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【計画実施】あいつは命を摘みすぎた
「どんな魔法使ったの?」
公園に向かう途中、あたしは隣で並んで歩くお兄ちゃんに向かって質問した。お兄ちゃんは「ん?」とあたしをちょっとだけ見ると「言ってもおまえにはたぶんわかんねえよ」とぶっきらぼうに答えた。
ムッとあたしは唇をとがらせる。あたしが小学生だからわからないんだって言いたいんだ。
あたしの隣にはつばの大きな帽子を目深に被ったお兄ちゃんがいる。着ているジャンパーの背中には大きな口を開けて吠える白い虎さんがデザインされている。
「支度してきますから待っていてくださいね」と黒髪のお兄ちゃんに言われた。5分もたたないうちにやってきたお兄ちゃんはまるで玉手箱を開けてしまった後の浦島太郎みたいに変わってしまっていた。
黒色だった目が水色になっているし、目つきは悪いし、ずっと不機嫌そうな顔のまんまだ。それから髪の色も違う。真っ黒だったのに、真っ白になっている。
どうしたら短時間でこんなにも変わってしまえるんだろうかって考えたら、魔法しかないと思ったんだ。
「黒髪のお兄ちゃんなの? 違うの?」
質問を変えてみる。白い髪になったお兄ちゃんは「面倒くせえなあ」とブツブツ言いながらも「体はアイツ。中身は俺様」と答えてくれた。
「俺様っていうことは、白夜ちゃんなの?」
「……そうだよ」
白夜という名前のしろねこさんが黒髪のお兄ちゃんの体を借りている――らしい。
どんな呪文を唱えたら、そんなことができるんだろう? 黒髪のお兄ちゃん、すごすぎる。ねこさんたちの言葉がわかるだけじゃなくって、ねこさんに体を貸せる魔法まで使えちゃうんだから。
呪文を教えてもらえたら、もしかしたらあたしもねこさんと話ができるようになったり、体を貸せたりするのかもしれない。
「菜々美」
ぴたっと足をとめて、白夜ちゃんがあたしをじっと見た。
「今後一切俺様のことを白夜ちゃんと呼ぶな。ちゃんと白夜様と呼べ。おまえみたいなちっさい女子が俺様みたいなとっても偉い存在と口をきけること自体が奇跡なんだからな」
「そ、そんなこと急に言われても。でも、たしかに白夜ちゃんはねこさんたちのボスみたいだったもんね。わかった。気をつける」
ねこねこふぁんたじあのねこさんたちがすごく、すごく怖がっていたのを思い出して言うあたしの隣で、白夜ちゃんは「はああ」と大きなため息をこぼした。
「ボスね。ボス。ねこたちの……まあ、いい。正解にしといてやる」
「ボスなんてもんじゃねえけどな」とブツブツ文句を口にしているしろねこのお兄ちゃんがまた歩き始める。
すごく足が長いから、一緒に歩くにしても早足になる。やっとこついて行く。それでもときどき歩く速さをゆっくりにしてくれるのは、白夜ちゃんなりの優しさなんだろう。
「さてと、ついたな」
神守坂第一公園の入り口にやってきた途端、震えが走った。人のいないさみしい公園に見覚えのある服を着た背中があった。
アイツだ。
アイツがいる。
なにかを探すみたいにうろうろしながら川を見ている。こちらに背を向けているから、あたしたちには気づいていない。
「おまえは俺様の後ろに隠れてろ」
「びゃ、白夜ちゃん……じゃなかった白夜様はな、なにする気なの!?」
さっきまで噛まずに話せたのに、できなくなってる。ここにいるだけですごく怖い。きっとアイツの顔を見たら、息ができなくなりそう。
「言ったろう? おまえらの流した涙の分、きっちりお仕置きしてやるんだよ」
「でも……」
言葉を詰まらせるあたしをじっと見た後で、白夜ちゃんはふうっと長く息を吐き出した。
それから川のほうに顔を向けながら、あたしの頭をくしゃくしゃっと撫でた。
「案ずるな。俺様がついてる」
大きくて、とてもあったかい手だった。ものすごく震えていたあたしの体が動きをとめる。
これも魔法なんだろうか。それくらい不思議なほどにぴたりとやんだんだ。
「うん」
短く返事をすると、白夜ちゃんは「おーい、クズ野郎」と川のほうにいるアイツに向かって声を掛けた。
その声に反応してアイツが周りを確認するかのようにキョロキョロと首を振った。誰もいないことに気づいてゆっくりと振り返る。
目が合った。その途端、ものすごく嫌な顔をした。
こちらに大股で近づいてくる。
「なんだ、おまえ? その子の保護者か?」
近づいて来るとすぐに、白夜ちゃんを睨みつけて凄む。顔一個分違う白夜ちゃんは涼しい顔で笑っている。
「なるほど。クズ野郎が自分のことだという理解はあるんだな。そこは誉めてやるよ」
