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他には「終わり」が語源となっているという説もあり、これもかなり尤もだと思える説ですが、これは尾張がヤマト王権の勢力圏の東端(終わり)であった事から付いたというものです。自分は古代史は好きなのですが、ヤマト王権の支配がどこまで伸びていたのか詳しく知りませんが、これが真実だとしたならば、ヤマト王権の支配は三河に流れる矢作川が境になっていたのかもしれませんね。
もう一つ挙げておくと、「尾割り」が語源になったという説があります。
これは草薙の剣が関係してきますが、草薙の剣は古代より熱田神宮で祀られてきた三種の神器の1つですが、この剣は元はスサノオがヤマタノオロチを成敗して、その尾を割いた時に見つかったんですね。そして草薙の剣が地名の語源となり尾張となったというものです。
どれも尤もらしい説ですが、どれが正しいのでしょうね。
個人的には草薙の剣の説は後付けのような気がします。草薙の剣の話が出てくる『古事記』が成立したのが712年なので、出土した木簡からも分かるように、それ以前から尾治・尾張の国名はあったと思うんですよね。
次に「愛知」の由来について書きますが、愛知の語源は、「あゆち潟」からきているそうです。
自分は愛知県に住んでいながら、あゆち潟という言葉は日常の会話でおそらく1度も出てきた事がないです。それだけ現代では使わない言葉なんですね。
あゆち潟というのは、現在の名古屋市南部及び南東部一帯から知多にかけて広がっていまた干潟の事で、平安時代より前にこう呼ばれていたようで、万葉集にもあゆち潟を題材とした歌がいくつか詠まれているようです。
そして平安時代初期以降は、あゆち潟は「鳴海潟」と呼ばれるようになったようです。
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