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「……正木、くん?」
「池本さん、と……丸山……?」
正木くんに名前を呼ばれた私は、思わず理人の陰に隠れる。そんな私を背後に隠すようにして、理人が彼をじっと見つめる。
その重苦しい雰囲気を先に壊してくれたのは、正木くんだった。
「では、お席へご案内いたします」
一瞬で店員モードに切り替えると、私たちを案内しながら、小声で「ここ、祖父母がオーナーの旅館なんです。俺は毎年、桜庵の助っ人してます」と言った。
そういえば彼、新幹線の中で家業の手伝いに行くのだ、と言っていた。
でもまさか、ここだったなんて。
朝の悪夢が脳裏に蘇ってきて、私は思わず理人の服をギュッと握る。
理人は私の怯えを感じ取ったように、後ろに手を差し伸べてくれた。
その手をすがるような気持ちで掴んだら、彼が指を絡めるようにして握り返してくれる。
私はそれだけで気持ちがとても軽くなるのを感じた。
***
ハプニングはあったけれど、理人は正木くんの出現に、朝みたいに動揺することはなくて。
私も、彼の落ち着いた雰囲気に少しずつ気持ちが解れてくる。
と同時に、せっかく来たのだから料理を堪能しないと、と思えてきた。
理人に、ほんの少しだけ甘めの日本酒を飲んでみたい、とおねだりしてみる。
理人はそれで私の気持ちが落ち着くなら、と思ってくれたのか、「ほんの少しだけだよ?」と念押しして甘口の冷酒を頼んでくれた。
よく冷えた冷酒をほんのちょっぴり口に含むと、ほんのりと頬が赤く染まるのと一緒に、気持ちもふんわりほころんでくる。
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