~1~

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 夜11時を過ぎていた。展覧会の打ち合わせが長引いたのだ。疲れ切った男は、ようやくマンションの部屋にたどり着く。ポケットから鍵を取り出すと、部屋の中からガチャガチャと音が聞こえてきた。男は急いで鍵を開け、リビングルームに向かう。真っ暗な部屋からは、相変わらずガチャガチャと音が聞こえる。音の方向、暗闇の中にボンヤリと青いふたつの光が見える。男はダウンライトを点ける。部屋の奥にケージがあり、後ろ足で立ち上がった犬が柵に前足をかけて、右に左に往復している。動くたびに柵がガチャガチャ音を立てていた。  男はジャケットを脱ぐと、すぐにケージに向かう。犬の頭を撫で、顎の下をくすぐる。犬は後ろ足でぴょんぴょんジャンプし、男の顔を舐めようとする。尻尾は信じられないような速さで振られている。 「遅くなってごめんな。これでもいろいろと忙しいんだ」  男はかがんで顔を犬に近づける。犬は男の顔をしばらくペロペロ舐める。男はいったん立ち上がり、犬は再びガチャガチャ左右往復運動を再開する。 「もうこんな時間だから、先にごはんがいいかな?それともやっぱり散歩に行くか?」 『散歩』の言葉を聞き取った犬は、後ろ足でぴょんぴょんジャンプする。 (さんぽ!さんぽ!さんぽ!さんぽ!!!) 両耳はピンと立ち、瞳孔はまんまる、口は開いて舌を出し、呼吸は荒く、尻尾はさらに高速振り子運動、アドレナリン全開である。 「わかった、わかった。よし!散歩行こう!」 (さんぽ!さんぽ!さんぽ!さんぽ!!!)  男はケージから離れ、寝室のクローゼットに向かう。後ろから相変わらずガチャガチャ音が聞こえる。散歩用の服に着替え、斜めがけにポーチと赤ちゃん用の抱っこネットを掛ける。ケージに戻ると、後ろ足で立っている犬に赤い革の首輪とリードを付ける。リードの取っ手は斜めがけポーチの金具にしっかりと固定する。この金具は、登山のロープとハーネスをつけるカラビナと言われるもので、決して外れない。前足のわきの下に両手を入れ、犬を持ち上げる。犬の前足がピンと伸びる。男の顔が近づくと容赦ないペロペロ攻撃が待っている。犬を抱っこネットに乗っけると、男は部屋を出る。帰ってから散歩まで、ものの5分もかかっていない。疲れていたはずの男は、椅子に座ることも、一口水を飲むこともなく、再び外に出るのだった。
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