傘のこえ

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雨とは時に、『空が泣いている』と表す事がある。 雨についての例えは色々あるが、私は時折そういう事をふと考える事がある。 雨が降る構造自体は、既に現実的な観点から説明できる規模で解明されている。 しかし、『なぜ今この時にその構造が動き出すのだろうか』といった視点から見ると構造の解明は別になってくるはずだ。 多くの人は『詩的な考え』と言うかもしれないけど、その中にこそ『今雨が降っている意味』が隠されている時だって普通にあるのだ。 ひそかに気になっている事がある時、雨の降り方が心なしかいつもと違うような感じがすると、『今の私達の在り方を悲しむ感じで空が泣いているから降っているのかな…』と、私は真剣な気持ちで考えたりしている。 自然の事であろうと、人間による事であろうと、起きる事にはただ『実際起きているから』という単純な事にとどまらない『隠された本当の意味』があるのだ。 空は時に泣くような雰囲気を覚えるように雨が降り続いていた。 打ち付ける音も、時折泣き声のような感じを覚えるように街中に響き渡っている。 今の私には、降りしきる雨とその音から覚える雰囲気は、空が泣いているような感じだった。 空が泣いているように雨が降っている時、ふとそれとは別の泣き声が聞こえてくるのを私は時折感じている… それは雨の様子を直に覚えないところにもひそかに聞こえていたのだった。 電車に乗った私は、目的地に向かって雨の降る中を走っていた。 電車の中からは、やはり走る音やアナウンスが目立つのと、何より外の音がシャットアウトされてるのに近い状態だったので、雨の音はほとんど聞こえなかった。 しかし、その中で私はそれとは別の声がひそかに聞こえているのを感じていた。 その声は、今の空のように…いや、それ以上に泣いているような声だった。 その声のした方を私は向いた。 そこにあったのは… 出口の近くにあるつかまる場所に引っ掛けてある傘だった。 そこには誰もおらず、傘だけがポツンと引っ掛けてあった。 この様子から一目でわかった。 あの傘は、あの場所に引っ掛けてからそれっきり忘れてしまった傘だ。 電車の中で一番目立つ忘れ物は、普通に傘であろう。 さりげなくどこかにかけた後、降りる事に気をとられて忘れるといったパターンが一番多いケースである。 しかし、中には『ここから先は傘は必要ないから、持ってんのも面倒だしここに置いていっちゃえ』といった感じで傘を電車に置いていく人もいるはずだ。(主にビニール傘のような安い傘) 同時に、例えそうではなく、前者のような過失のもとで傘を電車に忘れたとしても、いちいち取りに行くのも面倒、もしくはどこの預り場所にあるかわからないし探すのも面倒だからという理由であっさり諦めて新しい傘を購入する事だってある。 あの傘は私が今持っている本格的な傘だった。 …しかし、例えそういう傘であっても、ここに忘れてしまってはどこに預かってもらっているかわからず、むしろ傘の忘れ物はたくさんあるだけに、その中から見つけ出すのを面倒と真っ先に考えてあっさり諦めて新しい傘を買う事が大部分なのだろう… こういう時こそ、持ち物に名前を書いておくという子供の時に言われていた事に回帰するべきだとあらためて思う。 私は、多少持ちにくいが、どこかに引っ掛けておくのをやめにして、肩掛けのバッグのひもに引っ掛けた。 時折地面について落とす時があるが、その時にすぐ気づくので見落とす事はない。 同時に、もし傘の事を忘れて降りようとしてしまっても、こういう形で常に 身についている状態なので忘れる心配もない。 何よりそれ以前に… 私はいつだって『傘の事に気を向けている』のだから。 しばらくして私は電車から降りた。 肩掛けバッグのひもに引っ掛けてあった傘を手に持ち替えて、私はホームに降りた。 降りた後、再び雨の音が聞こえてきた。 その雨の音が、私にはあの置き去りにされた傘の泣き声のようにも聞こえた。 あの傘の泣き声のように降る雨の中私はしばらくあの傘の事を通してあれこれ考えていた。 私などのように、傘を『肌身離さずの意識で持ち歩くもの』として意識している人は何人いるのだろうか…
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