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喫茶淫花廓の内装はうつくしい。
アンティークなテーブルやソファーは高級で、それぞれの座席は観葉植物や飾り棚などで仕切られ、プライバシーも守られている。
ここへは限られた人間しか立ち入ることができない上に、その『限られた人間』の中には社会的地位の高い者が多いというから、当然の配慮なのであろう。
その店内を、これまたうつくしい店員が熱帯魚のように動き回っている。
加藤はつい、きょろきょろと落ち着きなくそれを目で追ってしまう。
「まぁまぁ。落ち着きたまえよ、きみ」
背もたれにゆったりと体を預けた男が、頬の贅肉を揺らして笑った。
男は某製薬会社の会長で。
そして加藤は、つい先日新薬の開発に一役を買った、研究員だ。
いつもは研究所に籠って実験データとにらめっこをしているような自分が、こんな場所に来ることになろうとは……と、加藤はひたいの汗を拭った。
いくら会長のお供とはいえ、ただの喫茶店に来るぐらいでこれほど緊張したりはしない。
いや、ここは本当に喫茶店なのか……。
カウンターの中に立つギャルソン姿の髭の男は、たぶんバリスタだろう。コーヒー豆を焙煎している姿などは、なるほど、喫茶店でよく見る光景である。
しかしそれ以外の……ウェイターや、ウェイトレスは……。
なんというか、ものすごく破廉恥な格好をしている。
これはいわゆる、『裸エプロン』というものに該当するのではないか。
どの店員も、両手両足はむき出しの生肌で……上半身裸で腰にエプロンを巻きつけているようなやたらとプロポーションのいい男も居る。
ウェイトレスはたぶん、ノーパンだ。
裸エプロンの上に、ノーパンだ。
ひらひらのスカートの隙間から、桃尻がチラチラ見え隠れしている。
しかも全員、顔面偏差値がやたらと高い。美男美女ばかりで目がチカチカする。
これならば顕微鏡で微生物を覗いている方がいい。その方が気分は落ち着くしリラックスできる。
加藤は隣の男へそう言って、座を辞そうとしたが、会長がグローブのような手で加藤の肩をがしっと抱いて、
「研究研究でストレスが溜まっているだろう。今回の功労者のきみには、今後ますます頑張ってもらわなければいけないからな。ここで存分に発散していくといい。なに、ここは私の奢りだ。優良会員になるとな、紹介カードを貰えるからな。これを貰える人間は、一握りなんだよ、きみぃ」
会長が自慢げにそう言って、ひとりでうんうんと頷いた。
ちょうどそのとき、ピンクのエプロンのウェイトレスが通りかかるのが見えた。
「おお~、マツバちゃん! ちょっとおいで」
喜色満面、とばかりに会長がその子を手招きする。
近づいてきたのは、長い髪ひとつに結んだ、ものすごく可愛い顔の子であった。
スカートの裾の短さが気になるのか、マツバちゃんはそこを下に引っ張りながら、恥じらいの色を浮かべてにっこりと微笑んでくれる。
「お久しぶりです、会長」
「おお~、会いたかったよ、マツバちゃん。相変わらず可愛いな。今日はうちの研究所のホープを連れて来たんだ」
会長のてのひらが、バシバシと加藤の背を叩いた。
加藤が慌てて頭を下げると、マツバちゃんがぴょこんと頭を下げて、
「マツバと申します」
とはにかむように言った。
「あ、か、加藤、です」
「マツバちゃん。こいつは根っからの研究者でね。慣れておらんのだよ。どうかね、ちょっとサービスしてくれんかね?」
会長が鼻息も荒くそう頼むと、マツバちゃんがほんのりと頬を染めながら、
「は、はい……」
と言って、加藤の目の前で、おずおずとスカートを捲くり上げてゆく。
徐々に露わになってゆくその下半身に、加藤は釘付けになった。
マツバちゃんの、ノーパンのそこは……。
ものすごく清楚な色の、ペニスが……。
えっ? ペニス??
