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 レアディールとの文通は、三月(みつき)ほど続いていた。手紙と手紙の間は三日から五日。ゲイブは受け取ってすぐ返事を書いていたし、レアディールもそうだろう。必要以上に時間がかかっているのは、城でいったん開封されるからである。どんな奴がやっているのかは知らないが、糞みたいな仕事だ。  ゲイブは西の塔を振り仰いだ。ほっそりとした影が揺れ、控えめに手を振る。  いま、ゲイブは教会の石段に座り、字の練習をしていた。夕方である。今日の仕事も終わり、周囲には神父以外誰もいなかった。  ゲイブは枝を拾い、地面に自分の名前を書いた。 「上手になりましたね」  神父が言った。  自分では、幼い子どもが書いたような字だと思う。だが、三か月前に比べればはるかにましではあった。  この間の手紙で、ゲイブは初めて自分で署名した。レアディールはどう思っただろうか。具合が悪かったと書いてきた返信では、署名のことには触れられていなかった。ゲイブはそれを寂しいと感じていた。褒められたかった、なんて、あまりにも幼稚で嫌だったが。  あの手紙には、まだ返事を書いていなかった。届いたのは一昨日である。レアディールは、そろそろ返事があるはずと心待ちにしているであろう。  ――あなたは人を愛したことはありますか?  返事を書けなかった理由は、この一文だった。 「神父様は、誰かを愛したことはありますか?」  ゲイブは尋ねた。 「もちろん、ありますよ。私は何よりも神を愛しておりますし、教会に集まる人々を愛しています」  神父は神父らしく答えた。  ゲイブが問題にしているのは――すなわち、レアディールが問いたいのは、そのような曖昧な意味での愛ではない。もっと、胸を焦がすような、情熱的な愛のことを言っているのだろう。  ――人を愛したことはありますか?  その問いにレアディールが込めた想いは明白だった。  ――私はあなたを愛しています。  だから返事が書けない。愛されても困るから。ゲイブがレアディールに向けているのは、同情であって愛ではないから。  しかしレアディールの愛も、果たして本物の愛なのだろうか。彼は孤独だ。他に相手をしてくれる者がないために、愛していると勘違いしているだけではないのか。  もしも彼が領主の息子としてまともに育っていたら、一介の左官職人になど見向きもしなかったであろう。そう思えば、レアディールの気持ちとて愛なのかどうか疑わしい。  レア、と、ゲイブは彼の愛称を地面に刻んだ。ふたりの名前が並ぶ。  既に薄闇が忍び寄ってきていた。 「神父様。前に、あの方はあの塔から出られないと言っていましたよね。それはなぜですか?」 「あの方は領主様のご長子ですが、いまの奥方様にもおふたりのお子様がいらっしゃいます。奥方様は我が子に家門を継がせたい。そうなりますと、レアディール様の存在は目の上のたんこぶとでもいったところでしょうね」 「ひどいな」  ゲイブは土に唾を吐いた。 「奥方様が嫌う限り、領主様のレアディール様に恩赦をとはお思いにならないでしょう。あの方は、塔の中で一生を終えられることになるでしょうね。お気の毒なことです」  レアディールも自分の置かれた状況をよく理解しているに違いない。だからこそ、最初の手紙に「生涯ただ一度のこと」と書いたのだ。  生涯ただ一度の恋。たとえそれが勘違いだとしても。 ――――――――――――――――――――  レアへ  お返事が遅れてしまってすみません。前回お手紙をいただいてから、どうお答えしたものか迷っていました。  人を愛したことがありますか、と、あなたはお訊きになりましたが、俺は自分でもよくわかりません。親父やおふくろのことは好きですし、親方や、神父様にはお世話になっています。だから、そういう人たちのことを、愛していると言えなくはないです。  だけど、あなたが言うような、お互いに惹かれ合う愛は、経験がありません。  人を好きになったことはあります。付き合ったこともあります。でも、ではその人たちを愛していたかと訊かれると、答えに困ります。好きだと思ったり、毎日会いたくて死にそうだったりしても、愛とは少し違うような気がするのです。  愛とはなんなのでしょうか。俺にはわかりません。      ゲイブ ――――――――――――――――――――  これに対してレアディールが返信を寄越したのは、実に十日後のことだった。  いままでで最長である。初老の男が来た時、ゲイブははっと身体を強張らせた。 「お手紙です」  この男は、いまではもうあれこれ説明はしない。しかし今日は、常よりもさらに仏頂面であった。いっそ剣呑と言ってもよい表情だった。 「ちょっと待って。レア……レアディール様は、お元気なのか?」  ゲイブは初めて初老の男を呼び止めた。  男は足を止め、冷ややかに答える。 「ええ、お元気ですよ」  期間が空いたのは、体調不良が原因ではないらしい。では……前回の手紙で、ゲイブに拒絶されたとでも思ったのだろうか。それならそれで――このやり取りが終わりになるだけなのだから、よいのではないか……。  ゲイブは手紙の封を切った。これまで読み書きを習ってきたのだから、今日は自分で読んでみようと思った。
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