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ガチャンと玄関のドアが開く。梨央の入ってくる足音が聞こえる。
薄暗いリビングの中、俺は手に持っていた新品のハンカチをポケットの中へ押し込み、時計を見上げて時間を確かめる。
高校に入学してからの梨央は、中学生の頃とは別人のように派手になった。校則違反の短いスカートをはいて、学校へ行くのにも化粧をして、髪も明るく染めた。分担していた家事は全くしなくなり、夜遅くまで遊び回っている。
「どこ行ってたんだよ?」
俺が声をかけると、リビングに入ってきた梨央がむすっとした顔で立ち止まる。
「うるさいな。関係ないじゃん、お兄ちゃんには」
「関係あるから言ってるんだろ? こんな遅い時間まで、何やってたんだよ。家のこと、なんにもしないで」
「だからあとでやるって言ってるじゃん! あたしは忙しいの! いちいちあたしに指図しないでよ、えらそーに!」
梨央が俺のことをにらみつける。俺の頭に母の声が聞こえてくる。
『ごめんね、彰ちゃん。梨央のこと、お願いね』
母さんにそう言われたから。だから今まで頑張ってきたのに。
俺だって忙しいんだ。コンクールは目の前に迫っているし、部員たちをまとめなきゃならないし、進路だって決めなきゃいけないし、逢沢のことだって気になるし……だけど家のこともちゃんと頑張ってきたんだ。
「あー、もうウザい。こんなお兄ちゃんだったら、いないほうがましだわ」
わざとらしいため息と一緒に漏れたその声に、俺の中の何かが切れた。
「いい加減にしろ!」
勢いよく振り下ろした手が、柔らかいものに当たった。ガタンと音を立ててしりもちをついた梨央が、頬を押さえて俺のことを見上げている。
殴った? 俺は殴ったのか? 梨央のことを。
口を堅く結んだ梨央の目が、みるみるうちに潤んでいく。
「梨央……ごめ……」
「最低」
梨央の恐ろしく低い声が、静まり返ったこの家に響く。
「お兄ちゃんはお父さんと同じ。最低」
怒鳴りつける父の声。高く響く母の悲鳴。何かが割れる音。梨央の泣き叫ぶ声。何度も何度も父の手が、母の頬を殴りつける。家族が壊れる、音。
立ち上がった梨央が、俺に背中を向けて去って行く。俺はその場に座り込む。
『お兄ちゃんはお父さんと同じ。最低』
ゆっくりと広げた右手が痛い。だけどきっと、梨央の頬はもっと痛い。
どうしてこんなことになってしまったんだろう。
「……母さん。教えてよ」
散らかったリビングに差し込んだ淡い月の光が、部屋の隅に置かれたピアノを照らす。
母と一緒にピアノを弾いたこの手に、熱い涙がぽたりと落ちた。
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