「ふざけるのも大概にしとけよ! 俺を誰だと思ってるんだ、おまえ!」
「弱い者いじめして粋がっているクソ野郎だろう?」
水色の目が冷たい風をまとっていた。さげすんだ目だ。口元は挑発するようにゆるく開いている。
「誰がクソ野郎だって? 知らねえみたいだから教えてやる! 俺はなあ、神って呼ばれてんだよっ!」
「ああ、よおく知ってるよ。すげえ崇められてるよなあ。おまえが何匹手に掛けたのかも、どんなことをしたのかも俺様は全部、全部知ってるぜ?」
「なんだ? おまえ、俺のファンか? だったらひざまずけよっ! 神の前で上から物言ってんじゃねえよ!」
そう言って、白夜ちゃんの足を思いっきり蹴る。とっさにあたしは顔を背けた。
ガンっと重たい音がした。続けてボキッと鈍い音が続いた。
おそるおそる白夜ちゃんのほうへ視線を戻す。
白夜ちゃんは眉ひとつ動かしていなかった。その場から一ミリも動いていない。
それどころか、痛がって膝をついたのは蹴ったアイツのほうだった。
「いってえっ! いってえよおっ!」
足を抑えて叫び声をあげた。そのままのたうちまわる。その姿を白夜ちゃんはただじっと見つめていた。
抑えている足首から下がブラブラしている。
「『あー。骨が折れたなあ。これでもう逃げられないなあ』」
「な、なに言ってやがる! 鉄板入れるなんて卑怯なマネしやがったくせにっ!」
必死な顔で責める相手に、お兄ちゃんはやれやれと肩をすくめた。
「なあに言ってやがるはおまえのほうだよ。第一、おまえみたいな偽物の神が本物の神である俺様を穢すことなんかできるわけねえだろうが」
「はっ!? なに言ってんだ? 本物の神って……おまえ、頭狂ってんのか?」
引きつった顔で見上げる相手の背中を、白夜ちゃんは容赦なく蹴った。
直後、相手の口から大量の血が吐き出された。地面に血が飛び散る。
蹴られた相手は言葉をつまらせて「んが……」と声にならない呻き声をもらした。
「『悪いなあ。おまえの汚い顔を見ていたら、ついつい力が入っちまった』」
感情のこもらない声で白夜ちゃんが告げた。
さっきのセリフもそうなんだけど、白夜ちゃんが言ってるのに、まるで別人の言葉を借りてきてるみたいに聞こえる。
そんなあたしの疑問の声が聞こえたんだろうか。白夜ちゃんは鋭い牙を見せて、ニタッと笑った。
その笑みを見たアイツが目を見開く。
「覚えがあるセリフだろう? おまえが動画で言ってたものだからなあ。どうだ? 同じことをされて、同じことを言われた感想は?」
神と言って、白夜ちゃんに食ってかかっていたアイツの顔から一気に血の気が失せていく。
恐怖を感じたのだろう。目が血走って、真っ青な顔になっている。がくがくと歯を鳴らしながら、静かに見下ろす白夜ちゃんをただひたすらに見上げている。
「『そんな目で俺を見るなよ。ゾッとする』」
そう言うと、白夜ちゃんは顔面を思いきり蹴り上げた。「んぎゃあっ
!」と悲鳴があがり、また血が飛んだ。
鼻が折れたのか、ひん曲がっている。地面には折れた歯が何本も落ちていた。
血だらけになった顔は真っ赤になって、今にもはじけそうな風船みたいにぱんぱんにふくれ上がっている。
「う……うう……」
「『ああ、あごの骨も砕けたかなあ』」
白夜ちゃんのつぶやきにアイツはひぃっと体を小さく丸めた。
あたしは膝から力が抜けそうになるのを必死でこらえて立っていた。これ以上、アイツのひどい顔を見ていられなくて両手で顔を覆う。
悔しくて唇をかんだ。
――こんな残酷なことをねこさんたちにしてきたんだ、この人は。
それがわかってやりきれない。この人がやったことをそのまま返しているのだとすると、殺すまでやりつづけるのだろうか。
「だ、だのむ。だずげでぐれ……」
ひぃひぃと呻き声を上げながら、アイツは必死に白夜ちゃんに頼みこんだ。
そっと指の間から白夜ちゃんの顔を見る。とても冷たい表情だ。
視線に気づいた白夜ちゃんがあたしをちらっと見た。ふっと彼が小さく口元をゆるめる。
「そういや、菜々美。おまえ、こいつと一緒に出掛ける約束してたんだよなあ?」
「う、うん」
顔を覆ったまま首を縦に振る。クロちゃんと一緒に保護してくれる家の人に会いにいく予定だった。
「こいつが本当はなにをしようとしていたのか、教えてやる。こいつはな、猫じゃ物足りなくなって、人間を手に掛けようとしてたんだよ。それをな、クロマメが命を張ってとめたんだ。意味わかるか?」
「え?」
手から力が抜ける。そろそろと手を下ろして、しっかりしろねこのお兄ちゃんを見つめる。
言われた意味をしっかり考えて、背筋に冷たいものが走った。
――あたし、殺されるところだったんだ!
