【アセスメント】ホワイトナイトって?

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【アセスメント】ホワイトナイトって?

「それで、掲示板へは返事が来たんですか?」  久能孝明と名乗ったレイヤーさん(本当は違うらしいけど)が尋ねた。 「返事は来たよ。水無川(みなしがわ)駅で待ってるからって。行ったけど、約束の相手は現れなかったよ」  言いながら、私はバナナサンデーの生クリームをスプーンで掬った。  終点の紺野町駅近くの喫茶店はこの人の行きつけらしくて、すでに閉店していたにもかかわらず、快く中へ通してくれた。 「そうですか。約束の相手は現れなかったのですか」  ふむふむと小さく納得した後、レイヤーさんは机の上で姿勢正しく座った白猫を見た。猫はカップの中の熱々の紅茶をペロリと舐めた。猫舌ではないらしい。香りを楽しむみたいにピンク色の小さな鼻をヒクヒクさせた後で、目くばせを送るみたいに見つめる彼に向かって、まばたきをひとつした。 「その理由、知りたいですか?」  生クリームを口に入れた私に、レイヤーさんが再び尋ねた。相手が来なかった理由をさも知っているとばかりに笑顔をたたえている。 「まさか、その猫のしわざとか言うつもり?」 「そのまさかです」  彼が大きくうなずいた。思わずため息がこぼれる。 「そんなわけないじゃん。だって猫だよ? 猫になにができるの?」 「たしかに真紀さんがおっしゃるとおり見た目は猫です。でも、彼はただの猫ではないので」 「ただの猫じゃないってどういうこと? 猫神様とか化け猫とか、そんなこと言わないよね?」 「まあ、当たらずしも遠からずです」  レイヤーさんはふふっと形のいい唇をゆるめてみせた。  イカれてる。この人、相当イカれてる。ここまで自分の飼い猫のことをすごいとか思ってるなんて、どうかしちゃってる。やっぱり真面目に話すだけむだだった。さっさとサンデーを食べて、この人たちとお別れしたほうがよさそうだ。  サンデーを食べる速度を上げる。しかし冷たいバニラアイスを食べたとき、頭がキーンッと痛くなって、急ぐのを諦めた。 「真紀さんが信じられないのも無理はありません。むしろ、そのほうが正しい反応です」  レイヤーさんは穏やかな笑みを崩さない。普通だと言って、機嫌を損ねる様子もない。ただ、テーブルの上で紅茶を飲んでいる猫のほうは違うらしい。明らかに不機嫌になっている。長いひげをピンッと張って、目を鋭角な三角形にとがらせている。 「真紀さん。水無川駅で約束の相手と会えなくなった後、新しい書き込みがありませんでしたか?」 「うん、あったよ」 「紺野町駅行きの電車に乗れって言われませんでしたか? しかも時間も車両も指定されて」 「まあね。だから言われたようにした」 「神守駅で同じ車両に乗ります……とも言われましたよね?」 「ああ、そうだよ。だからあんたかと思って、ちょっとドキドキしたんだ。こんなカッコいい……人だったのかって」  レイヤーさんと初めて目があったとき、書き込みの相手だと思ってすごくドキドキした。結果は違ったけど。 「正解です。とはいえ、半分だけですが」 「半分だけ? 意味わかんない」 「誰かが私と真紀さんを会わせるように仕組んだ……と考えると、つじつまが合うと思いませんか?」  スプーンをくわえたまま、白猫へ視線を向ける。猫はやれやれといった様子で、ふぅっとわずかに息を吐いた。 「この猫がやったの?」 「それじゃあ、証明しましょうか」  レイヤーさんが猫の前にタブレットを置く。すると猫は躊躇もせずに前足でちょんっと画面に触れた。慣れた手つきでタブレットを操作していく姿に私は息を飲んだ。いや、ちょっと。猫がタブレットを操作できるなんて聞いたことがない。そもそも、猫のプニプニした肉球に液晶画面が反応するなんてありえない。  だけど目の前の猫はさっさとスワイプして、ある掲示板にアクセスした。  それからよく見ろとばかりにタブレットを私の前にすうっと押し出した。 「書き込みのハンドルネーム、なんでしたっけ」 「ホワイトナイト……白騎士だと思ってたけど……もしかして!?」 「そうです。白夜、です。おちゃめでしょ? 白騎士と自分の名前、掛け合わせるなんて」 「へえ。意外と頭いいんだね、この子」 「そこ、間違いです」 「え?」 「意外とは余計です。怒られます。ここでベストな答えは、頭もいいんですね、です。」  