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紫が最初に感じた苦痛は息ができないことだった。産声をあげようとしているのに息ができない。マザーGが自分の顔につけた膜のせいだと思っていたが違った。この赤ん坊は殺されようとしている。
紫は身じろぎして赤ん坊の顔にかけられた濡れたなにかを払いのけようとするが、今度は何者かに顔を押さえつけられてしまう。
苦しい。
悲しい。
紫は絶望した。そうして息絶えた瞬間、今度は赤ん坊を殺した人物の感覚がなだれ込んできた。
母親だった。
薄汚れた顔をしていた。額には脂汗をギラギラと浮かべていた。生地の薄い柄もよくわからない着物からは貧しさが見て取れた。強烈な空腹を感じた。紫はこれほどの空腹を感じたことはなかった。薄暗い物置のような部屋には血なまぐさい臭いが充満していて、思わず顔をしかめていた。
母親の感情は「無」だった。少なくともそれに近いものだと紫は感じていた。我が子を殺したばかりなのに、何の悔恨も憐憫もなかった。
無かったことにされたのだ。
肩で息をしていた母親は赤ん坊のを外にいる男に渡した。男はそれを近くの川に流した。男の感情も流れてきた。それは忌々しさでしかなかった。
命は軽かった。
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