わたしの顔

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 雨の日は美人になれるから好きだった。  お気に入りの赤いチェックの傘をさして、雨音に耳をすませれば、世界の雑音が入らなくなる。  わたしにむかって、ブスだブスだと合唱してくる男子の声も、あなたはどうして私に似なかったのかしら、と愚痴をこぼすママの声も。 『夜目遠目カサの内』という美人の条件をあらわす言葉が、傘の意味ではないことを知ったのは、中学生の頃だった。 「笠っていうのは時代劇の旅人や、修行のお坊さんが被ってる編み笠のことに決まってるじゃない。本当にあなたはバカなんだから」  ママはそう言って、呆れたように笑った。  パパやお兄ちゃんと違ってバカで、ママと違ってブスなわたしは、愛想良くするしか取り柄がないのだと、いつも言われる。  ママのいいつけに逆らわないこと、従順でいることが大事だった。  パパは仕事で忙しく、お兄ちゃんは勉強で忙しく、ママはわたしを評価することで忙しかった。  そんなママは、わたしがオシャレに興味を持つことを異様に嫌がった。  流行りの髪型や洋服にしたいと言えば、頭が悪いと子どものうちから色気づくのだと腐した。  わたしはいつも、ママが選んだお利口そうに見える野暮ったいデザインの服を着せられた。流行に敏感な女子から陰で笑われているのは知っていたが、どうにもできなかった。  お兄ちゃんのお下がり、お兄ちゃんが選んだあとの残り物ばかり与えられ、口をはさむことは許されなかった。  ニコニコしていれば、バカみたいなうすら笑いをやめろと言われ、笑うのをやめれば扱いにくい娘だと言われた。 「あなたの顔、だんだんパパに似てきたわね。ママに似ればよかったのに、かわいそうに」  パパとお兄ちゃんは家によりつかなくなった。ママとわたしだけが取り残された。  ママの見栄で受けた大学には全部落ちて、お金を出せば入れる滑り止めの都会の学校にだけ引っかかった。 「大丈夫よ。全部、ママに任せておきなさい」  高校卒業を控えて、クリニックに連れて行かれた。美容整形の専門医だというのは、行った先で初めて知った。  白髪混じりの医者は、施術について丁寧に説明してくれた。目の端を切開して広げ、鼻を高くして、頬のラインを変える大手術だった。  麻酔をするとはいえ、顔にメスを入れられるのは怖かった。痛いのも嫌だった。  その場でママに懇願され、手術の同意書にサインさせられた。 「お願いだから、手術を受けてちょうだい。これは、あなたのためなの。ママほど、あなたの人生を考えている人はいないのよ」  ママは、そこまでわたしの顔が嫌だったのかと思ったら、反抗することはできなかった。  わたしはママに拒まれたら生きていけないのだから。  卒業式の翌日が手術日だった。  麻酔の注射の痛さに泣いた。痛い痛いと泣き叫んだら、さらに追加で注射を打たれた。体に薬がまわる気持ち悪さがたまらなかった。ひどい悪寒がした。  麻酔されても痛かった。顔面をいじられているのだ。痛いに決まっている。  健康でどこも悪くない体を薬漬けにされて、あれこれと工事されて、永遠に思える手術時間を耐えた。  一番痛いのは出産だと聞くが、美容整形よりも痛いものがあるなら、絶対に産みたくないと思った。  手術が終わったあと、顔はパンパンに腫れあがり、激痛にのたうちまわった。  痛み止めは飲んだものの、体に合わないのか、頭痛と吐き気がひどく、死んだほうがマシという苦しみの日々が続いた。  わたしが苦しんでいる間に、ママは上機嫌で引越しの準備を進めていた。 「あなたは生まれ変わったの。少し痛い思いをしたけど、そのおかげでママと同じ幸せな人生が待ってるのよ」  ママと同じ人生? それのどこが幸せなのだろう。  それに、わたしの痛みなんてママには絶対にわからない。わたしの体はママのものじゃない。 「若くてきれいなうちに、いい人を見つけるのよ。あなたには他に取り柄なんてないんだから」  痛みで身をよじっているわたしに、ママは何度となく言い聞かせた。  顔の腫れが引いてきた頃、引越しの日を迎え、大学の入学式を迎えた。 「女の子はバカでもいいの。かわいければ、それでいいのよ」  そんなのは嘘だと思ったが、間違っていたのはわたしのほうだった。生まれ変わったわたしは、見知らぬ男子学生に取り囲まれた。  口を揃えてブスだとはやし立てていた男子の群れが、手のひらを返したようにチヤホヤしてくる。嬉しいと思うより先に呆れた。  ママの言うことは正しかった。  好きな人ができた。一つ年上の彼のほうから告白されて、つきあうことになった。ママは彼が気に入らなかった。 「ママのほうがもっとモテたのよ。もっと素敵な人とつきあっていたんだから」  ブスだった娘を整形させて気が済んだのかと思いきや、ママは不機嫌だった。過去にどんなに素敵な人に囲まれていても、ママが選んだのはパパだ。そのパパはめったに家へ帰ってこない。  ママはわたしの不器用さをなじり、気のきかなさをなじり、とにかく減点したがった。流行りのメイクをしているわたしを娼婦みたいだとこき下ろした。  自分がついていなければどうしようもない娘を支える母でいたがった。  今日の朝早く、キッチンで倒れているママに気づいた。  心臓発作か、脳の血管が詰まったのか、真っ青な顔で胸を押さえて、助けを求めていた。口から白い泡がこぼれる。眼球が異常に震えていた。 「もしもし、救急車をお願いします」  わたしはスマホに向かって、必死に状況と住所を訴えた。  ママの顔が白くなって、呼吸が完全に停止しても、救急車はやってこなかった。手にしていたスマホは繋がっていなかったのだから当然だ。  外は雨が降り出していたから、お気に入りの赤いチェックの傘を持って出かけた。  傘をさしている時だけは安心できる。わたしがどんな顔をしていても、誰にもわからない。誰もわたしを咎めない。  新しい口紅とグロスを買いにいくつもりだった。もう動かなくなったママに、わたし好みのメイクをしてみたかった。  ママはきっと下品だと嫌がるだろうが、死化粧なのだから抵抗できない。文句は言わせない。  ママと同じ顔に作り替えられたわたしのほうが、よほど痛い思いをしたのだから。
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