加藤の脳裏に疑問符が飛んだ。
あれ?
この子、女の子じゃないの??
鳩が豆鉄砲を食らったような顔になった加藤へと、マツバが恥ずかしそうに眉を下げて、
「マツバを、ご贔屓にしてください」
と、決まり文句なのだろう台詞を口にした。
「お、おと、男?」
「きみぃ。最初に言ったじゃないか。淫花廓の店員は全員男性だと」
いやいやいやいや。聞いてない。断じて聞いていない。
そう思った加藤だが、だが相手は会長だ。彼の一存で研究費の増減が決まるとまで言われている会長だ。
逆らってはいけない。長い者には巻かれろ、である。
「す、すみません」
頭を掻いて謝る加藤を後目に、会長が小鼻を膨らませてマツバの性器を凝視しながら、よだれを垂らさんばかりにして笑った。
「今日はマツバちゃんのミルクを搾らせてもらおうかなぁ? それともマツバちゃんにおじさんのを搾ってもらおうかなぁ?」
加藤は会長の言葉を聞きながら、テーブルの上のメニュー表を手に取った。
コーヒー一杯が1500円……。暴利だ。普段インスタントコーヒーばかり飲んでいる加藤からしたら、暴利以外の何物でもないが、だがしかし、いいコーヒー豆を使ったらこの値段になるのか。
おまけに豆を挽いている男もやたらといい男だから、仕方ないのか。
そんなよくわからない思考に陥りながらも、オプション欄に視線を走らせて……加藤はひぃっと漏れそうになった悲鳴を噛み殺した。
フレッシュミルクとか、生搾りミルクとか、サンドイッチとか、そんな文字の横に、桁を間違えてるとしか思えない値段がつけられている。
なんだこれは……。
会長の言うミルクはこれのことなのか……。
「あ、あの、今日は僕、他のお客様のご予約が……」
「まぁまぁそう言わずに。すぐに終わるから。マツバちゃんのオッパイ、ちょっとだけ舐めさせてよ」
加藤は会長の言葉にぎょっとした。完全なるセクハラだ。
だがマツバちゃんは怒ることもせずに、
「すみません。でも……」
と首を横に振る。
その段で、加藤はようやく気付いた。
そうか、ここは喫茶店という名の風俗か!
道理で店員の恰好が破廉恥だと思った。
しかし風俗だとしたら、ますます帰りたい。
加藤はこの世に生を受けて四十年。研究一筋四十年。この歳にして立派な童貞なのである。
そうと知られるわけにはいかない、と、加藤は腰を浮かしかけた。
すみませんが僕は帰ります、とひと言会長に伝えようとするが、会長はマツバちゃんに夢中でまったくこちらを向いてくれない。
ソファから背を離した会長が、拒むマツバちゃんの細腕を掴んで、強引に自分方へと引き寄せようとした。
「だ、だめですっ」
身を捩って逃れようとするマツバちゃん。
これは、まずいのでは……。
焦る加藤の耳に、コツ、と硬質な音が聞こえてきた。
コツ、コツ、コツ、コツ。
磨き抜かれた床を、赤いハイヒールが踏んでいる。
加藤はポカンと、近づいてくるそのひとに視線を奪われた。
ヒールの音を耳にしたマツバちゃんが、顔を振り向け、ホッとしたような表情になる。
マツバちゃんのおっぱいを舐めることに夢中の会長は、まだ気付いていない。
コツ、コツ、コツ、コツ。
黒いエプロンを翻して、そのひとはマツバの隣で足を止めた。
と、思ったら、白い足が優雅に持ち上がって。
「おいたは禁止ですよ」
甘い声とともに、ハイヒールの靴底が、会長のスーツの太ももの上に乗る。
「おお! アザミじゃないか!」
足蹴にされたはずの会長が、喜びの声を放ち、そのひとをアザミと呼んだ……。
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