今更ながら恐怖が足元から這い登ってくる。
カチカチと歯が鳴った。額に汗が浮いてくる。
「仕方ない。クロマメをダシに使われていたんだ。気づかなくて当然だ」
とお兄ちゃんはまぶたを伏せた。
「さて、菜々美。どうする? クロマメはすごい優しいヤツだった。ヤツの痛みはこれで返せたろう。俺様のお仕置きは終わりにするが、それでいいか? このまま続けても、単なる弱い者いじめになっちまうからな」
「この人、もう二度とひどいことしないかな?」
「じ、じない! ぜっだい、じない! だ、だがらゆ、ゆるじで……」
涙声で訴えられる。許せないことをいっぱいした人だけど、白夜ちゃんの言ってることは正しい。
ここまで痛い思いをたくさんしたなら、もう二度と罪のない命を奪うようなマネはしなくなるだろう。だから……
「うん。もういいよ」
「菜々美はいい子だ」
しろねこのお兄ちゃんは大きな手であたしの頭をまたくしゃくしゃっと撫でた。それから這いつくばって泣いているアイツに向き直って、そのまましゃがみこんだ。
「俺様と菜々美は許した。だが、おまえがこれまで手に掛けた多くの命たちが許すかどうかはまた、別問題だ」
にっこりときれいな笑みを浮かべつつ、おにいちゃんは川の向こうを指さした。指の先を追って息を飲んだ。
たくさんの目があった。金色、緑、赤。
いろんな目をしたねこさんたちが川の向こうに数えきれないくらい並んでいる。
「背中に気をつけるんだな。猫は狩りをする生き物だから、隙を見せたら命はないぜ?」
恐怖で引きつった顔を向ける相手の肩をぽんぽんっと軽く叩いて「健闘を祈る」とほほ笑んでから、しろねこのお兄さんは立ちあがった。
そのままくるりと背中を向ける。
「まっでぐれ! お、おれを、おいでいがないで!」
必死になって足にしがみつこうとする男の手をするっとお兄ちゃんは軽くかわすと、あたしの肩を抱いて歩き出した。
「狩りから逃げきる動画をアップしたら、また神って崇めてもらえるんじゃないか?」
「ぞ……ぞんな……」
「『おまえみたいな害虫はなあ。生きている価値ないんだよ! 人間様に盾ついたバカは苦しんで死ねばいい!』なんて言わなきゃよかったのになあ。残念だ」
「それじゃあ、俺様は忙しいから」と、白夜ちゃんは「バイバイ」と軽く手を振った。二度と後ろは見ないまま歩き出す。
「白夜ちゃんっ!」
「菜々美、よく覚えとけ」
ビシッと強い言葉が飛んでくる。『白夜ちゃん』と呼んだことを怒られるのかと身をすくめる。そんなあたしにお兄ちゃんは「いいか」と続けた。
「因果応報というものがある。自分がしたことはいいことだろうと、悪いことだろうと必ず返ってくる。それがおまえの生きる世界の理なんだ。あいつは命を摘みすぎた。それは命でしか払えねえんだよ」
厳しい口調で言いきったお兄ちゃんの顔はとても険しかったけど、それ以上にとてもつらそうに見えた。
あたしは黙って隣を歩いた。遠くから身を引き裂くような悲鳴が聞こえてきても、決して振り返らなかった。
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