおり)』には「尾張の国は、南智多(知多)郡の方、尾の張出たるが如し、一説に小墾の義也」とあるようです。個人的にはこの説が尤もだと思うんですね。尾張は古代より肥沃な土地柄である事と、その国の形から「尾治・尾張」となったのだと思います。
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