真顔でレイヤーさんが訂正した。その目が静かに猫へ注がれる。  彼の視線を追うように私も猫を見る。さっきよりも一段と鋭い視線がこちらに向けられている。 「ちなみにあなたの約束の相手を来られなくしたのは白夜さんです。相手の方には本当にお気の毒としか言いようがありませんが、悪いことをしようとしていたんですから、自業自得ですね」 「悪いこと?」  何度かまばたきをしてレイヤーさんを見る。彼は困ったように眉尻をかなり下げて「性犯罪に巻き込まれるところだったんですよ」と答えた。 「だって……」 「こういうサイトが『神サイト』と呼ばれて、性犯罪の温床になっているのはご存知ですか? 出会い系とはよくいいますけど、本当のところはそういうことをしたい相手探しのためのものですから」 「学校で習ったけど、このサイトは安全かなって」 「ネットは使い方を誤るとたいへん危険なんです。ご自分の命をもっと大切にしてください」  ハッキリ、キッパリと大人の口調でレイヤーさんが言った。これまで穏やかだった彼の顔から笑みが消えている。 「そ、そんなの! あんたには関係ないじゃん! それに、私がいなくなったって悲しむ人なんてひとりもいないし!」  そうだ。私なんか死んじゃっても誰も悲しまない。私がこの世から消えたって、家の両親は泣くこともない。だってもしも大事なら、こんな時間になっても戻って来ない娘に一報くらい入れるじゃないか! それもない。スマホは鳴らない。これからも鳴ることはない。 「いいえ、悲しむ人はいます」 「親とか冗談でも言わないでよ?」  するとレイヤーさんは困ったように「言いませんよ」とほほ笑んだ。 「じゃあ、誰だって言うの? 私には友達もいないし」 「私と白夜さんです」 「は?」 「だから、私と白夜さんです」 「からかわないでよ」 「からかってなんかいませんよ」  半分まで食べたバナナサンデーの中のアイスクリームの表面がとろんと溶けていた。スプーンを置いて、椅子に置いていたスポーツバッグから財布を取り出した。 「ごちそうさま。話を聞いてくれてありがとう」  千円札を置く。こんな偽善者たちとこれ以上つき合っていられない――そう思って腰を浮かせたときだった。  パチンッと大きな音が響いた。風船でも割れたのかと心臓が口から飛び出してしまいそうな勢いで大きく跳ね上がった。周りを見回すとテーブルの上に座る猫と目が合った。彼が長いしっぽをしならせて、テーブルの上をもう一度強くはたいた。さっき聞いた風船の割れるような破裂音が、しんと静まり返った空間に響き渡った。 「真紀さん。そのままでいいから主人の言葉を聞いてもらっていいですか?」  レイヤーさんの言葉に、しぶしぶ私はそのまま猫のほうを見続ける。 「伊藤真紀。おまえの望みを叶えてやる。だから二度と、そんな口を聞くな」 「ちょっとお。なんでこう、いっつも上から目線なの?」 「まあ、もうちょっどだけ付き合ってみてください。決して悪いようにはなりませんから」  たしなめられて、口をつぐむ。猫がじっと私を睨みつけている。本当にかわいくない。顔は整っているのに、ぜんぜんかわいげがない。 「これからおまえの家に一緒に行ってやる。そのかわり条件がある」 「帰りたくないのに条件っておかしくない?」 「まあ、そうですけど。条件、お伝えしますね」 「すっごい理不尽」  私の不満をかき消すみたいにコホンッとひとつ咳払いしてからレイヤーさんは続けた。 「おまえのやりたいことをちゃんと伝えろ。わかってもらえるまで、絶対に諦めるな……だそうです」 「なにそれ?」 「さあ? とにかく話し合いの場には同席しますから。ね?」  この人たちにいいように言いくるめられている気がしないわけでもない。でも、いい機会かもしれない。第三者に間に入ってもらって話ができれば、父も母ももう少しは聞く耳を持ってくれるかもしれないんだから。 「わかった」  返事をすると、レイヤーさんはほっと息をついた。けれど、すぐに「ああ」と苦笑した。 「なに?」  彼はこりこりとこめかみを指先で掻くと「えっとですね」と切り出した。 「そのトロトロ、あまあまのクリームをちょっとわけてほしい……だそうです」  じいっと物欲しそうに私のバナナサンデーを見つめ続けている猫を困ったように見つめながら、レイヤーさんは遠慮がちに言った。
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