モノクロの温度

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食事。水。空気。 ヒトがそれらを必要とするように、私にはもうひとつ必要なモノがあった。 リストカット。 いつからはじめたのか。何がきっかけではじめたのか。もう思い出せない。…まあ要するに、私は世間で言うところのメンヘラ女だ。 ……しかしついに先日、少々『やりすぎ』て、檻のある病院にブチ込まれてしまった。面倒な診察やらカウンセリングやらを経て、やっとのことで退院してきて。……ボロアパートとはいえ、懐かしい我が家で泥のように眠ったところまでは覚えている。そして今、目が覚めて。 私は、見たことのない部屋にいた。 「何ここ……」 「やあ、おはよう!よく眠れたかな?神無月馨さん」 「……何で」 何で私の名前を知っているのか。何で私はここにいるのか。そもそもあんたは何者なのか。そしてここはどこなのか。 ……少なくとも、病院にとんぼ返りさせられたわけではなさそうだが。 「何で『君がここにいるか』?……君が寝てる間に、君のアパートから僕のマンションに連れてきたから。何で、の意味が『動機』なら、僕が君を愛しているから。君がこれ以上傷付くのを見ていられなかったから、かな」 「……どこかで会ったことあったっけ」 どうも、私が彼を知っている前提で話をしているように思えるが。 「ああ、たしかに直接会うのは初めてだね!ほら、君がSNSにアップしていた絵によくコメントしてた……」 ……要するに、ネットストーカーというやつか。 「君の絵は素晴らしいよ……一見ただのスケッチに見えて、その鋭さだけでなく無慈悲さ、無機質な殺意までもを克明に描き出している……」 SNSに上げていたのは主に包丁やカッターナイフなど、刃物の絵だった。……一体全体、何がそんなにお気に召したのかはわからないが。 「そっかそっか、君にとっては初対面だから自己紹介が必要だよね。僕は千石遼馬。ハンドルネームはリョウ。君にとってはこっちのほうが馴染みがあるかな?……できれば本名で呼んでほしいけど、君がそうしたければHNでもいいよ!」 まあ私は正直どちらでも構わないが。……と、いうか、全く興味がない。 「で、私をどうしたいの」 「別に。ただ、ここに居てくれるだけでいいんだ。ここには君を傷つけるものは何一つないんだからね。……絵を描きたければ、その都度僕が何か持ってくるよ」 たしかに。……私を傷つけるものどころか、本当に何もない部屋だ。 「……切る物がないのは困る」 流石に病院でリストカットは許されなかったので、今の私はカラカラの状態だ。……だが。 「駄目だよ、そこは譲れない。そのために君をここに連れてきたんだからね。……他に幾らでも娯楽を用意してあげるから、それで紛らわせることを覚えて?」 他の?娯楽?紛らわせる?? 「……別に楽しくて切ってるわけじゃない」 医者も、カウンセラーとやらも、こいつもそう。何もわかっていない。 「必要だからそうしてるだけ。あなたに、水や空気が必要なのと同じ」 「それを中毒って言うんだよ。君の言う通り、君はそれを必要としてるんだろうけど……それは麻薬と同じだ」 どいつもこいつも、似たようなお説教ばかり。 「……否定はしない。だけど……」 「とりあえずお腹がすいてるんじゃないかな?君は普段から朝食はとらないみたいだけど……昨日は何も食べずに寝ちゃったようだからね!」 ……一瞬忘れていたが、彼は医者でもカウンセラーでもなく、ストーカーだった。 「……盗聴器でも?」 「うん。あ、監視カメラは浴室周辺にはつけてないから心配しないで!」 いい笑顔で答える彼に、脱力する。 「もういい……コーヒーだけちょうだい。砂糖とミルクたっぷりで」 「うん、じゃあちょっと待っててね!」 彼はそう言い残すと、鍵の掛かった隣室へ消えていった。 ……これが、私と彼の奇妙な監禁生活の始まりだった。
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