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「神への冒涜」は最も重きを置かれていたと思われたが何をもって冒涜とするかが揺らぎ始めたのは2080年頃だった。この頃から日本の人口は6000万人を下回り、いよいよ国力というものの衰退が誰の目にも明確なものになっていった。  AIやアンドロイドを活用し、どうにかライフラインは確保していたが、人口の減少による経済への影響は著しかった。人口減少そのものに対する不安、経済に対する不安、結婚や子育てに関する不安。出生率は当たり前のように減少し続け、0.4%を下回るところまできた。  2080年代、当時の女性学の権威であった小原薫子教授はこんな見解を示していた。 「20世紀の終わり頃にできたことが沢山あったでしょう。出生率の低下をもっと深刻に受け止めなかったことが大きな原因の一つです。もちろん深刻に受け止めていた。取り組むべきことに取り組んだと仰る方は沢山いらっしゃるとは思いますが、出産する女性にとってより具体的な取り組みが実行できていたとは言い難いのです」  日本政府はなりふり構わず出生率を上げなければいけなかった。そして、手始めに取り組んだのが不妊に悩む女性が誰でもガイアを使えるようにすることだった。
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