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ヤオ
大雨により、巡り喫茶はぐるまは休日である。
『ねぇ健次さん、キッシュが食べたいの。作ってくれない?』
八百万の神様であるヤオは、はぐるまのマスターである海野健次のまわりをくるくる回りながらせがむ。
「さらっととんでもねぇ我儘言ってんじゃねぇよ……。今は卵が1個しかねぇんだ、明日材料買ってきてやるから我慢しろ」
海野は煩わしそうに顔を顰める。彼は雨の外出が大嫌いなのだ。
「私が買ってきますよ。卵と、あと何が必要ですか?」
奇子は読んでいた本にしおりを挟んで閉じると、ゆったりと立ち上がる。
「こんな大雨の中に外にお前を出せるか、ゆっくりしてろ」
「でも、私も健次さんのキッシュ食べたいですし……」
『そうよね、奇子ちゃんも食べたいわよね! 』
ヤオは目を輝かせながら、奇子ににじり寄る。
「う、うん……」
珍しく落ち着きのないヤオに、奇子は苦笑しながら頷いた。
「なんだよ、今日は随分と押しが強いな……。なんでそんなに食いたがるんだ?」
海野は長年愛煙しているジョーカーカオスを咥えると、燐寸で火をつけた。
『ちゃんとした理由はあるけど、ちょっと長くなるわよ?』
「じゃあアッサムでも淹れるか。ホットとアイス、どっちがいいんだ?」
海野は灰皿に煙草を置くと、ふたりの顔を見ながら聞いた。
「そうですね、私はアイスでお願いします」
『ホットでいただこうかしら』
「はいよ」
ふたりが言うと海野は厨房に入り、アッサムを淹れ始める。
『どこから話そうかしらね?』
ヤオは穏やかな笑みを浮かべ、雨が降る窓の外を眺める。
「そんなに思い入れあるんだ?」
奇子はそんなヤオの横顔を見る。
「出来たからこっちに来い」
海野は4人掛けのテーブル席に2つのアイスティー、ひとつのティーカップとチョコレート菓子が入った菓子受けを持ってきた。
「ありがとうございます」
『まぁ、お茶菓子もあるなんて気が利くじゃない』
ヤオは目を輝かせてチョコレート菓子を見る。
「長話で紅茶だけってのもなんだからな。聞かせてもらおうか、是が非でもキッシュを食べたい理由。理由次第では、作ってやるよ」
海野は吸いかけの煙草を咥えた。
『えぇ、もちろん。あれは、私が八百万の神になる前の話よ……』
ヤオは波紋が揺れるアッサムに目線を落とした。
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