■あなたがいちばん

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 リビングで、理人(りひと)が脱いだスーツの上を受け取って、ハンガーに掛けて丁寧にブラシを当てる。  そのあとで、「お風呂、先に入ってきちゃって?」と夕飯の支度を整えながら理人を脱衣所へと急き立てるのが、夕刻の葵咲(きさき)辿(たど)る大体のお決まりコース。  だけど、今日はスーツの始末をつけたところで、ちょっとだけルート変更して寄り道。 「ねぇ見て理人。これ、すっごく可愛いと思わない?」  ニャーニャーと足にまとわりついてくる黒猫(セレ)を踏まないよう気を付けながら、葵咲はワイシャツ姿でネクタイを緩めた理人に、今日買ってきたばかりのぬいぐるみを抱き上げて見せる。 「ペンギン?」  ぬいぐるみ越しでよく見えないけれど、理人がキョトンとした声を出したのが分かった。 「今日ね、通りに新しくオープンした雑貨屋さんで一目惚れして買ったの。何だかとってもカッコイイお顔してるでしょ? この子をギュッてしてたら、抱き心地がよくて落ち着くの。――ね、理人。これ、ベッドに置いてもいい?」  腕に抱きしめたペンギンをちょっとだけズラして、その陰からひょこっと顔を覗けて理人の様子を(うかが)う葵咲に、「……一目惚れ?」とこぼした理人の声のトーンが、わずかに低くなる。  この声は、理人が不機嫌になった時のものだ。  長い付き合いで、それは即座に分かった葵咲だったけれど、その変化の理由が分からなくて、「え?」と思ったのと同時――。
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