火山の下に生まれて

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火山の下に生まれて

 全身女優、火山(かざん)モエコは九州のとある火山の下に生まれたといわれている。しかしモエコ本人は、本当は自分がどこで生まれたのはわからないといつも言っていた。彼女は時折、私は生まれた時に火口近くに捨てられて……。と、モエコは身振り手振りを交えて例の調子でよく喋っていたものだ。  モエコ、という名は実名だが、モエコによれば大噴火が起きた時に生まれたからモエコと名前をつけられたそうだ。彼女がいつも言ってた冗談がある。 『私はね。生まれたばかりの時にコインロッカーごと火口に捨てられて、そのすぐ後に大噴火が起こったから助かったの。火口から飛び出た、私の入ったコインロッカーはマグマの川に運ばれて、運良く岸壁にぶち当たり、川の流れから外れたところを、この村の人達が助けてくれたの。でなければ死んでたかもしれない。……いや死ななかったかもしれない。だって私はモエコじゃない!あの火山モエコじゃない!そんな私が女優にならずに死ぬなんてなりえないわ!』  そう言い終わるといつも彼女は立ち上がり、胸に両手を当て、恍惚の表情で天井を眺める。そして彼女は頰に一筋の涙を垂らしながら自分の存在を確認するかのようにこう言っていたのだ。 『私は全身女優火山モエコ!炎の女優なのよ!マグマごときで死ぬわけないわ!』  彼女の戸籍名は桧山萌子だというのは彼女が死んでからわかったことだ。漢字で表すと平凡な名前に思える。この字面からあの燃え立つような全身女優火山モエコの姿はまるで見えない。しかし彼女の人生は子どもの時から平凡ではなかった。  彼女は火山の下の村で育ったが、そこは一ヶ月に一回は必ず噴火が起こるような土地で、モエコの家はいつも煤まみれだった。彼女は煤にまみれながら逞しく、そして美しく育っていった。  噴火が起こると彼女は危険を顧みずマグマを見に行った。白い地面にマグマがまるで血液のように河川となって流れていく。モエコはその光景を見て、自分の血液が熱く沸騰していくのを感じていた。  貧乏人で煤まみれの彼女には友達はいなかった。同級生や同じ学校の女には煤っ子と毎日からかわれていた。彼女は同級生たちが、公園や、互いの家へ遊びに行くのを尻目に、いつも町の電器屋まで歩いて店の前にあるテレビでドラマを観ていた。この火山の下の文化のかけらもない土地では、テレビドラマだけが彼女の癒しだったのである。ブラウン管の中の世界は別世界であり、そこにはこの土地にないものが全てあった。彼女はブラウン管の中の煌びやかな人々の輪の中に入りたい誘惑に何度も駆られた。いや、駆られたというより実際にブラウン管に入ろうとドライバーでテレビをこじ開けようとしたことさえある。その時は電器屋の店員に慌てて止められて涙を飲んで諦めたのだった。  彼女はテレビドラマを見る度にブラウン管の中の輝く世界と、自分たちが住むこの田舎町のあまりの違いに絶望していた。ブラウン管に映る、あまり可愛いくなく、演技も上手いとも言えない同世代の子役を見ながら、この役は私が演じたほうが遥かに素晴らしいのにと、いつも心の中で悔し泣きに濡れていた。  電器屋から歩いて自宅に帰ると、待っていたのは酒に酔った父親と、そんな夫に無関心で今も寝ている母親であった。モエコはいつも家に帰ると絶望的な気分になった。台所と寝室しかない居間は酒瓶で埋め尽くされ、そして友達たちがいつも観ているテレビさえなかった。
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